ムカつくことばかり過学習してしまっている

最近また些細なことへのイライラが抑えられなくなってきた。歩行時に譲り合う精神がなく邪魔になってる奴、要領が悪いのに他力本願な奴、つまらない話題でゲラゲラ笑ってる奴。全てに腹が立つ。

でも、トイザらスでおもちゃ選びに必死な子供にほんのちょっとぶつかられただけで、張り倒したくなるぐらい頭に血が上ってる自分に気が付いて、こりゃ俺がおかしいんだと思ってきた。

自分がしょーもないことにイライラしている自覚はあっても、それをすぐに是正はできなくて困っている。自分の気持ちを整理するためにも、また乱文を書くことにする。

目次

歩行の邪魔になる奴がムカつく心理

歩行の邪魔になってる奴の何が許せないんだろう?「気が付いた俺ばっかり避けることになるのが癪に障る」と思ってるのかな?と考えて、試しに真下向いて目つぶって歩いて、スマホも見てないのに避けられないバカ女と正面衝突してみたりしたけど、自分が気付いてようが気付いてなかろうが、ほんの少し肩が触れただけでも相手を蹴り倒したくなるぐらいイライラした。

「いかなる理由でも自分に触れられるのが嫌」なのかな?でもそうすると、「気付いて避けてやった」時になんでイライラするんだろう。「無神経で悪なのはお前の方なのに、何で俺が気を使わなきゃならないんだ」って思ってるのかな。俺だって一切避ける気がないワケではなく、譲り「合おう」って気ではいるけど、「俺が一方的に譲ってる」のが気に入らないんだな。

どうなったらイライラしなくなるかっていうと、「世界中の人間が俺とすれ違う時に予め十分に距離を開けて道を譲り合って歩ければいい」と思っているのだが、30年生きてきて世間の人間大体バカだなってことは分かってきたので、それが叶わぬ願いなのは理解してる。でも、俺のイライラの原因を突き詰めると、まだ「お前らバカどもがもっとマシになれ」って本気で思ってるっぽい。

邪魔な連中のことを「俺より下のクズども」と思っているのに、「俺と同じレベルにまで上がってこい」っていうのは、よく分からん心理だな。

歩行の邪魔になる奴にイラつかない対処法 1

無神経なクズどもがって思ってるのに、そいつらの目線に合わせて生きてる自分は、なぜもっと高みに上がらないのだろうか、と思い、考え方を切り替えてみた。コイツらは NPC で、描画領域 (俺の視界) を外れたら消える、意思など持たない非生物だと思うようにした。

相手を「俺程度の知能を持ってる生物だ」と思うから、「俺にはできることをどうしてコイツらはしないんだ」って同列に扱おうとしてしまう。

でも、町中に電柱が立ってたら、当然避けて歩く。「電柱は避けないのに、俺ばっかり避けてる」なんて思わないだろう。GTA をプレイしていて、NPC が邪魔な時は (ゲームなので) 射殺したりするけど、主人公キャラの進路の邪魔になっていても、別にイライラしない。相手が人間だとは思っていなくて、ゲーム内のデータに過ぎないと思っているから。それと同じ扱いにしてみた。

コレは割と効果があった。電柱やビルが立っているのと同じ、それを「障害物」とも思わなければ、かなりイライラしなくなった。

ただ、「周りが NPC ばかりの世界」という設定を矛盾なく浸透させようとすると、「自分は何でこんなゲーム世界の中で生きてるんだろう?」とか変な方向に頭がバグり始めたので、矛盾があっても「とりあえず周りの人間は NPC」とだけ思うようにしないとおかしくなる。

歩行の邪魔になる奴にイラつかない対処法 2

よーく周りの人々を観察していると、

の周りって、予め十分な空間が開いていて、こういうヤバそうな人は全然周りとぶつからずに過ごせている。

NPC 連中も、避けないことにする相手と「予め避けとこう」と思う相手を選んでるようだった。てめぇら、俺のことナメてて避けないことにしてるな?コレはコレで癪に障るが、考え方によっては、「見た目がヤバそうに見えれば避けてもらえる」ってことか、と思った。

俺は服装も地味だし、髪も黒いし、パッと見が「小太りなだけのなんでもない30歳男性」だから、注意されにくいのかもしれない。いっそ上下とも光沢ある金色の洋服を着るとか、ショッキングピンクの髪色にしてみるとか、爆裂に鍛えてぶっとい腕を見せびらかしながら歩くとか、宇宙と交信して何か喚き散らしながら歩くとかしてみたら、皆避けてくれるかもしれない。

これらは準備に手間がかかったり、喚き散らすエネルギーを使ったりして疲れそうなので、試してはいない。

ただ、「NPC 連中は、見た目がヤバそうなあいつらのことは避けてるけど、俺とはぶつかっても構わないと思っているのか」と考えると、コレはコレで、心持ちが軽くなった感じがする。セクハラ一歩手前の発想だけど「オナゴと合法的に接触できる機会」と考えてみたり、「どこまで不可抗力の中で男の急所を殴れるか」ゲームなんだ、と捉えてみたり。コレはいざぶつかってしまった時に頭の中でそう思うことにする、というだけで、狙ってヤリに行くワケじゃない。w

だいぶイカれてるけど、「発想の転換」だったり、「何かインセンティブを設ける」ってことが対策としては良いのかもしれない。100人連続でうまく避けられたらコーヒーを買うことにする、とか、ぶつかってイラッとした自分が可哀想なのでアメを舐めることにする、とか。

ある出来事に対して「イラッとする」という条件付けを自分でしてしまっている状態だと思うので、イラッとする代わりに、何かポジティブな報酬を条件付けてやることで、気にならなくなるかもしれない。コレはもう少し実験を続けてみる。

要領が悪いヤツにイラッとする心理

メチャクチャ嫌な言い方だが、自分は「この会社の中では相当能力が高い方」なのは、もう確信することにした。

新卒入社してから Java に触れた未経験者が、その年の終わりには要件定義からリリースまで携わって相当役に立てたのは、どうも珍しいことみたいだ。前職の上長はテラ有能だったので、この人から教わったことはあるものの、基本的には独力・独学でココまできたと思ってる。全く知らないことでも、1回説明を聞いて、足りないところは自習して、翌日・翌週には課題を指摘し、改善策や自作ツールを提供したりしてきた。

自分にはそういうことが出来たのに、それが出来ないバカな若手がいると、「教えてあげよう」とは思えなくて、「俺ぐらい分かるようになるまで一人で勉強しとけ、話しかけるな俺の時間を奪うな」と思ってしまう。自分が教育担当とかならまだしも、それで金がもらえるワケでもないし、俺には俺のタスクがあるのに、後輩育成に時間なんかかけたくない。

第一、「配列って何ですか」「この画面に何を表示させたらいいですか、答えを教えてください」っていう質問の仕方をしてくるようなバカタレに、何年かけたらいいと思うんだ?「答えを教えてください」って何だよ。「そんなの要件次第だろ。俺や誰かが一人で決めることじゃなくてお客様と相談して決めることだろ」って説明しても「でもよく分かんないんです」って言うような程度の知能のヤツ、今から教育なんかしたって無駄だって。頭使わなくていい業界に転職しろよ。俺の前から消えろ。

コレまで見てきた後輩の傾向からすると、質問の筋や要領が良いかどうかって、IT スキルの有無とは関係ないんだよね。未経験の新卒でも質問が的確で、飲み込みが早いヤツはいたし、そういうヤツはこちらの説明もちゃんと聞いて吸収できるので、こちらも質問に答えたり、30分とか時間を費やして何か教えたりするのは苦にならない。その費用に対する効果をキチンと出して、戦力になってくれるからだ。

でも、質問の筋が悪いヤツって、それまでの育ち方・生き方に問題があるんだよ。メモもロクに取れない時点で学生時代の過ごし方が知れてるし、そういうヤツって頭の使い方もしらないから、ただただ必死に「悩む」だけで、意味のある時間の使い方ができないんだよね。親じゃあるまいし、そんなところの教育までやってやる義理はない。俺や上司、チームメンバも協力して、半年以上つきっきりで見てやった新人もいたけど、そいつは最後まで同じ間違いを繰り返していて、絶望的にセンスがなかった。

俺は後輩を育てたいと思ってないし、そういう仕事にはついていない。親じゃあるまいし、育ちに問題があるようなバカの教育までやってやる義理はないんだわ。まともなヤツは一人でもちゃんと成長するモンなんだ。お前には何年かけてやっても無駄だって分かるんだわ。

実際のところ、俺より10・15歳上の人間を見てても、「今までどうやって生きてきたんだろう」って思うようなヤツもたくさんいる。何のスキルもなくて迷惑ばっかりかけてるのに本人の中だけでは出来たつもりになってて、俺からの指摘も、そいつより上の上長からの指摘も完全にスルーしちゃってて、治る見込みがない。何年経ってもバカはバカで、誰に何を言われても治らないんだっていう実例は、そこら辺に大量に転がってる。

非 IT の顧客にもイラッとする。「コレくらい簡単だと思うんですけど」そうですか、じゃあ我々頼らなくていいんで、ご自身でやってください。こちとら素人が思いつきで喋ることの100手先のことまで読んで話してんだわ。バカは自覚を持て。あーー客を選びてぇーー。まともな人間と仕事してえーー。

バカに引きずられた?高みに上れない程度の人間

転職してから「この人は凄いな」「この人みたいになりたいな」と思える人が一人もいないので、俺の居場所が悪いんだろうな。技術スタックとしては前職より色々触れられてるけど、セキュリティ面の意識とか、精緻な工数管理とか、そういうのが全然出来ない連中ばっかりで、それによるトラブルが絶えない。悪いサンプルしか周りにない環境に長く居続けて、自分の能力も下がってしまった感じがする。自分だけは正しいことを分かっているつもりだったけど、自分もまともな見積とか出来なくなってきてる。

自分のスキルすらも落とされた気がして、余計に周りに腹が立つ。こんなところにいたくない。もっと高いところに行きたい。

でも、いざ「高いところ」の面接を受けてみると、「海外部門と英語で電話ができて当たり前」だったり、専門外のタスクを引き継いだ時に片手間で書くコードが既に相当ハイレベルだったりして、「あれ、俺ココまで行けねえや」ってなったりする。どうせ俺はこの会社どまりなんだ、なのにいっちょまえなことだけ言ってる。

「下の上」のつもりでいたけど、「下の上」では「中の下」にもなれないんだ。でも、自分より下が見えるとイラッとしてしまう性格も治らない。

仕事上のストレス対処法はまだ見つかってない

仕事上で、自分以下の人間にイラッとするのって、「お前がそれすら出来なかったら、仕事が終わんねえだろ」「お前のせいで俺にまで残業させんなよ?」って思いがあるからなんだと思う。皆少なくとも俺程度には賢くあってくれ、その前提で仕事してくれないと、低品質なモノすら完成しないじゃねえか。そう思っている。

コレってやっぱり、囲まれてる人の問題である側面は強くて、自分だけちゃんとできても、一人のキャパには限度があるし、俺だけが頑張れば話が先に進むワケでもない。顧客都合で要件からひっくり返れば、俺がいくら実装スキルを持っていたとしても、「何を作るべきか」がブレるのだから俺には仕事を終わらせられない。

そういう、自分にコントロールできない領域でのごたごたに巻き込まれて、自分のタスクが進まなかったり、低品質なモノに成り下がってしまうのが死ぬほど腹立たしい。でもコレってどうしようもないよね。

どうしようもないのは分かってるんだから、「どうしようもないね」と受け入れよう、ってのはよく言われるけど、受け入れようが受け入れまいが、俺が残業させられて自分の時間が奪われるのはごめんなんだわ。それだけは譲らん。会社のために潰れる気なんかねえぞ。

…こんな調子なので、まだ「こうやってストレスを逃がせました」っていう方法は見つかってない。

自分がコントロールできるモノでストレスを解消する・その副作用はないだろうか?

仕事でのプログラミングはしがらみだらけ。皆みすみす失敗したいとは思ってないだろうに要件が整理できてなくて仕様はグッチャグチャ。設計書の段階で、作り上げても誰も喜ばないシステムに成り下がってるのは明白。でも俺にはそんな状況を制御する力もなく、そんな立場でもない。

じゃあ、せめてプライベートでは、自分の納得行くコードを書こう。俺が思う最強の設計で、俺が一番気持ち良いコードを書いてやろう。

確かに、そうやってプライベートでコードを書いている間は、自分が全てをコントロールできて気持ちが良い。こういうストレス解消法は、ナシじゃないと思う。

ただ気になるのは、「プライベートでは自分で制御できていたことが、仕事上では依然として制御できない」というのは、逆にストレスが増幅したりしないだろうか? というのも心配になる。

それはそうなんだけど、

ってことにはならないだろうか、というか、なりそうだ、というか、なりかけてる、というか。

「俺には出来るのに」「俺がやればうまくいくのに」と、「のに」という言葉が増えてしまって、仕事上でのストレス耐性が下がっているというか、同じことに対して受けるストレス量が増えてしまっているような気がする。

プライベートで「制御できている感」を満たしてあげる、というのは、場合によっては逆効果なのかもしれない。仕事に全く繋がらないことでストレスを解消した方が良いのかもしれない。しかし自分は、ある意味「趣味」(パソコン) を仕事にしてしまった。休みの日に「プログラミング」がしたいのである。それを仕事上の「プログラミング」と一切結び付けずに切り離して捉えるのは難しい。

嫌なことばかり過学習してしまっている

ココまでのストレスを見返していて、自分は嫌なことを繰り返し思い出しては、自分自身に強く印象付けてしまっていることに気が付いた。

実際にイライラした現場って一瞬なのに、その手前から待ち構えているし、その現場が終わったあとも繰り返し思い出してはイライラしている。自分が全然、「今この瞬間」というモノを生きていないことを感じた。

「過学習」というのは、機械学習の分野の言葉だが、人間も同じだなと思った。狭い世界での出来事を繰り返し認識して、「バカを見かけたらイライラする」という変な条件付けが出来上がってしまっている気がする。

俺も暇なんだなー、他に考えることないのかな?って自分で思う。

もっと楽しいことを考えなきゃ

先日、自分が7・8歳頃のビデオを久々に見返した。

テープの最初、自宅の様子が映ってた。父がビデオカメラをテレビに接続していて、自分の顔がテレビに映っていた。その様子が面白く、幼い俺はカメラの前で暴れ回り、弟と一緒に悪ノリして下半身を露出させてゲラゲラ笑い転げたりしていた。

ビデオは家族旅行のシーンに切り替わる。クルマでの長距離移動中、幼い俺はひたすら「プロアクションリプレイ」でコードサーチをして、ノートに何かメモしていた。

かと思えば、サービスエリアの端っこにある木によじ登り、父が撮影するビデオカメラに向かっておどけている。弟を引き連れて川に飛び込み、全身びしょ濡れになり、着替えがなくて母親が必死に洋服を乾かしている間、弟と俺は全裸で走り回っている。…20年以上前のおおらかな時代で、他に人もいない田舎町だから出来たことだw

旅館に着いてもベッドの上で宙返りを繰り返し、大浴場やゲームコーナーに向かう道中は常に全力疾走で走り回っている。犬かな?w

あれだけ暴れていたのに、次のシーンでは俺一人が先に撃沈して寝ている。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマーティ顔負けの物凄い寝相で、周りでは弟が歯を磨きながら遊んでいたり、両親は旅館のテレビを見ていたりするのに、そんな周りの騒音で起きることはなく、爆睡している。そして翌朝はまた建物の外壁を利用してロッククライミングを始めて騒ぎ倒していた…。

自分の人生の中でも、小学生時代は一番楽しかったと思う。ビデオの中の自分を見るに、記憶違いではなさそうだw。幼い自分は、朝から全力で遊びまくり、次にどんな楽しいことをやろうか、カメラを回す父に向かって何を仕掛けてやろうか、そんなことをずっと考えているようだった。というか、頭で考えるよりも先に、「あっコレ面白そう!」と思った瞬間に体が動いていて、計画性もへったくれもない様子だった。

子供の頃だって、日曜の夜は「明日学校だ〜」と憂鬱な気分になったり、夏休みの宿題は億劫だったりしてたはずだけど、家族旅行のビデオに映る自分はそういう、「嫌なこと」に全く時間を費やしていないようだった。

会社員になってからというもの、金曜の夜から「土日が終わったらまた仕事だ…」と考えてみたり、土曜の昼時点で「あと1日半しかない」、日曜になると「うわああああもう嫌だあああ逃げ出したいいいい」と、ずっと仕事のことが頭の片隅にある気がする。仕事が嫌いなクセに、ずっと仕事のことが頭から離れないらしい。他に考えるべき楽しいことはないのだろうか?

今を楽しく生きる

大事なのは、今この瞬間を生きることなのだろう。「過去」や「未来」は自分の頭の中にしかない。過去を繰り返し再生しているのは自分で、その間の「現在」を犠牲にしている。未来のことなんか、まだ起きてすらいないのに、「現在」を犠牲にして考えを巡らせていたりする。

エンジニアという職業上、あらゆる面から物事を検証して矛盾なく成果物を作らないといけないので、ついつい「コレがああだったら」「後でこういうことが起きたら」という頭が働いてしまうのだが、自分はそういうことを過学習しすぎていて、仕事に関係ないところまでそういう思考が染み付いてしまっているようだ。

システム開発における考慮事項って、ほとんどが「エラーハンドリング」の話なのよね。正常系なんて誰だって簡単に思いつくけど、その正常系から少しでも外れるモノをどうするか、ってところに注意を向けるのがエンジニア。というワケで、エンジニアが考える「たられば」ってネガティブな話題が多くて、「もしコレが実現したら嬉しいな」とか「こうなったら楽しいな」なんていうたらればとは傾向が違うのだ。つまりココでも、悪いことばかり考えてしまうという過学習・条件付けが出来上がってしまっている。

自分の場合、仕事と趣味の領域が極めて近いので、プライベートな時間も似たようなことを考えてしまい、過学習に拍車がかかっている。考えている内容がどれも「楽しくない」、楽しいことじゃないのだ。

子供の頃の俺は、「今この瞬間が楽しい」ということを全身で享受していて、次やることも楽しいことばかり。友達と喧嘩した過去とか、休み明けの未来のこととか、そういう、「現在」でない、「嫌なこと」に考えを巡らせる時間なんかなかった。あの頃が楽しかったのは、頭の中で考えてることがずっと楽しかったからじゃないか、と思った。

最近の自分は、何か「楽しいこと」を考えただろうか?YouTube をダラ見しているけど、俺は目の前のコンテンツの面白いところを味わおうとしているか?どれもしていなくて、代わりにやっているのは過去や未来の嫌なことを考えることばかり。「楽しい時間」を自分で減らして、「嫌な時間」を自分で増やしているな。

「今日あった感謝したいこと日記を書く」みたいなストレス対処法があったりするけど、それも「ポジティブなことを意識的に考える訓練」だと思うと納得がいく。ただ、一度「なーにが感謝日記だよくだらね」と思ってしまうと、なかなかそれを実践しようというモチベーションにはなれないところもあるけどw

電車通勤も毎日イライラしてたけど、在宅勤務となるとガチで景色が毎日変わらなくて、過学習から抜け出す術がない。

こういう人間的な過学習の対処法は、「汎化能力」を養うことだと思う。自分のパターンにない未知の情報にぶつかって、それを適切に処理しようとする、っていうことを繰り返していくと、サンプルの「種類」が増やせて、嫌なことを繰り返し考えてしまうところから抜け出しやすくなると思う。

情報をフィルタリングしていいのか、しない方が良いのか

普段と違うインプットを入れようと思って、「ネットニュースを全ジャンル分け隔てなく読んでみるか」なんて考えると、自分が楽しいと感じる情報だけでなく、自分が不快に思う嫌いな情報も同時に大量に入ってくることになる。コレはコレで物凄いストレスだ。

そもそも俺は、嫌いな情報を目にしてイライラしたくないから「Neo's Hatebu」を作ったはずだ。目視で情報をフィルタリングしようとすると、嫌な情報を一瞬でも見てしまい、ストレスが増えるから、最初から機械的にフィルタリングしておこうとしたワケだ。

この板挟みだ。

やはり、パソコンやインターネットから離れる必要がある。しかし、外もイライラする NPC が多いし、未だ病気をもらうのが怖いところもある。

子供はそんなことも関係なく、トイザらスで走り回れるのに、どうして俺はそうなれないんだろう。実際に子供みたいにはしゃぎ倒そうって意味ではないけど、どうしても要らんことを考えて、自分で自分の行動や思考を制限している気がする。賢く大人になったつもりかもしれないが、何もしてないオジサンだよなあコレじゃ。

嫌なことにも頑張って触れて、耐性をつけようとした方が良いのか?この30年間、耐性なんか付かなかったし、遠ざけておかないとブチ切れて何かヤバいことをやらかしてしまいそうなところまで来ているけど。

悪い情報だけは完全にシャットアウトして、良い刺激だけ取り入れる方法があれば良いんだけど。

とりあえず、楽しそうなことをもっと考えてみます

今のこの状況、自分は望んでない。つまらなく生きてる自分のことを、好きなはずがない。

「道も譲る、自学できる、何も悪いことしてないのに何で自分をもっと変えなきゃいけないんだ?世界の方が変われよ。」未だにそんな風に思ってる自分もいて、自分に対して変化をもたらすのはしんどいが、「楽しそうなことを探す」っていう方向で改善策・目標を定めるのは、無理がないし、効果がありそうな気がしてる。

明石家さんまが語る有名な話がある。師匠にトイレ掃除を任され「それ、楽しいか?」と聞かれ、「いや、楽しくないです」とさんまが答えると、師匠に「どうしたら掃除が楽しくなるか考えろ」と言われた、っていうヤツ。芸人として、どんなモノも面白く捉えてみせろっていう話なんだろうけど、芸人じゃない自分にも適用できそうな言葉だと、ふと気が付いた。

そんなさんまも、離婚して子供と離れて暮らしたりはしていて、(自分の境遇も近いし、) 全てが順風満帆だから楽しく過ごしているワケではないんだな、とも思う。

それでも明石家さんまが何歳になっても楽しそうに見えたり、プライベートで一般人と遭遇しても神対応が多かったりするのって、「楽しいことを考える」ことが習慣化して、それが表出してるのかな、と思う。

自分の子供にも、「いつもカリカリしてるお父さん」ではなく、「いつも楽しそうなお父さん」として見てもらいたい。。楽しそうな姿を見せられたら、子供にも喜んでもらえるかもしれないけど、イライラしているように見られても、良いことは一つもないだろう。

すんなりとは行かないだろうけど、まずは今を楽しく考えることから。