妥協と評判と品質と

何かものを作るとき、どうしても妥協しなくてはならない瞬間がある。時間が足りない、人手が足りない、色々な制約から自分が最善だと思う手法を取れない、理由は様々。

「あ~どうせただの仕事だ」っていう諦めの中、やっつけ仕事で作り上げてみると、思いの外評判が良かったりする。

逆に、妥協することなく取り組んで「これは自分の力作だ!」と思っていても、世間的な評判が悪かったりすることもある。

作る側にとっての品質って、「妥協せずやり遂げた」とか「より良いものになるよう何度も手直しをしてにじり寄っていった」とか、そういうことで感じる気がするんだけど、

受け手にとっては、作り手がどれだけ頑張っていたかとか、どれだけ本気の思いを持っていたかとか、そういうものは成果物自体の評価には混じってこない。

というか、作り手と受け手の間に、「出来上がったモノ」というものが挟まると、作り手の気持ちも届かなくなるし、受け手もそれを感じられなくなる、不思議な関係があると思う。

受け手がどう思うかを逆算して作るものを考えるのがマーケティングで、受け手がどう思うかをコントロールするのがセールスだと思うんだけど、いずれにしても、作り手はどれだけ本気だろうと、その気持が伝わる時と伝わらない時があって、さらには作品の評価も、やっつけ仕事が評価されたり、頑張ったものは評価されなかったりする。

どこに違いがあって、どうするとそれをクリアできるのか、明確な境界線は見えないけど、作り手にできるのは諦めたっきりにならないことだと思う。

諦めて作ったものが評価されることはあるけど、諦めたまま投げやりな仕事を続けていくと、必ず質が落ちていく。理想を持っていないと、妥協した位置が自分の最高点になるんだと思う。

諦めちゃいけない。あきらめるくらいなら、そんなものはやめてしまったほうがいい。違うことを始めるほうがいいだろう。