なぞなぞ解く前から答えガン見するヤツ

私です。

「謎解きカフェ」という、脱出ゲームの一種に行ったのだけど、自分が何に満足感を覚えるか、人とズレてるのかなと思ったことがあったので書く。

自分は、「この部屋の鍵を開けるパスワードを探してね!」と言われた時に、「ネット検索してこの謎解きカフェの答えが載ってるサイトないかな」と考えたり、「パスワードを入力するキーボードの、キートップのかすれ具合からよく押されてるキーを見つけてキーワードを推測できないかな」とか考えてしまう。

要するに、与えられた問題を自分で考えて解くという真っ当な手段を最初から選ぼうとしないのだ。

自分は何でそうなのか、ってことを色々考えていて、なかなかに具合悪くなった。

早く答えが知りたい

一番の理由はこれだろうか。既に明確な答えが存在すると分かっているものに対して、早くその答えを知りたいのだ。答えが分からないでいる時間が数秒でも苦痛なのだろう。

数学の問題とか解きたくない。答え裏に載ってるじゃん。

一度誰かが考えたことを自分がまた考えたくない

「車輪の再発明」を避けたい、というか。

誰かが既に考えたことがあって、その結果がある程度出ているのであれば、その同じ答えに辿り着くまでの道のりを省略したい。他人はどこまで辿り着いてるのか、を先に知ってしまって、自分はそれを糧にして、その次を考えたりしたい。そう思ってしまう。

自力で解く快感がないわけではない、が。

自力で解く面白さが全く分からないわけではない。自力で解けたら俺 SUGEEEEE な優越感を覚えるし、真正面からチャレンジしてみようという気持ちが起こることもある。

だが、大抵はそれよりも、早く答えが分かることが先決で、誰かが決めた答えをわざわざ調べることが面倒に感じるのだ。特に「なぞなぞ」のような、時に屁理屈をこねる意地悪な問題に対しては、端から向き合う気が起きないこともある。IQ サプリとか大嫌いだった。

遺伝の可能性

うちの母親は、2時間ドラマ、推理サスペンスが好きだ。だが、冒頭の10分で登場人物を見たら、ラスト15分の崖のシーンまでロクに見ておらず、誰が犯人でどういう動機だったか話すシーンだけ見て満足している。

小説版を読んだことがあるとか、役者の顔ぶれで犯人が分かるとか、そういう理由からテレビ版に興味がないのかもしれないけど、とにかく、推理ドラマを「一緒になって推理しよう」といった見方は微塵もしていないわけである。「手段や自分の能力はどうあれ、結果として答えが分かりさえすればいい」みたいな感覚が、とても近い気がする。

ぼくは先に答えを知っていてもなぞなぞが楽しい

というか、下手したら答えが分かってて問題を読む方が楽しいかもしれない。なぞなぞ絵本とか最初に本を逆さまにして答えだけ頭に入れてから問題読んだりしてた記憶あるし。

でも、ぼくはそうやって問題に向き合うのが割と楽しいのだ。問題と答えがほぼ同時に分かっている状態が心地よく、ただしそこで思考停止ではなく、問題がこうだったらどうなるだろう、とか、答えに矛盾はないだろうか、とか、そういうことを考える方が好きなのである。

こんな楽しみ方はダメなんですかね。