「ノート」と「メモ」の違いを考える

「ノート」と「メモ」はどう違う?

個人的には以下のような感覚で使い分けていた。

さて、この感覚は合っているのか。各種文献から引用してみる。

まずは英単語としての意味を調査。

  1. ~を書き留める
  1. 〔社内の〕回覧状、連絡票◆【同】memorandum
  2. 〈英話〉メモ、覚書◆【同】memorandum

次に「覚書」、Memorandum の Wikipedia。

あるトピックに関する出来事や観察結果を記録することにより記憶を助ける行為、および記録した文書(備忘録)、またはその他の情報伝達手段。

うーん、分かったような分かんないような?

では既に「ノート」と「メモ」の違いを論じている記事はどうか。

自分用ならnote誰かに渡すためならmemo、誰かに意見を伝えるためならcomment、という具合です。

日本語でふつうメモというものはnoteにあたり、ちょっとした連絡事項はmemo、コメントはほぼそのままcommentです。

また、面白い表現を見付けた。

ノートというのは 受信記録メディア です。あなたが「受信した」情報を記録し、あなた自身と一緒に持ち帰るためのメディア、それがノート。

メモは送信用メディアです。あなたがメモに書いたものは、そのメモを他の人に渡すため。自分の手元にとっておくためのものではありません。ToDoリストのように使う場合は確かに手元にありますが、手元にあるメモはじきに破棄する存在です。
メモというのは floating な存在です。常にあなたの手元から無くなる。メモというメディアは、このように「他人に渡しやすい」ように作られたメディアです。

表現の仕方がそれぞれ異なるが、概念の方向性はどれも同じようだ。

ところで、「フロー情報」と「ストック情報」という概念

「メモを取る」「ノートを取る」どちらも不自然な気はしないが、個人的には、後輩に対し「人から何か見聞きした時は『メモ』ではなく『ノート』をとってほしい」と言っていた。「ノート」の方が、自分自身の知識の吸収のために情報が体系的にまとまっており、読み返した時に有用なもの、という感覚があった。一方「メモ」を取ってしまうと、体言止めで単語だけピックアップして書いてあり、それをどうするのか、といった体系的な情報は文書化されていない状態。その「メモ」はそのまま残しても有用ではなく、ずっと頭の中で正確に覚え続けておくか、正しく残すなら清書しなくてはいけない、というような感覚があった。だから「メモではなくノートを取ろう」と表現していた。

その感覚は、情報の性質や有効期限の違いで、「フロー情報」と「ストック情報」という区別の仕方がある。

ざっくり言うと、これら2つの情報は、

  • フロー情報 …… 「寿命が短い、日々流れていく情報」
  • ストック情報 …… 「いつでも探しやすい、まとまった情報」

というような区別があります。

その名の通り、フロー(流れる)情報とストック(貯まる)情報という違いですね。

個人的な感覚では、

という感覚があったのだと思う。先程の「メモとノートの違い」と照らし合わせても、方向性は近いものがある。

明確な区別はないものの。

英語で「Difference Note Memo」などと検索すると、英語のフォーラムでも同様な違いが論じられている。ニュアンスは上述のような違いがあるものとして回答が載せられているが、ネイティブでも「よくよく考えないと言葉の違いを意識しない」ということなのだろうか。

JAS 規格における「そうめんとひやむぎ」のように「明確な区別」というものがあるわけではないが、今回はある程度、「ノート」と「メモ」の概念の違いをまとめてみようと思う。

「ノート」は自分のための記録メディア

「ノート」は、日本では「Notebook」の短縮形として用いられているように、本・帳面の形状をしていることが多い。つまり、情報はその中に閉じ込めておく、ということになる。

情報を閉じておくということは、「ノート」とはそれを開く自分自身のための記録媒体と考えられる。見たものや聞いたものを自分の備忘のために記録する媒体なのだ。

「ノート」は帳面の形で長期間残しておけることから、情報の性質としては「ストック情報」を扱うことが多くなるだろう。

「フロー情報」を書いてはいけないというワケではないが、「自分が開いた時に意味のあるもの」にするには、「フロー情報」(時間経過によって無用になる情報) の塊ではあまり意味がない。

「メモ」は周りの人に影響を与える記録メディア

「メモ」というと「メモ帳」を連想するが、「メモ帳」は「ノートブック」と違って、紙を引き剥がせる形状をしていることが多い。これはつまり、情報をその帳面に閉じておくのではなく、むしろ帳面から取り出して外に発信するためのもの、ということになる。

紙を引き剥がして外に晒す、ということは、その紙を自分以外の誰かにも見せたいというワケだ。その紙の情報をもって、相手と合意形成をしたり、相手に何らかのアクションを取ってもらったりするために使うと考えられる。

紙ッペラを引き剥がすということは、台帳管理している紙よりは処分するまでの期間が短いイメージを持てると思う。そうすると情報の性質としては「フロー情報」が多いと思われる。

「Memorandum」の和訳は「覚書」であることから、相手と合意を取った証拠として長期間残すこともあるとは思うが、「いつまでもその紙の情報が必要かどうか」で考えると、「相手と合意を取り終わり、やることが済んだら不要になるもの」といえる。だから「ノートブック」と違って紙の集合体として保存しておく形状もとっていないということだ。

一言で違いを表現するなら

当初自分が持っていた感覚は概ね合っていたが、「メモは外部発信するもの」という感覚があまりなかったので、その性質を含めて違いを一言で表現してみた。

学校の授業で取るのは「ノート」だけど、電話に代理応答した時に取るのは「メモ」。

これでどうだろう。

これで両者の性質の違いを表現できたのではないだろうか。

あなたは「メモ」を取っている?「ノート」を取っている?

どちらが大事でどちらが不要とかいう話ではない。

その場で記録する情報はどういう属性・性質を持つ情報なのか。なぜその情報を記録しているのか。

その辺をよく考えて情報を適切な媒体で記録することで、自分にとって、周りにとって、有用な情報を記録することができるようになると思う。