「ハドソン川の奇跡」を観た
クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演。2009年1月15日に実際に起きた「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の実写化。
あらすじ
本映画は実話を基にしているのでネタバレも何もないと思うけど。
バードストライクにより、真冬のハドソン川に不時着した US エアウェイズ1549便。機長のサリーの的確な判断によって死者0名という奇跡的な結果となり、彼は一躍英雄視された。その一方で、政府当局からの追及を受け、サリーは自分が本当に「的確な判断」をしたのか疑心暗鬼になっていく。
政府当局はシミュレータによる事故再現で、バードストライク後に空港に無事引き返すことができた、ハドソン川に不時着させて乗客を危険に晒す必要はなかった、と主張する。サリーと副操縦士は当時の状況を思い返すが、自分たちにその可能性はなかったように感じる。そこではたと気が付くサリー。
シミュレータで再現していた内容は、「バードストライクが発生したら直ちに空港へ引き返す操作を始める」というシナリオありきで行われており、これは事故発生時に規則どおりに行うチェックリストを参照していないことになる。つまり、副操縦士がマニュアルによる事故対応を行う中で、経験を基にハドソン川への不時着を決断するまでの「思考時間」を一切考慮していなかったのである。
そこでサリーは、政府当局に「事故発生から空港へ引き返す決断をするまでの間の時間を設けて、再度シミュレータを実施してくれ」と反論する。実際は2分40秒ほど決断に時間を要していたが、実際は約40秒ほどの間隔を開けただけで、全てのシミュレーションが空港に辿り着けず墜落する結果となった。サリーと副操縦士の経験による判断と操縦テクニックが、コンピュータのシミュレーションにはできなかった奇跡を起こしていたことが証明されたのである。
レビュー
みなさんよくご存知の実話、なので、回想シーンは最低限の内容だけ、という感じで、映画全体がダレないようになっていた。
日本では特に英雄視された機長の様子しか報じられていなかったので、当局からあれほどのバッシングがあったというのは少し意外だった。まぁそうはいっても、再発防止のためには原因をとことん突き詰めて、本当に操縦士にミスがなかったのか調査しきらないといけないのは分かる。
サリー自身も、理性ではそれを理解しているだろうけど、やはり人間、自分に落ち度がなかったか不安にもなるし、もしあれがニューヨークの街中に墜落していたら…と想像すると恐怖もあるだろう。街中に墜落するリアルな CG による妄想のシーンが2回登場するのは、ちょうどニューヨークで発生した 9.11 を連想させるものだし、あのような事態を自分が起こしてはならない、という意識は人一倍持っていたはずだ。
だから、シミュレーションでは空港に引き返せた、という報告を最初に聞いたとき、「まさか、そんなはずはない」という自分の判断を信じるだけの十分な経験値があったものの、一方で「自分の判断は最善ではなかったのか?」と混乱する様子も表れていて、なかなか当人にしか分からないであろう葛藤をイメージしやすく演出されていたと思う。
結局は、「現場で培った経験値がなければ、いくらエリートがコンピュータでシミュレーションをしても、机上の空論に過ぎないだろう」といった要旨でサリーに落ち度がなかったと証明されるワケだが、これは本当に共感するところだった。知識ばかり追い求めると、「誰かが既にやったことなら、自分は見聞きすればそれだけでその人と同じ位置に立てている」かのような錯覚を覚えがちである。しかし実際は、その人がその結論に至るまでにその人がどのような知識を動員してそう判断したのか、そうした過程を習得できていないから、見聞きした知識が自分の知恵に昇華できないのである。決して何もないところから湧き出てくる「生まれもっての感性」がそう判断させたワケではなく、これまでの経験や知識を応用して判断した知恵、「サリー自身の経験則」であるから、サリー以外の人には真似ができなかったのである。
コンピュータも最近はいい線いってるかもしれないけど、やっぱり最後は人間の経験がモノを言うんだ。コンピュータはインプット情報に忠実に従って結果を返すので、インプット情報を与える人間が大事なものを見落としていると、正しい結果は得られない。そして正しい結果を得られているのか判断するにはやっぱり人間の方が知恵をつけておかないといけないんだ。
そんなことを言われているような気がして、プログラマとしては同意するとともに、自戒の念を抱かざるを得なかった。