真面目系クズのメンタルがヘラったら意識すること : 「~しなければ」を止める

ぼくは真面目系クズというか、几帳面で神経質な部分と、自分勝手で適当な部分との境界が自分の感覚でしか存在しないので、「この問題はどうでもいい」「これはきちんとしないと気が済まない」の境目が人に伝わらなかったりする。

んで、どちらかというと自分で決めたルールが足枷になっていて、何か外的要因で、疲れたり困っていたりしてメンタルがヘラってきたときに、その自分ルールが鬱に拍車をかけることがある。

例えば、「毎日○○をする」みたいなルールとか、「今日は洗濯機を回す」とか、そういうことを決めてあって、でも疲れてやる気がおきなかったりしてできないでいると、余計に憂鬱になるのだ。

憂鬱になる問題本体だけでなく、それによって自分ルールがうまく回せなくなっていることで、余計に苛立ったり、ぐったりしたりする。

だからこういう時は、自分ルールを捨てるよう努力する

「毎日家計簿を付けねば」「毎日筋トレしなくては」なんて、別にしなくたって生活はできる。単に「今を生きる」ということだけ考えれば、しなくていい。だから今日はしない。

「毎日ブログを書かねば」なんて愚の骨頂。誰も頼んでないし何の利益もないし、勝手にルール作って何を疲弊してるんだ。やめちまえ。

洗濯機も別に今日回さなくたって困らない。1ヶ月回さないでいて、着る服がなくなったら、出かけざまにコンビニでパンツも靴下もシャツも売ってるんだから適当に買って着りゃいい。どうせ洗うことに真剣になってないんだから、普段からどうでもいい格好してるんだろう、毎日適当に安い布買えばいい。

…ぐらいに目線を落とす。

何かを「しなければ」と思うから辛くなるのであって、「別にやらなくていい」「やりたくなったらやればいい」と目標を下げて、「どうせ俺にはそんな自律力ないんだから諦めろよ」と自分を諭す。

自分が思っていたように動けないことを認め、「ハァー何にもできねぇな~俺!だからあきらめよう!」となることで、今現在のタスクを減らす。

ココで諦めたことは「明日2倍やろう」とか考えない。諦めた分を挽回しようとか考えない。今日はどうでもいい、考えるのはそこまで。そう落とし込む。

こうやって「やらねば」と思っていたタスクを削ると、1日は本当に暇になる。何をしたらいいか分からなくなるぐらいだ。あんまりにやることがないと、憂鬱になる問題本体だけに意識が集中してしまい、深刻に悩むことになってしまってダルい。

だから後は、肉と野菜をバカ食いして早く寝る。これで明日は元気になれる。

部屋は汚れるし、きちんと生きられていたら発生しなかったような出費が発生することもある。でも多分自分には「きちんと生きられていたら」なんていう「もし」は発生し得ないと思う。そんな出来た人間じゃないんだ。認めて楽になろう。今日は上手くいかなかった、それでいいのだ。