学校におけるいじめに関する極論
「世の中にはやり返せない人もいる」とかいう配慮一切抜きで。
ぼくは極端にいじめられたことはないが、それはいじめの気配を感じた時に過剰に反撃したことが2回くらいあったからかなと思ってる。
粋がったヤンキー女グループがちょっかい出してきたときは、1人のチビ女の軽い蹴りに対して顔面にハイキックし返したのちに手出ししてない女もぶん殴った。田舎の学校に転校して、お調子者数人に「都会っ子がきた」と茶化されてたときは、教室全体に向かって「負け惜しみはそんだけか田舎モンどもがバーカ!お前ら全員下に見てるからな!死ね!」と言い放った。
ヤンキー女グループとはそれ以来何もなかったし、田舎者の学校では最終的に「下に見ていた」人たちと仲良くなって都会に戻った。
いじめっ子は「いじめた奴の反応が面白い」からいじめを続ける。彼らにとっては泣いてる相手を見るのが最高の楽しみなので、「やっても面白くないな」「いじめても得がないな」と思わせることが大事。
一つの方法は「何をされても、何もされていないかのように無視し続ける」こと。いじめ甲斐がないと思われれば、いじめっ子は飽きて別のターゲットに移る。
ただ、最近のいじめはよく分からない。なんか子供のレベルも下がってると思うので、「相手が嫌がる反応を見せないから飽きる」という思考回路じゃないかもしれない。
確実に変化が期待できるもう一つの方法は、「相手がした以上の反撃を一気にする」こと。泣きながらちょっと叩き返したぐらいでは、「おっ、こいつ怒ってやんのwww」と燃料を注ぐだけ。相手には少しド突かれた程度でも、過剰に反撃する方が、「なんだよコイツ危ねえわ」と思わせられる。
だからぼくはハッキリこう言う。いじめられたと思ったなら、いじめっ子を殺していい。現実的には、人ってなかなか死なないので、自分に手錠をかけられて動けなくなるまでは、いじめっ子の頭を掴んで地面に叩き付け続ければいい。奴らは自分たちが被害に遭わないと思っているからいじめをするのだ。自分がボコボコにされる、ましてや生命の危険を脅かされるなんて思ってもいないだろう。
かつて弱い者をいじめても良いと思っていた人間が大きくなってまともになるわけがないし、まともになったら許されるわけでもない。こういう腐った人間は早いうちに死なせて、人類の品質を高めておくに限る。自分が被害に遭って暗い生き方をして、いじめっ子たちが喜ぶ人生を提供してやる価値なんてないのだ。
いじめの比較的早い段階でやり返しておかないと、いじめっ子側も多勢に無勢で反撃してくるので、ターゲットにされた自覚ができたら、近いうちに機会を伺ってボコボコにしておいた方が良い。
暴力沙汰を起こすときは、事前に親に話しておくと良い。親なら味方してくれる。
学校の先公には何も言わなくていい。というかあいつらはいじめっ子の味方で、こいつも敵だ。自分や学校の保身のために、いじめを表面化させる気がないので、いじめられる方に泣き寝入りさせるつもりでいる。そんなことさせるな。正しいのは君だ。
アンパンマンもバイキンマンをぶん殴って解決している。悪いヤツに何かを分からせるには暴力しかないということだ。それは野蛮でも低俗でもない。こちらがわざわざ、奴らに分かる「暴力」という低級な言語を選んで対応してやっただけだ。こちらが話せないわけではなく、向こうに話を聞く脳みそがないから「話し合いで解決出来なかった」だけで、こちらに悪いところは一つもない。残念ながら、自分にだけ学があっても、相手に同じだけの学がないと伝わらない。そういう時は相手の学に合わせてこちらのレベルを下げてやるしかない。暴力とはそういうことだ。
主に学校内のいじめに関しての所感として書いたが、大人だって同じだ。というか、大人になると「親や大人に叩かれる」ことがなくなるので、さらに歯止めが効かなくなってるといっていい (こういう言論を述べている自分含め)。
そんな大人に何かを分からせるなら暴力しかない。暴力沙汰は社会的に抹消される危険が大きいので、自分の保身を考えるなら少しはやり方を考えたいところだが、被害者としてみじめな生き方を続けるよりは、そいつを刺し殺して満足感を得た方がいいんじゃないかと、極論としては思う。
今の司法が加害者を悪として裁き、自分が逮捕されようが刑務所に入ろうが、自分をいじめていた悪い奴を殺せたなら、それ以上幸福なことはないだろう。いくら誰が何を言おうと、もうそいつはこの世にいないのだ。ざまぁみろ。
……もちろん、ホイホイ人を殺してたら自分も死刑になるので、そういう「メンタル」で立ち向かってほしい、ぐらいの言葉で濁しておきたいが、奴らがのうのうと生きてるのはいじめられることを「許容」した自分にあるかもしれない、と思ったら、このままではいられない。絶対にやり返せ。