New Cinema 蜥蜴 - Free Bird と、Project Arms

確か小学校5年生になった時。クラス替えがあり、小学校高学年になったということで、クラス内で「係」の制度が登場した。「飼育係」「掃除係」「給食係」など、いくつかのジャンルが先生から提示されていて、全員がどれか1つの係に所属することになっていた。

どう決めたのか覚えていないが、何も希望するものがなかった自分は、成り行きで「風紀係」みたいな係に所属した。自分の他の風紀係のメンバーは、皆同じようにやる気のない不真面目なメンバーばかり3・4人で構成されていた。どちらかというと、ちょっと不良っぽいというか、先生に怒られていてもちっとも悪いと思っていないような、悪ガキたちばかりであった。

担当の係が決まると、先生は「最初の1週間のうちに、『自分たちの係が毎日やること』と『1週間の成果としてクラス全体に発表すること』を決めておいてください。来週発表してもらいます」と言った。要するに、言われたことをやるだけではなく、自分たちでやることを毎日決めよ、と。そして、やったことがクラス全体のためになるような目標設定をしろ、と。そういうわけだった。

他の係の人たちは、どこも役割が比較的明確な係だったので、「毎日やること」や「毎週クラス全体に発表すること」を求められても、サクッと決まっていた。例えば掃除係だと、こんな感じだったと思う。

指示された内容を両方とりあえず満たせている。

一方、ぼくが所属した「風紀係」は、そもそもが活動内容が見えづらい名前の係で、「毎日やること」なんて見えなかったし、「クラス全体に呼びかけること」もなかった。

自分は必死に考えていて、クラスメイトと相談する時間も色々考えては案出しをしていたが、他のメンバーは不真面目くんばかり。みんな「やりたくないことなんだから考えねえよ、俺は」みたいなことを悪びれる様子もなく言ってた。自分はやる気があってこの係を選んだわけではなかったが、適当なことやって怒られるのは嫌だった。だから必死に何かやることを探さなきゃと思っていたのに、みんな協力してくれなかった。

その日の夜、ぼくは布団に入ってからも色々考えていたが、毎日何をしたらいいのか分からず、とうとう泣き出してしまった。

狭いマンションで、隣に普通に親が寝ていたので、泣いている俺をすぐに見つけて、俺は両親に顛末を話した。

両親は一度寝始めていたのに、3人で机を囲んで座り、紙を広げて、俺のために小学校でやれそうなことを書き出してくれた。他の係はどうしていたかとか、先生がどんな指示を出していたかとかを俺から色々聞き出して、「だったらこれはどうだろう」とか「こういうことをしたらいいんじゃないか」とか出してくれた。

特に親父が出してくれた案が良くて、最終的にそれを採用した。

父「風紀係なら、良いクラスになる標語みたいなのを呼びかければいい。
『廊下は走るな』とか『授業の始まる前に席に着く』とか、そんな当たり前のことでいい。
そんで、先生は何か形のある「成果」を出せと言ったワケではないんだったら、
月曜に『クラスに標語を発表して呼びかける』として、火曜から金曜までは毎日『標語を考える』って行動計画にすればいい。
考えてるのか考えてないのかなんて、外から見て分かることじゃないし、どうとでも言える。
係のメンバーが考えてくれなくても、一人で1日10個ぐらい思いつくだろう。なんなら今から一緒に40個ぐらい作っておけば1年もつだろう。」

マジで親って天才だと思った。

先生は毎日何かを提出しろとか言ったワケではなくて、毎日何かをやれ、としか言わなかった。だったら、「考える」という行為をしたことにすればいい、と。考えてなくても「考えてまーす」と言えばよくて、考えていない証明はできない、と。

それに、毎日本当にその分だけやっておくのではなくて、予め前もって色々やっておいて、毎日やったように見せかけて小出しにしていけばいい、と。

当時ここまで理路整然と親の話を聞けたワケじゃないけど、こういう方法で切り抜けられるってことはこの時学んだ。

最初は泣くほど混乱していた俺だけど、毎日やること (やったことにできること) のアイデアを貰ったら凄く安心した。

結局、他のメンバーは本当に何も考えてこなくて、「誰かが何とかするだろう」とも、「何も決めてなくて怒られたらどうしよう」とも、何とも思っていない様子だった。あいつらのあの肝の座り方というか、腐りきった諦観は何だったのだろうと今でも思う。そこで俺が「標語」のアイデアを出して、本当に毎日「今日は標語を考えた」で済ませるようになっていった。一応何かやった風に見せるために、標語は短冊に書いてクラスの掲示板に貼ったりとか、「金曜は1週間の標語を守れたかみんなに聞く日にする」とか、自分なりにアレンジしたけど、結局親のアイデアがほとんどそのままだったし、風紀係をやっていたのは俺だけだった。


…記事のタイトルが間違っているワケではない。

泣きながら親に相談して、「標語」というアイデアをもらったあと、親がふとテレビを付けると、何やらカッコイイアニメがやっていた。それが Project Arms だった。

2010年代の人が分かる例えで言うと、「モンスターエンジンがやっていた手が怪物になっているコント」そのもので、主人公の腕に怪物みたいな兵器が移植されて、それを使って何か戦うみたいなアニメで、ちょいグロくて、でも何かダークな感じがカッコ良かった。

それから毎週夜更かしして見ていて、しばらく親父と一緒に深夜アニメを見るブームがあった。最初は「頭文字 D 1st Stage」か「ラブひな」あたりから始まって、Project Arms の後の「天使な小生意気」ぐらいまでは、何だかんだこの辺の枠の深夜アニメをちょっと見てた。

自分の中では、ダークな SF というと、「AKIRA」とその次にこの Project Arms の世界観がどこかに入ってくるようなイメージがある。「邪気眼」的な、中二病設定なのも年齢的に凄くクールに感じてた。

…残念ながら第2期は全然見ていなくて、見ていたはずの第1期も内容は全然覚えていないのだが、オープニングの「Free Bird」は今でもカラオケに入れるくらい好きな曲だ。

New Cinema 蜥蜴、略してシネトカらしいが、このバンドに関しては全然知らない。ただ、90年代後半から2000年始めぐらいって、まだこういうバンド多かったような気がする。

YouTube で動画を見ていたら、第1期後半のオープニングで使われていた Breathe On Me も聞き覚えはあったので、第1期は一応通しでアニメを見ていたようだ。

何年か前も、どんなアニメだったのかもう一回見直してみたいなぁと思ったのだが、どうもこのオープニングから先の本編を見ようとすると、あの夜の暗い記憶がよぎって、ダメな奴は本当にダメで、自分が期待しても何もしてくれないし、そんなヤツがいる中でこっちが真面目にやっても何にも得しないけど、それでもそうやっていかなくちゃいけないんだよなぁ、とか思い始めて辛くなるので、なかなか見返せないでいる。