「泣ける映画です!!」という宣伝文句で映画を観たくなるの?

映画「君の膵臓をたべたい」の予告を見ていて思った。

「恋空」あたりから思っていたことだけど、「感動します!」「泣けます!」って宣伝をして、「誰かにとっての大事な誰かが死ぬ」と予告編で分かっている映画を、「あぁこれは見に行きたいな~!」と思う人って居るのか?


この手の映画って都合よく病気になったりして、物語のために「病気」を悪用している気がして、まずそこだけで気分が悪い。当事者でないヤツがその病気のことナメた扱いしてんじゃねえよって思う。

病気じゃないにしても、交通事故に遭うとか不幸な死に方するとか、そういうのも「ハイ今死にました!さぁ泣いてください!!」っていう単なる涙腺トリガーにしようとしているのがミエミエで興冷めする。作り物の誰かが死ぬと分かっていて、いざ死にましたハイ泣きますって、人類の脳味噌ってそんな馬鹿なもんじゃないと思うんだけどもう最近はそういう脳味噌になっちゃってんの?


「君の膵臓をたべたい」に関しても、何か根暗そうな男が、膵臓の病気を患っている可愛いクラスメイトから何故か都合よく好かれて、女の子のほうが死ぬとその後に「意外な真実」とやらが発覚して男が泣く、っていう映画であることが予告編だけで分かり切っていて、「もうそれ見なくていいんじゃない?」って思う。

どうせ死に方のバリエーションも一捻り二捻りしないとマンネリしてきてるだろうから、女は膵臓の病気で死ぬと見せかけてそれ以外の理由であっけなく死んだりするんだろ。「意外な真実」もありがちなストーリー (もしくはパクリ元の小説) を誤魔化すためのネタに過ぎず単なるマクガフィンとみなせるだろう。「君の膵臓をたべたい」というタイトルは男が女に対して想っている気持ちだけでなく女が男に対して想っている、相思相愛を表す伏線になっていたんだ!とかそんなもんだろどうせ。

んなもんわざわざ観に行って何を得るものがあるんだ?どこで泣くっていうんだ?人が死ぬことが分かってて、死ぬところを観て涙を流したいと思う、その神経ってだいぶ異常性癖者じゃない?そもそも「泣きたい」っていう感覚がもう大脳中枢の機能不全じゃねえかと思う。


まぁこちとら2時間ドラマの最初10分と最後10分だけ見て、誰がどういう理由で殺人を犯して、トリックがどうだったかさえ分かれば何も感じないまま「ああそうだったんだ」とだけ思ってテレビ消せる無感動人間だから、そういう人間関係だとかを軽視してるだけなんだろうなー。