フエルサブルータ考察:ランニングマンは何故走り続けるか

これは2014年6月28日に某所で執筆したブログ記事の再掲です。

背景

今年2017年8月1日、3年ぶりに日本にフエルサブルータが戻ってきた。その名も「フエルサブルータ WA!」。

フエルサ ブルータ 「Panasonic presents WA ! - Wonder Japan Experience」

自分はとっくにチケットを取っていて、ちゃんと今度行くつもり。

そこで、2014年6月、日本初上陸の「フエルサブルータ」を観に行ってドハマリした当時、興奮しながら書いた記事を引っ張り出してみた次第。

走る男が 壁も常識も打ち破る【フエルサ ブルータ】『CORREDOR/回廊』

では、2014年6月28日の記事を御覧ください。

フエルサブルータ考察:ランニングマンは何故走り続けるか

火曜日に2回目のフエルサブルータを見に行ってから考えていたこと。
理性的・言語的な思考を超越したスピードで目まぐるしく現象が発生していくので、終わってからの余韻の中で、自分なりにフエルサブルータが表現していたものを考えた。

ランニングマンは何故走り続けるか。

暗闇から姿を現し、静かに歩み始めた彼は、時に撃たれ、人混みに飲まれ、椅子や机に流される。しかし彼は決して歩みを止めない。

胸を撃たれるのはもしかしたら肉体的なダメージだけでなく精神的なダメージも意味してるのかもしれない。
周りを行く人々は諦めて舞台の奥へ落ちて行く。歩みを止めた者はどうなるか。
椅子や机は社会規範だったり共同体を表現しているのだろう。レストランにいるような環境音が流れる所がある。彼の周りには人がいる。
ベッドは安定や安心のことかもしれない。
他人とぶつかり、世間に流されそうになり、安定が得られそうになくとも、彼は決して自分の歩みを止めない。それらを最終的に置き去りにしても彼は前に進み続ける。

走ってはいるものの、実際のところ彼はその場から動いていない。
人間どこにいようと、できることというのは手を伸ばして届く範囲にしかない。あの動く床の舞台は、そんな人間一人の小さな領域の表れかもしれない。
とはいえ、そんな自分自身の舞台 (人生) でも、他人や世間に流されていたら、壁に阻まれ歩みを止めてしまったら、すぐに落とされてしまう。
壁は彼を突き落とすようにぶつかってくるが、それをぶち破り乗り越えられたのは、彼が走り続けていたからだ。
彼は自分の舞台に立ち続けるために走り続ける。

走り続ける彼は同時に葛藤する。壁に立ち向かい続けられるか。置き去りにしていったものへの未練もあるかもしれない。迷った彼はライトで周りを照らす。常に歩み続けるのは容易ではない。
悩んだ彼が見つけたのはムルガ、自分の怒りや破壊衝動に従い、抵抗し続ける道だった。自分の信念を貫くことを決意したのだ。

彼はベッドで夢を見る。立ち向かうことを決めた踊りのあとにも幻想的な空間が広がる。休息は大事だ。
マイヤーは幻想的だが、時に怒り、叫び、暴力的な面も見せる。気持ちを落ち着かせながらも、闘志の火は消えていない。

たとえ一人でも、自分が信じる道を進む。再び歩み始める彼。その後も彼の前には壁が立ちはだかる。彼は自分自身の人生から引きずり落とされてたまるかと走り続ける。
そんな彼の意志・行動を目の当たりにしてきた我々観客は、その姿に感動し、同じように自分の人生を主体的に歩んでいこうと感じ始める。それを追体験させるのが、途中から現れる二人のランニングマンとランニングウーマンだ。あれは我々だ。

そんな彼と我々の前に、最後は大きな階段が現れる。頂上で扉を開けるがさすがに勇気を失いかけ、一度は後ずさりしてしまう。
しかし彼は自分の道を進むため、決死の覚悟で飛び降りる。どんな困難があろうとも彼は走り続ける。そして彼を見てきた我々も、彼と共に走り出す。自分の人生を自分の力で歩み続けるために。

2回目の公演のとき、ムルガの演目で目の前を通ったアルヴァロに名前を呼んで声をかけたのね。一度はそのまま通り過ぎてったからよそ見してたんだけど、ふと後ろから肩を叩かれ振り返るとアルヴァロ。
わざわざ戻ってきてぼくをとっつかまえ、紙の入ったあの板で頭をひっぱたいてくれた。そしてそのあととても力強くハグしてくれた。
まさか自分が選ばれるなんて思ってなかったから、一瞬の出来事にとても動揺したが、あれから幸せでしょうがない。気が付けば思い出しニヤニヤしてるレベルだ。
彼から見たら、ぼくのことなんて、数々の公演の中の1回、大勢の観客のうちの一人だから、すぐに忘れてしまうだろう。
でもぼくは初めての彼女ができた時よりも嬉しいと思うような、人生の中で一番衝撃的な出来事だった。だってはじめ舞台の上にいたアルヴァロとハグしたんだよ?w

そんな良い経験ができたこと、2回目で場所を狙ったり初回を思い出しながら余裕を持って見られたことで、はじめは衝撃的すぎてよく分からないでいた「フエルサブルータ」という現象に、自分なりの解釈や意味付けができた。
忘れかけていたことを呼び起こしてくれたし、やっぱり自分も諦めずに走り続けようと励まされた。

勝手な解釈で勝手に元気になっただけなので、もしかしたら何話してんのって思われるかもしれないけど、だったらどうせ言語を使っていないショーなんだ、自分の都合のいいように捉えて糧にしよう。
あれは同じ感想を共有するためのものじゃない。言葉や理性を抜きにした、原始的・感情的なものを体感するショーだ。
(自分のすぐ横でバカな女が「ねぇ何あれ!?何やってんの!?どういうこと!?」ってずっと連れに聞いてたが、その混乱も含めて「体感せよ」なのだ、あの場では変にカッコつけず、起こる現象にどんどん脊髄反射していくべきだ)

日本での公演はこの土日で終了。既に中国などで海外公演が始まってるようです。寂しい限りですなぁ。
ぼくはいてもたってもいられなくて、3回目、今日の公演を最後にまた見てきます。
2回目の時にあいぽんを水没させたので、今度は水没対策をした上で楽しんできます。