割れ窓理論
割れ窓理論。割れた窓を放置していると、大きな犯罪、無秩序な環境が生まれる、という言葉。
- 建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
- ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
- 住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
- 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
最初はただ窓が割れていただけなのに、「あの窓割れてるし、ココでは綺麗にしてる必要もねえよな」というモラルの低下が、ゴミのポイ捨てから窃盗を生み出すということだ。
同様のことは職場やシステム開発にもいえる。
- オフィス全体が乱雑としている環境では、資料の出来も「こんなもんでいいや」と投げやりになる
- 汚いコードが放置されているシステムを改修するのなら、自分のコードもこの程度でいいだろうと思う
いずれも、「そうなってもらっては困る」ことなのに、「でもオフィスが汚いのはこういう理由で…」とか、「このコードは忙しくて仕方なく…」とか、言い訳する。それが原因になってるんだって言ってるのに。
過去に言い訳しても何も良くならねえんだよ。ダメなもんはダメなんだ。今直せ。
ソフトウェアの「割れた窓」、つまり「悪い設計」「間違った意志決定」「悪いコード」を放置してはいけません。
ソフトウェアをごく短期間で腐敗させることになります。
「割れた窓」が何枚かあるだけで、「残りのすべてのコードもガラクタなんだから、自分も適当に作業してしまえ」という考え方が忍び込みやすくなるのです。
割れ窓を直す
窓を割るような奴は、やがて割った窓から泥棒に入り、ひいては人殺しをするような極悪人になる。だから、窓を割るような器物損壊をしている内に、殺してしまえ
自分の作った歌の中で「盗んだバイクで走り出す」「学校のガラス窓全部割る」などと書いている尾崎豊は、犯罪教唆をしており、割れ窓理論に従えばこれも死刑である。というか、尾崎は晩年ヤクに手を出しており、もはや言い逃れできない。一説によると尾崎の死因は割れ窓理論の信奉者達による暗殺ではなかったかと言われている。尾崎は膨大な信者がいるが、これらの信者も犯罪者の卵ということになる。割れ窓理論に準拠すれば、彼らも粛清しなければならないことになる。一体何人の人間が地球上から抹殺されるのであろう。
一挙手一投足が粛清の根拠となり、常に怯えて生活してゆかなければならない。それでも良い、という人だけが、割れ窓理論を賛美し、割れ窓理論に基づいた法治を是認するべきである。
アンサイクロペディアからの引用は極端だが、割れ窓理論を知って、「最初に窓を割るようなヤツを許すな」という考えに至るのは自然な考えだろう。
ここで大事なのは、「一切の窓を割られないようにしよう」、つまりどんなに軽微なものでも一切のルール違反をさせないようにしよう、という考え方で施策をとるのは、大抵失敗する、ということだ。
窓を割られないように予め取り締まると、窓を割ることに怯えて皆何もしなくなる。
ダメなことはダメだと周知することは必要だが、割ってしまった人を厳しく処罰するのではなく、窓が割られたらすぐ直す・窓を割られていない状態を保つことが先決だ。
「ココにポイ捨てをするな!」と厳しく取り締まり、そこを無人の土地にすれば、ポイ捨てはなくなるが、ポイ捨て以外のものも全てなくなる。そうではなく、ゴミがない状態を保ち、ポイ捨てする人を目立つようにすれば良い。そうすれば自然とポイ捨てしている人は皆の目に止まり、そういった人間は皆から自然と淘汰されていく。処罰するのは、それでもポイ捨てを続ける肝の据わった奴だけで良い。
「割れた窓」をそのままにせず、発見と同時にすべて修復します
逆にコードが清潔で美しく保たれている場合、開発者はそれを汚さないよう細心の注意を払うことになります。
コードを汚してしまう最初の人間にはなりたくないと思うからです。