映画「青天の霹靂」を観た
2014年6月22日に書いた記事の転載です。
昨日 (2014年6月21日 土曜)、映画館で「青天の霹靂」を見たのでネタバレしながら感想書きます。
全然テレビを見ないもので、出演者を知っている、CM を見たことがある、ぐらいでその他映画に関する事前知識はほぼない状態で見ました。
ネタバレありなので以下閲覧にはご注意を。
起
映画の始まりは、マジックバーで働くマジシャンの轟晴夫 (大泉洋) が、眠る客相手にトランプマジックを披露するところから始まります。このマジックは洋ちゃん本人がやってる様子。「自分は特別な存在で、キングやエースになれると思ってたけど、現実は、この程度 (クローバーの2)」と、浮かばれない自分を嘆いています。
後輩のマジシャンは「オカママジシャン」のキャラを作ってテレビで売れています。彼がプロデューサーと共にマジックバーに遊びに来た時もタメ口をきかれてしまう始末。口下手で何も言い返せない晴夫はマジックバーの店長 (ナポレオンズのパルト小石) に「マジシャンでも口で笑いの一つや二つ取れないと、いつまでも売れないぞ」と怒られてしまいます。マジックの腕は確かな晴夫ですが、それだけでは食べていけないようです。
マジックバーの後輩と、吐瀉物の後始末をしているときに、晴夫の両親の話が語られます。「親父が他に女を作ったせいで、母親は俺を生んですぐにいなくなってしまった」「親父はラブホテルの清掃をやってるよ。ダメなヤツで、 高校を出てからは会っていないんだ」と。
いつまでも売れず、貧乏生活を続ける晴夫。スーパーでも半額シールが貼られたホットドッグを狙いますが、高いプライドは捨てられず。わざと半額シールが貼られていない方を手にとり、店員に「あ、今こちら半額にしますから」と声をかけてもらい、「あ、そうなの?んー、別にどっちでもいいんだけど…」などと言い訳しながら、ちゃっかり半額になったホットドッグを買っていきます。うむ、みじめだが分かる……。
そんな矢先、警察から電話がきます。「お父さんの轟正太郎さんがお亡くなりになりました」。ホームレス生活をしていた彼の父・正太郎は、ウンコを踏ん張っているうちに倒れて死んでしまった、とのこと。遺骨を受け取り、彼がなくなったという現場に赴く晴夫。そこで晴夫は父の住処を見つけ、若き日の正太郎が幼い晴夫を抱く写真を見つけます。「なんでこんなもん大事に持ってんだよ…」晴夫から思わず声が漏れます。
「どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ。俺、毎日惨めだよ。何のために生きてるんだよ…」
泣いている晴夫に突然雷が落ちます。文字どおりの「青天の霹靂」で、映画のタイトルが出ます。
承
目を覚ますとそこは1973年 (昭和48年)。 晴夫が生まれる前なので、晴夫は39歳という設定でしょうか。街中を駆け回りますが明らかに時代が違う…!! というこのシーンは、ステディカム撮影したものをデジタル補正しているようで、ワンカットで路地裏から街の中心のバス停を引きで映す画まで変化します。こういう映像の見せ方が良かった。景色はほとんどセットを組んでるようですが、一部マットペイントを使ってる感じでした。
慌てて交番に駆け込むも、「どこに帰りたいんですか?」と聞かれた晴夫は「帰りたい場所もないか…」と、その時代で生きることを決めます。しかし所持金も少なく、また「新500円玉」なんて通じない時代。途方に暮れる晴夫は道端で、使い道のない500円玉を手の上でくるくる回し、何気なくコインマジックを行います。それをたまたま見ていた小学生に、「マジックが見せられるところがあるよ」と、とある場所に連れて行かれます。「雷門ホール」という、浅草の演芸ホールでした。
小学生の紹介で、雷門ホールの支配人 (風間杜夫) に芸を見せることになります。晴夫はその場にあったスプーンを曲げ、へし折るマジックを見せます。ユリゲラーが有名になるより以前の時代。初めて見るマジックに、支配人は「俺が面倒を見てやる!」と、雷門ホールに住み込ませて売り出すことになります。
「ところでお前、喋りはどうなんだ?」
「いや、そんなに…」
「あのなぁ、マジシャンでも口で笑いの一つや二つ取れなきゃしょうがないぞ。まぁキャラや脚本は俺がなんとかしてやろう。助手はそうだな…そうだ、悦子、チンがいないんならこいつの世話をしてやってくれ!」
そう言ってあてがわれたのは花村悦子 (柴咲コウ)。元々「チン」というマジシャンの助手をしていましたが、チンは逃亡してしまっていたようです。悦子を助手に、晴夫は謎のインド人「ペペ」として売り出されることになります。
「仕事が見つかってよかったね!」と嬉しそうな小学生の正体がここで明らかになります。「ぼくもとっておきのマジックがあるんだ!いつかこれでマジシャンになるんだ!」と、洋服で自分の頭を隠し「首がぐるぐる回る」という芸を晴夫と悦子に見せます。そう、実際のナポレオンズの定番ネタをやっていたこの少年は、マジックバーの店長だったのです。どうりで「マジシャンも笑いを取れなきゃ」と言っていたわけです。支配人の受け売りだったのですなw
「ペペ」となった晴夫は、初舞台でスプーン曲げを披露し大好評を得ます。晴夫は飲みながら「このスプーン曲げってのはユリゲラーが有名にするんだよぉ~」と語り、打ち上げの席で野球の試合のラジオを聴く演者たちに、「そいつ今度 V9 達成するぞ~、俺は未来を知ってるんだ~」と良い気分。
打ち上げで飲み過ぎた晴夫が勢いで悦子を誘おうとするシーンは、彼の口下手っぽさが出ていて良いです。「あの~、家は近いんですかぁ~?」「でもねぇ~、このまま帰るってのもー、その~、どうしようかな~、なんて…」とw
結局大人しく雷門ホールに帰った晴夫。あくる日、悦子が体調を崩したということで、晴夫は果物片手にお見舞いに行きます。「バナナでも食べます?」そう言ってふと部屋を見ると、悦子がチンと同棲していたことを知ります。そしてチンが警察に捕まったということで、悦子の代わりに警察へ迎えに行くことになります。
そこにいた「チン」とは、若き日の轟正太郎、晴夫の父でした (劇団ひとり)。なんでも「警察官から1000円札を借り、500円に変えるマジックを披露して500円を返したら捕まった」ということで、「警察が俺なんかに騙されてちゃ世話ねぇよなぁ」と悪態付いています。父のだらしない姿に晴夫はつい「お前がそんなんだから俺が浮かばれねぇんだろ!」と、出会って早々喧嘩になってしまいます。
なんだかんだ家に帰ってきた正太郎と晴夫。そこで正太郎が逃亡していた理由が明らかになります。最初は悪態ついていた正太郎ですが、悦子に無言でビンタされるうちに「そりゃお前、いきなり妊娠したなんて言われたらビックリするだろうよぉ…」と、劇団ひとりお得意の泣き芸も出てきます。これで晴夫は、悦子が自分の母親で、自分を妊娠していたことに気付きます。部屋にあるバナナを見て「お、バナナでも食うか?」と誤魔化す正太郎は、確かに晴夫の父でした。
1974年5月10日、彼が生まれる日まであと半年ちょっと…。
転
雷門ホールに戻ってきた正太郎は、支配人の命令で晴夫の助手として舞台に出ますが、ここでも悪態をついて助手をまじめにやりません。若き父のだらしなさにいらつく晴夫は、ついに客前で喧嘩をしてしまいますが、これは面白いと「喧嘩マジックショー」という売り出し方をさせられます。これが意外にウケて、ペペとチンは半年の間に人気マジシャンの仲間入りを果たします。
時は過ぎて悦子のおなかも大きくなってきた春。花見の席で「子供も生まれることだし、ちゃんと稼がないとなぁ」なんて会話をする正太郎に、「じゃあ、テレビに出てもっとビッグになるか」と持ちかける晴夫。二人はテレビ出演をかけたオーディションに参加することになります。
そんな時、悦子が突然倒れてしまいます。医者によると胎盤剥離。子供が生めても母親は生き延びられないということが、正太郎に知らされます。悦子には「なんか入院なんだってさ~」と、何も言わないでいた正太郎ですが、悦子はそれを察し、「何か隠しているでしょう」と問い詰めます。 正太郎は悦子に真実を打ち明けます。
その後のステージでも覇気がなく、途中で投げ出してしまうなど、正太郎は混乱しています。事情を知らない晴夫は「お前何やってんだよ!」と怒ります。ついにここで、正太郎の口から悦子のことが語られます。「悦子が危ないんだよ!でもあいつ子供生むって利かないし、俺も堅実な仕事しなきゃなんねぇんだよ…!」
真実を知った晴夫は、落ちぶれていた彼が言い訳にしてきた「不出来な両親」という像が崩れ、「母親は俺を捨てて出てったんじゃないのかよ…。そんなんじゃつじつまが合わないだろ!」と八つ当たりしてしまいます。「そんな子供生んだってこんな感じだ。ロクでもねぇヤツになるんだから堕ろせよ…」晴夫の真意が分からないながらに頭にきた正太郎は、晴夫をぶん殴って出ていきます。「いてぇ…いてぇよ…」やるせなく泣く晴夫。
この一連のシーンはワンカットで撮られており、「晴夫が今ここで真実を知る」という臨場感が上手く表現されていました。さすが舞台出身の洋ちゃん。
このあと正太郎はラブホテルの清掃業を始め、マジックショーに出なくなってしまい、晴夫は一人で舞台をこなします。後にマジックバー店長になる小学生にトランプマジックを見せながら、「同じカードは2枚として存在しないんだよ」とつぶやきます。
そして迎える1974年5月9日。彼が生まれる前日です。
悦子が入院する病院に行った晴夫は、彼女が入院した時に正太郎が作ってあげた紙の花の飾りを見かけます。「まだ取っておいてたんですね、この紙の花」「ええ、これ、ニセモノの花ですけど、これはこれで、彼なりに必死に花らしく咲こうとしていて、なんか好きなんです」と。
野球の V9 やユリゲラーのことを「予言」していた晴夫は、悦子に「ペペさんは未来が見えるんでしょう?私の子供はどうしてる?」と聞かれます。晴夫は自らのことを語ります。「勉強はあまり出来ないし、あまりモテないよ。小学校でマジックを見せて人気者になって、生まれて初めて女の子にバレンタインチョコを貰うけど、正太郎に食べられちゃうんだ」と。
「ありそう~w」と笑顔だった悦子でしたが、「ところで、私は…母親としてどうしていますか?」と尋ねます。正太郎の前では気の強い嫁でしたが、自らの命が続くのか静かに不安を抱えていたようです。
これまで母親の真実を知らなかった晴夫は、必死に考え、言葉を選び、次のように語ります。「あなたは…子供にとって…生きる理由です。どんな惨めな気持ちになっても、あなたが愛し生んでくれたから、生きていこうと思えた」そんなことを話します。
夕方になった病院の帰り、晴夫は正太郎に会います。「もし悦子さんが死んだら、子供になんて言うつもりなんだ?」「そうだなぁ、ホントのこと言っちゃあんまりだもんなぁ、『俺が他に女作ったから出てった』とでも言うかなぁ」当然ですが、彼は浮気なんてしていませんでした。彼なりに子供のことを考え、晴夫を育てていたことが分かります。「そんなんじゃ子供勘違いするぞ…」晴夫は39年に渡る思い違いと真実が明らかになり、希望を持てたようです。「そういや、オーディションの最終選考、明日だったなぁ」正太郎が言っていた最終選考に、晴夫は一人で出場します。
翌日、晴夫はペペとしてではなく、「轟晴夫」として舞台に立ちました。そして口下手の彼らしく、喋りで笑いを取るスタイルではなく、ひたすらマジックを魅せる、正統派マジシャンとしてマジックを披露しました。この時のマジックも洋ちゃん本人がちゃんとやってます。
時を同じくして、悦子がついに分娩室に向かいます。その途中で悦子は正太郎に「いっぱい頬叩いたね」と話します。自らの運命を分かっていたのでしょう。それに気付きながらも、「これからも頼むな」と返す正太郎。
「子供の名前は決めた…?」「それは、ええと、晴れてるから晴子だ」「男の子だったら…?」「そりゃあ、晴夫だろう」
そして悦子は、「チョコレート、食べちゃダメだよ」と言い残して分娩室に入っていきます。正太郎は廊下の椅子でひたすら祈ります。
晴夫のマジックは観客に好評。最後に紙の花を本物のバラに変えるマジックを披露します。その時、「オギャー!」
悦子が晴夫を生んだその瞬間、晴夫に再び雷が落ち、晴夫は舞台から忽然と姿を消してしまいます。
結
現代に戻ってきた晴夫。事態がよく分からないまま、警察からケータイに電話が来ます。「渡した骨壷ですが、別人だったので返してほしいのです。息子を見つけたいとか言って、変なホームレスがイタズラしたみたいで…」「はぁ……」。
そこに、ホームレスの男性が現れます。「おっ、しばらく見ないうちに誰かに似てきたなぁ!」後ろ姿しか見えませんが、まさしく父・正太郎でした。
「警察が俺なんかに騙されてちゃ世話ねぇよな!」「まったく…」相変わらずの様子の正太郎。「そろそろお前にも本当のこと話しておかないとと思ってな」。やはり彼なりに、晴夫のことを考えていたようです。「そんななら、あんなこと言わなきゃよかったな」と晴夫は照れ臭そうに嘆きます。
ラストシーンは、現代・昼間にホームレスの正太郎と話す晴夫のシーンが、カメラが移動すると同時に1974年の夕方、病院帰りに正太郎と会ったシーンに切り替わり、晴夫が正太郎に言った言葉が明らかになります。「ありがとう」。
…アホほど長いシナリオ説明してしまいました。
タイムスリップモノとしてはありがちなストーリーで、「ドラえもん ぼくの生まれた日」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を混ぜたような感じでしょうか。
ただこれが「よくあるタイムスリップモノ」にはなっていなかったのは、プロップがしっかりしていて、かつ「分かりやすい表現」に徹底していたからでしょう。裏を読むとか、奥を探るといった部分はほぼありません。映像、一つ一つのセリフやしぐさで親子関係や人物像を分かりやすく表現しています。
音楽も良かったです。エンディングはミスチルの「放たれる」という曲ですが、「生まれてきた それだけで 愛されてる証」という歌詞がこの映画のテーマとマッチしています。
子供の頃誰もが思ったことがある、それこそ「ぼくの生まれた日」のような、「ぼくは両親に愛されていないんじゃないか」「本当の親じゃないんじゃないか」といった、子供っぽい疑問に対する答えが、この映画とこのエンディング曲のテーマでした。
映像面では、基本的に CG なし。洋ちゃんの演技力が素晴らしかった。マジックも本人がやっていて、ステディカムを使用したロングテイクの臨場感なんかも舞台的で良かったです。細かくデジタル補正をかけたりシーン転換にモーフィングを使ったり、効果的な表現のための CG が良かったと思います。
難しくない映画なので、「手軽に感動できる」と言えます。でもこれが「よくあるくだらない映画」にはなっておらず、見れば心がほっこりあたかかくなるような、良い映画でした。