2018年は見栄えを良くしたい

さて、2017年も散々愚痴ってきた。

2017年は2月に転職し、モダンなフロントエンド開発を生業にでき、僕個人でいえば概ね良い方向に成長できたと思っている。私生活でも同棲を始め、色々と生活に良い変化が出てきたところ。

一方、周りとの調和だったり、後進育成だとか「他人」とのことを考えると、今年もカスっぱというか、あーやっぱり自分は、仕事上の付き合い程度の人間と仲良くなんかしたかねえなぁ~と再認識させられた。


僕の持論でいえば、仕事上の人間付き合いは仲が悪ければ悪いほど良い、とすら思っている。同僚や上司と仲良くして養われるのは、「あの人はああいう人だからな…」という諦めからくる「許す心」しかないと思っている。コレは仕事上極めて非効率・非生産的なもので、誰かの尻拭いやフォローを自己犠牲的にやらなきゃならなくなるものだ。それでいてフォローされている側は「みんな仲良しだから助け合っている」とか思っている。いや最初からお前がそんなことで躓かない有能な人間だったらそんなくだらない助け合いとか要らねえんだ勉強しろ、って思う。


ただ、それはそれとして、僕はもう少し周りに感じ良く生きてもいいんじゃないか、と思ったのが、記事のタイトルだ。

Web ページは HTML が構造を表し、CSS が見栄えを整え、JS が処理を担う。「構造・見栄え・処理の分離」とよく云うが、コレは3者がバラバラに存在していて良いワケではない。プログラミング的には「疎結合な作り」を目指すのだが、結果としてユーザに見られる時は、個々の技術分野を分けて見るのではなく、3つまとめて「Web ページ」として認識し、「見た目も動きも良くてコンテンツがしっかりしているページ」と評価するワケだ。

ふと、人間にもコレが当てはまるなぁ、と思った。例えばプレゼンの時に「スライド資料の内容」「話し方」「身振り手振り」の役割は違えど、結果的にはそれらの要素を全て同時に視聴者に見せて、何かを感じさせたりしなくてはならない。資料ばっかり凝っていても口頭説明が無茶苦茶では魅力が半減するし、身振り手振りが愉快なんだけど内容がない、では何も伝わらない。

自分は技術的なスキルに重きを置いて仕事をしてきたし、効率主義というか、非情というか、「人間の感情なんかより仕事の成果」だと思ってやってきた。この基本的な考えは別に今も変わらない。

しかし、だからといって、感情を完全に無視してしまうと、どうやら世の中的には伝わらなくなるようなのだ。僕と同じように感情度外視で仕事だけフォーカスを当てる、ということができない人の方が多いみたい。

さらにいうと、「いくら正しいことを言っていても、相手に失礼なことをしていて良い理由にはならない」ってことに最近ようやく気が付いたので、不必要に失礼なことはしないようにしよう、と思った。

「クソ」という言葉を使わずに、「改善の余地がある」と表現しよう。正しさは失礼の免罪符ではない。 https://t.co/hCl7M7sxca

— STB a.k.a. さとまる (@stb_nissie) 2017年12月5日

「クソ」という言葉を使わずに、「改善の余地がある」と表現しよう。正しさは失礼の免罪符ではない。


まずはとりあえず、適切な笑顔。話しやすい雰囲気を漂わせたい。内心不機嫌だろうと、それを表に出す必要はない。

不機嫌がなぜいけないか?というのは、自分の言い方で言えば「不機嫌とはその場の空気を人質に取る行為だから」かな。極論、どういう時間を過ごすかが人生のすべてだとした時に、不機嫌を振りかざす人はそれを台無しにすることができる。

話し方も少し注意する。今まで「話し方なんてどうでもいい、内容をちゃんと聞いとけやカス」って思いで話してたけど、あえて人を不愉快にさせる話し方はしなくていい。

好かれたいワケではないし、ましてや曲がったこと・間違ってると思うことを野放しにするつもりもない。俺の目の前から気持ち悪いモノは消していくし、おかしなモノもぶっ壊していくけど、その過程において俺が正しいからって喧嘩腰になって攻撃的な立ち振舞いをする必要はないな、ということ。

コレが丸くなったってヤツか?うっせーー!大変な目に遭わせていくぞコラ!!(←あえて「○す」とか言わなくなった成長を見よ笑) ← 全部冗談です。

あと、見栄えというところだと、痩せたい…。腹筋とか割りたい…。年々風邪を引きやすく、治りにくくなっていっている感があるので、とにかくまずは健康になりたい。


以上。2018年も宜しくお願い致します。