頑張っていないのではない、一生懸命やってそれなのだ
こんなツイートを見た。
- 喜多野土竜 (@mogura2001) January 7, 2016
立川談ノ助師匠が枕で、「寄席に行くと、下手な落語家がいっぱいいるでしょ? あの人たちは稽古してないんじゃないんです。むしろ一生懸命稽古して、あれなんです」って言葉が、サラリーマンを辞める直前の自分には刺さった。落語が好きで一生懸命稽古して、でも下手。努力は報われないことが多い。
ツイート主の話の流れは「努力は必ずしも報われないものだ」「それでも続けるのが好きなことというものか」という方向性に話が進んでいるので、僕がこれから話すこととはズレるのはご容赦いただきたい。
自分の周りの後輩がなかなか仕事を覚えられなくて困っている。
「勝手な判断をするな・判断は上司に仰げ」と言っているのに「なんとなく要るかなと思って入れてみました」とかいって勝手にコードに不必要な変更を入れてみたり、さらにそれがバグを引き起こしていたりして目も当てられない。
別のヤツは何度も何度も同じことを質問しに来て、「毎回参考書の何ページに答えが書いてあるのかまで教えているのだからそのメモくらい取れ」と言っているのに一向に取らない。最近は「その質問はしに来るな」と言うようになった。
コイツらは大学も出てないし、いつまでも学生のバイト感覚で仕事しているから脳ミソが死んでるんだろうな、と決め付けていたが、この言葉で違う視点を持ってみた。
すなわち、彼らは彼らなりに頑張っているのかもしれない。「ケッ、くだらねえ指摘してきやがって」とは思っておらず、真摯に指摘を受け止めようとしているのかもしれない。
でも、結局できないのだ。怒られないように一生懸命いろんなことをやって、あの程度なのだ。
そう考えてみたら、なんか気が楽になった。こちらはこちらで、その程度の人間に期待しすぎていたのだ。僕はいつもそうだ、僕程度ができることはみんなができて当然だと思っている。でもどうやらそうでもないらしいのだ。
いっくら頑張ってもその程度のヤツもいる、ってことをわきまえた上で立ち回っていかねば。