注意する時に理由や根拠を伝えるリスク

のように、注意する時に根拠や理由を伝えるのって、一長一短かな、と思う。という話。

理由を伝えず注意だけした場合は、「なんでやっちゃいけないの」と理由が気になる人が多いと思う。理由が分かると、「なるほどそういう目線でダメなのか」と納得がいく。この納得感を持ってもらうために、理由を説明して注意することが多いだろう。

しかし、禁止・制限される理由や根拠を伝えてしまうと、逆に

といったように、その理由さえ否定できればやっても良いんだと自己判断してしまう輩が出てくる恐れがある、と思うのだ。

実際はその人に自己判断でルールを捻じ曲げていい権限なんかないのだけど、残念ながら自分が何者かであると勘違いしている輩は多く、自分を正当化して注意を無視するのだ。

これは仕事上の指示出し・指摘においてもいえることで、「○○だから、△△して」と理由を伝えると、本人が「○○」の理由部分を曲解してしまった時に、「だったら△△しなくて良い」と勝手に判断してしまうことが起こり得る。彼らには「自分」という目線しかなく、「客観的事実」と「主観的な判断」を区別できないので、「え、△△しなくていいってことですよね?」と自らの思考を疑いもしない。

能力が低い人間に限ってこういう「独自の思考で間違える」ケースが多い。「能力が低い人は、自分の能力が低いことに気づく能力も低い」ので、そういうことになるのだ。

注意される側は、理由はあくまで補足で、理由如何に関わらず、禁止・制限の注意を受けたのだというところだけを汲んで、きちんとルールを守ろう。大体あなたがルールを知る必要も、ルールに関して整合性や効率性などを判断する必要はない。あなたよりも頭の良い人たちがよってたかって考えた結果できあがっている禁止・制限のルールなのだから、注意を無視するための理由を探したりするな。

注意する側は、こういう癖のある無能を早めに見抜き、「どういう理由だろうと気にしなくていいから、黙ってコレを守ってろバカ」と禁止事項だけを押し付けるやり方にした方が良いだろう。本人には納得感が得られないかもしれないが、そういう奴は理由を説明したところでルールを守ろうとはしない。それでも守る気にならないようであればクビにするなり遠くに押しやれば良い。