「怒らない技術」を読んだ
「怒らない技術」という本を読んだ。
僕は元々血の気が多く、短気で、強くもないのに喧嘩っ早い性格で、怒りっぽい。何年も前に電車で絡んできたオッサンのことで未だに腸が煮えくり返って仕事が手につかなくなることもある。
目の前の後輩の不出来さにもすぐイライラしてしまい、自分と関係していないところなのにグズグズしているのを見かけると頭に来る。
でも、自分に関係のない、これといった実害もないことでイライラしたり、イライラを表に出して喧嘩したりして、良い結果が得られるワケじゃないことも分かっている。イライラし続けている時間が無駄なことも分かっている。
それなのに、どうやっても自分のイライラを制御できずに困っていた。
そこでこの本を見付けて読んでみた次第。
この本の中で一番実感したのは、どれだけ一瞬であっても、「出来事」に対して「イライラする」という反応を選択しているのは自分自身、ということ。そういう反応をすることにしよう、と、自ら選択した結果なのだ、と。
馬鹿なオッサンが押しのけてきた。後輩がタラタラ仕事をしている。そうした事実自体に「怒り」はなく、その事実に対して自分が「怒る」という反応を、自ら選び取っていることを自覚せよ、ということだった。
さらに、そうした「事実」は、自分の目線から見て判断したことに過ぎず、押しのけてきたオッサンが何故急いでいたのか、後輩の仕事が手に付かないのはどうしてか、そういった見えない事実を無視していることも、改めて実感した。
それを理解すると、自分の場合、「会話においてイラッとする瞬間」に関しては、もう少し冷静に自分の反応を選択できるようになった。
街中で人とぶつかったり、混雑した電車で押しのけてきたりする人間に対しては、まだカッとなってしまうし、向こうが生意気な態度を示してきたら先にぶん殴って知らしめてやろう、そんな気になってしまう。
だが、そうした瞬間的なイライラに対しても、実際にイライラを表に出すことで得られるモノはなく、逆に損することしかない、ということを思い出して、何とか思い留まれる場合が増えたと思う。
すなわち、押しのけてきた相手をボコボコに殴ったとして、「押しのけられなかった状況」を取り返せるのかというと、そんなことはない。ぶつかった相手に文句を言って、「ぶつからずに済んだか」というと、その世界線はもう取り戻せない。
だったら、もうその相手にいちいち怒ることは無駄な行為だ。怒って時間を無駄にするのは止めて、当初の目的を果たすにはどうすれば良いか、ということだけ考え直せば良い。
自分がイライラしている瞬間を自覚するための方法として紹介されていたのは、「自分がイライラしている出来事は、誰の問題なのか」を考え直すこと。
後輩の作業がトロい、というのは、自分の問題ではなく、後輩の問題。天気が悪くてイライラしたとしても、天気が悪いことは自分の問題ではない。自分の問題でないモノは、自分ではコントロール出来ないこと。自分でコントロール出来ないことに対してイライラしても、一生解決できないのだから、イライラするだけ無駄なのだ。
こうして「自分の問題」だけにフォーカスすれば、その頃にはイライラも落ち着いて、「自分のことだ、どうしようか」と建設的な考え方ができるようになっている、というワケだ。
本の内容としては、目から鱗の斬新なアイデアが書かれていたワケではない。常にイライラしているけど、イライラしていることは良くない、という自覚もある人だったら、とうに考えたでろうことぐらいしか書いていない。
それでも、自分と同じようにイライラしている人がいて、そういう時にどんな考え方で心を落ち着けられるのか、といった話を誰かにしてもらえる、ということは、一定の安心感を得られたのか、気持ちが落ち着いた。
本書は好評らしく、続編として「怒らない技術2」も発売されていた。コチラも続けざまに読書中。
さらに、「マンガでよくわかる怒らない技術」というバージョンまで発売されていた。
どうしてもイライラしてしまう、それをなんとかしたい、と思っている人は、一読しても良いだろう。