めちゃイケの思い出

2018年3月31日、「めちゃめちゃイケてるッ!」が最終回を迎えたので、一視聴者としての思い出・感想を書こうと思う。

僕がめちゃイケに出会ったのは4歳ぐらいの頃、前身の「めちゃモテ (めちゃめちゃモテたいッ!)」の時だった。めちゃモテは深夜放送だったし、「めちゃイケ」に移行してからの記憶が強いのは確か。

シャンプー刑事でシンディーがイマイチノリきれてなかったり、M の三兄弟で岡村が巨大タイヤを尻で受け止めたり、バズ・ライトイヤーの格好で宮迫と岡村がバトってたり、結婚と出産の間のドキュメントだったり、濱口ダマシシリーズだったり、ヨモギダ少年愚連隊、クイズ濱口優、爆裂お父さん、マジオネア、岡田一少年の事件簿、連続タライ小説、大久保さんの家に行く回、CDTV で布袋の「CIRCUS」の真似をする江頭などなど、よく覚えている企画は枚挙に暇がない。

大好きな番組ではあったが、最終回まで欠かさず見ていたかというとそういうワケではなかったし、お台場冒険王とか行ったこともないし、DVD やグッズも買ったことはない。そのぐらいのレベルの「ファン」である。

2004年ぐらいまでは毎週のように面白く感じていたのだが、新メンバが加入する少し前ぐらいからか、「最近面白くないなぁ」と思うこともあった。新メンバがつまらないのではなく、これまでのめちゃイケが変わっていってしまう感じとか、やっぱり新メンバがなかなかやりづらそうにしているのを見ると醒めてしまうところがあった。BPO とかテレビでの規制も増えてきて、20世紀までの荒々しいネタもできなくなってきている雰囲気が、見る側としてももどかしかった。

昔は、何の脈絡もなく他人にシャンプーをぶっかけてみたり、まじめなドラマを演じながらタライをバンバン落としてみたり、スタンプショーみたいにハリセンで思いっきりぶん殴ってみたり、そういうシュールさと乱暴さというか、「非日常感」と「アクション性」が特徴的で、それが面白かった。

予算、規制、色々な理由から、段々と落ち着いた企画が増えてきて、毎週のようにポパイのコントとかやっていた時代は終わってしまって、ターゲット層や笑いの狙い所がよく分からない「めちゃギントン」とか「フジ縛霊の怖い話」みたいなコーナーが出てきた。元々意味もなく無茶苦茶やる番組だったのに、世の中全体が変に「意味」を求めるようになって、あえて意味らしい意味を持たせていないコーナーをやりづらくなったのかなと思う。

「めちゃイケは面白くなくなった」「ダラダラした番組になってきた」といった意見がネット上でも出てきていて、自分も少なからずそう思ったことはあった。でも、これまであれだけ身体を張って面白いことを突き詰めてきた人達が、「もういいや」「ダラダラやるか」なんて思うだろうか。

そんなモヤモヤした時期がしばらくあって、半年前に番組終了が決定、発表された。終活プロジェクトと称して最後にやりたいことをやっていく企画を見てきて、やっぱり本来のめちゃイケは面白いなぁと思った。メンバはきっとこういう歯がゆさみたいなものを物凄く感じてたんじゃないかなぁと思う。だからこそ最後に一花咲かせてやろうという思いで、最後に無茶やってたんだと思う。


ええと、何を書きたいんだか分からなくなってきたので、最終回の内容から思ったことをつらつらと書き直す。

最終回で、往年のコーナーが色々と復活してくれたのは素直に嬉しかった。「極楽同盟」のプロレスの動きは年齢による衰えを全然感じなかったし、しりとり侍とかもとても懐かしかった。ウエンツ瑛士のノリはよく分からなかったけどw。

世間ではよく「めちゃイケのお涙頂戴演出イラネ」的なことを云われるが、僕はそれも結構好きで、テレビでコレだけメンバの本音が見える番組も少ないなと思って、バラエティであり、ドキュメンタリーであるような、そういうところは結構好きだった。

番組全体が台本に沿った「コント」であるが、スター錦野のような天然ボケだったり、その場の思いつき・アドリブで爆発的な笑いが起きたり、そういう台本から逸れる瞬間、というのがとてもおもしろかった。小さい頃は番組全体がコントであることにあまり気付いてなかったが、ある程度年齢が行くとそういうところも見えてきて、コントの「演技」の中にメンバの素が一瞬見えたり、そういうところも面白いと感じるようになった。

最後、岡村の結婚企画をやろうというテイで、皆がスピーチするところがあったが、時間の関係でなかなかそれぞれのメンバの思いを話しきれていなかったのかなと思う。いや、実際は話していたのかもしれないけど、放送時間と編集の都合でなかなかキレイにまとめられていなかった感じがある。それでも、シンディーが話していた「芸人さんたちは収録を楽しみに来ているのではなく、『楽しませに』来ている」ことに気付いた、という話だったり、濱口の「やっぱり番組終わるのは悔しい」という話だったり、断片断片で、それぞれの思いが表れていたなぁと思う。

有野はうまく泣けなかったという。でも、それも含めて有野らしさというか、「さぁ泣いてください」という演出・演技指導が入っての番組になるのではなく、それぞれの思いをそのまま見せる、そういうところも、他のバラエティとは違うところだったかなぁと思うのだ。

矢部のスピーチはきちんとまとまっていて、ネットでは「矢部は本音言わないな」「飲み会も出なかったりするらしいな」などと云われていたが、それも矢部がこの番組での役割を最後まで果たそうとした結果だろうし、22年間でそれが自分の骨の髄にまで浸透したからこそ、最後まで冷静に全体を見届ける、そういう立ち位置でいようとした結果なのかなと思う。番組打ち上げに参加した・参加していないの情報の真相は分からないし、僕はあまりそこは気にならない。番組終了後の打ち上げに出なかったから愛がないとは思わないし、仮に視聴者が期待する種類の愛情表現が実際になかったとしても、それはそれなんじゃないかなと。メンバにとってこの番組は大きな存在だったかなとは思うが、それが人生の全てでもないだろうし、それぞれの処理の仕方というものがあると思うから、僕はあまり気にしていない。

このリレーインタビューの記事は最終回に向けて各メンバが色んなことを話していて、矢部はこう話している。

相方も言っていましたけど、2020年はナイナイ結成30周年ですし、相方が50歳、僕が49歳になる年で2人合わせて99歳になるので、それは何かデカいことをしないといけないなとは僕も考えてはいますけど、まずは相方からの言葉を待ちたいですね(笑)。

ナイナイ不仲説が流れることもあるが、それは「喧嘩別れ」でも「絶対に相容れない不一致」でもなく、岡村と矢部がそれぞれの方向性で成長したからこその「距離・付き合い方の変化」の範疇じゃないのかなーと思う。仮に感情抜きでビジネスライクに見たとしても、二人がこれからあえて「解散」という単語を出してピンで活動していくことでのメリットは見当たらないし。

最後の岡村のスピーチは、こちらも色々な思いがこみ上げてくるスピーチだった。めちゃイケの収録にワクワクして向かったことはない、と話す岡村の表情が、ふと番組開始当初の若い岡村に見える瞬間があった。加藤が年齢を話していて改めて気付いたが、僕が面白い面白いと見ていた当時のメンバは、今の僕と同じ、27歳前後だったのだ。今の僕にあれだけのエネルギー、バイタリティがあるか、あの環境であれだけ戦えるか、そう思うと、彼らは本当に毎回全力で、一瞬も手を抜いたりせず、視聴者を楽しませようとしてくれたんだなぁと思った。

特に岡村は、ナイナイというコンビの中でも「先輩」で、とぶくすりやめちゃモテの頃から番組のメインメンバに位置付けられて、元来のまじめさもあるのだろうが、本当に常にプレッシャーを感じていたと思う。「最初は一人で戦っているような気分だった」という一言がそれを端的に表していたんじゃないかなぁ。

最後に「めちゃイケは僕の青春でした」と語った岡村の顔は、番組開始当初のトガってた頃と同じ表情で、あぁ、この人は環境や年齢なんかに関係なく、最初から一つの思い、熱意を一貫してきたんだなぁと思って、熱い気持ちになった。

そんなこんなで、それぞれの性格、本職、境遇などの違いが如実に表れていたスピーチのコーナーだったと思う。

ラストは「とぶくすりベスト」にちょこっと入ってた岡村の一人芝居フッテージみたいな感じで、「林の中」のセットが全部解体されて、みんなで浜辺を走り出すと落とし穴。「来週もやってるかもよ!」とおどける岡村。最終回の最後の瞬間までこれだと、どこまでがコントで、どこからが素なのかよく分からない、本当に不思議な番組だなぁと実感した。

未公開テープ、見たいなぁ…。


当時4・5歳のガキが見始めた番組は22年続き、僕が番組開始当初の演者と同い年になった年に終わってしまった。ただの一視聴者だったし、好きだという割には理解力のない、心無い視聴者だったと思う。でも、そんな人にでも強く記憶に残る数々の名作を生み出してきためちゃイケの精神は、テレビを通じて伝わってきたと感じている。別に僕はお笑い芸人でもなんでもないが、ユーモアのセンスというか、楽しいと思うこと、面白いと感じるもののベクトルは明らかにめちゃイケに影響されたし、めちゃイケを通じて育った部分があると思う。僕にとっては「子供に見せたいテレビ番組」とすら思っていたが、子供ができる前に番組が終わってしまった。とてもお世話になった、と思うし、番組終了はすごく残念で悲しい気持ちである。

各メンバの活躍はこれからも期待しているし、いつかまた特番で復活したりしてくれないかな、と思う。

今までありがとう。