「レディ・プレイヤー1」を観た

2018年5月1日、TOHO シネマズの「ファーストデイ」を利用して、映画「レディ・プレイヤー1」を観てきた。

今回はネタバレらしいネタバレはナシで書こうと思う。

あらすじ

舞台は2045年。人々は現実に希望を失い、「オアシス」という VR 世界に没頭していた。

スラム街で暮らす主人公のウェイドもその一人。オアシス内のアバター名は「パーシヴァル」という。

数年前にオアシスの創始者であるジェームズ・ハリデーが亡くなった際、遺言としてオアシスの中に3つの鍵とイースターエッグを隠した。手に入れた者にはオアシスの所有権と56兆円もの資産を授与するというゲームで、人々はイースターエッグを手に入れるためのゲームに挑んでいた。

ウェイドのように、スラム街から抜け出すべくイースターエッグを探し求める一般人がいる一方、オアシスの開発に携わった (?) ノーラン・ソレントが社長を務める大企業「IOI」は、企業ぐるみでゲームに参加しオアシスの運営権を得ようとする。

ソレントは誰よりも先に第一関門を突破したウェイドを突き止め、現実世界にも危険が及ぶ。果たしてイースターエッグを手に入れるのは誰なのか…。

80年代のオマージュ

本作は同名の原作小説があり、主に1980年代のゲーム・アニメ・映画のオマージュがたくさん出てくる。スティーブン・スピルバーグが監督を務めるが、原作には「E.T.」や「インディ・ジョーンズ」など、自分の作品が数多く登場していたため、映画では意図的に登場させないようにしていたらしい。

それでも製作総指揮を務めた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンや、ジュラシックパークなどが登場して、ファンは感動する。

他にも、本作の制作会社であるワーナー・ブラザース繋がりで、「アイアン・ジャイアント」「シャイニング」の他、DC コミックス作品のキャラクターも登場する。

日本に関するネタだと、AKIRA の金田が乗るバイクだったり、ゴジラ、ガンダム、ストリートファイター、サンリオ、カウボーイビバップなどが出てくる。

自分の好きな作品・キャラクターが (一瞬でも) 3D 映画化する、という部分だけ見ても、一見の価値がある作品になっている。

「あの男」が親指を立てて溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙なしでは見られなかった… (笑・でも事実w)

この映画は「CG 映画」?

VR 世界が舞台で、様々なゲームキャラクターなどが登場するので当たり前ではあるが、本作は CG のシーンが大半を占めている。

恐らくモーション・キャプチャーで大半のアバターの演技が作られていると見えるので、物凄く自然に見られるが、「オアシス」の中のシーンは基本的にフル CG なワケである。

なんというか、「トイ・ストーリー」のように、最初から「3DCG 映画を観るぞ~」という気分で見始めていたら違和感ないのかもしれないが、あまりにもフル CG のシーンが長くて、途中で「この映画は何だ…!?」という不思議な気分になった。

別に CG 批判とか実写主義という話ではない。本作は CG 技術がココまで発達したからこそ実現できた作品だし、本当にのめり込んで観られる。

ただ何となく、CG のシーンが占める割合からすると、本作は「3DCG アニメの映画」としてくくってもいいんじゃないか、とすら思える。

ジョン・ウィリアムズの代用・アラン・シルヴェストリ

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマを作った時の話で、「ジョン・ウィリアムズっぽい感じのテーマにしてくれ」「アラン・シルヴェストリだ?ジョン・ウィリアムズに作曲頼めないのか?」と云われ、出来上がった曲を聴かせると「ジョン・ウィリアムズが作ってくれたのか!」と云われて「いやいや、アラン・シルヴェストリが作ったよ」と答えた、とかいう裏話を聞いたことがある。うろ覚えになっていて、監督とプロデューサーの会話だったのかどうだか覚えていないが。

スピルバーグの作品でいうと、「インディ・ジョーンズ」のテーマはジョン・ウィリアムズ作、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はアラン・シルヴェストリ作である。オーケストラ調の派手な感じが特徴的な、80年代アドベンチャーモノ、みたいな曲である。

本作は、当初ジョン・ウィリアムズが担当していたが、別作品のために途中降板し、アラン・シルヴェストリが担当したらしい。また「ジョン・ウィリアムズの代わり」かよ…と思ったが、デロリアンの登場シーンがそれなりにあることから、「BTTF 風」な曲を本人が作ってくれている感があって、とても良いオマージュ、セルフパロディみたいになっていたなぁと思う。

現実こそがリアル

主人公パーシヴァル (ウェイド) は、幸運にもゲーム内の仲間に恵まれている。旧知の友人「エイチ」、IOI に親を殺され IOI より先にイースターエッグ獲得を目指す凄腕プレイヤーの「アルテミス」、三船敏郎よろしく赤い兜を身につける「ダイトウ」に忍者キャラの「ショウ」。

真っ先に1つ目の鍵を手に入れた人物としてパーシヴァルが注目されると、現実世界のウェイドにも IOI の危険が及び始めるのだが、ゲーム内の友人であった彼らに現実世界でも助けられ、第2・第3の鍵を手に入れるためのステージにともに挑んでいく。

IOI の陰謀が次第に明らかになっていく中、パーシヴァルの呼びかけで、他のユーザたちも、ゲーム内、そして現実世界でも集結し、IOI の悪事に立ち向かっていく。

ラストで創始者ハリデーの「思い」が語られるが、「このゲームは人と人との触れ合いを求めて作った」「虚構の世界に逃げるように没頭するのではなく、現実世界で勇気を出して一歩踏み出して欲しい」「現実こそがリアルなのだから」といったことを語る。

創始者ハリデーは、過去に経験した「(2種類の) 別れ」や「孤独感」をずっと後悔していた。だからこそ、ゲーム内の試練を乗り越えてきた理解ある人物に、自分が作ったゲームを任せようと考えたのだろう。リアルなゲーム世界に没頭していくら強くなっても、リアルから逃げている以上は本当には満たされない。

ウェイドもそのハリデーの思いに共感し、ラストは「リアル」を大切にした選択をする。

ハッピーエンドだが感想を述べるのが難しい

ラストはスピルバーグ監督作品おなじみの、勧善懲悪、ハッピーエンドで終わるので、とてもスッキリした気持ちで観終われる。

「どちらも正義」みたいな複雑な終わり方をしない映画は最近珍しくなったなぁと思う。このあたりも80年代のオマージュだったりするのだろうか。

今回、「ネタバレなしで」と書いたのは、ネタバレを含んで書いても思いが整理できないから、というのが理由。

「奥手な自分に後悔」「友達大事」「ゲーム (虚構) もいいけどリアルを大切に」。核心を言葉で表現するとこういうことかなとは思うのだが、こうして言語化してしまうと、劇中で表現されていたそれらの細かなニュアンスを全て削ぎ落としてしまう感じがするのだ。セリフだけでなく、表情や部屋の中に置いてある小物、そういった全ての要素でやんわりと表現されている細かなニュアンスたちの情報量が多く、中々適切な言葉で整理できないでいる。

もしかすると原作小説を2時間半の映画の中に詰め込みすぎていて情報過多になっているのかもしれないが、これによって自分もゲームの中にいるような疾走感、IOI の魔の手が忍び寄る緊張感を味わえて、この情報量の大差をネガティブには捉えない。

一見しただけでは見落としているところもあるだろうし、そうした要素を削ぎ落として自分の感想としてしまうのは良くない気がして、あえてじんわりと余韻に浸っているところである。

その他雑感

その他雑感。少しネタバレしかかってるかも?

エイチの家でパーシヴァルが衣装を選んでいるシーン、鏡の隣に「ゴールディ・ウィルソン市長」のポスターが貼ってあって、「あ、エイチの中の人は黒人かな」と思った。「ゴールディ・ウィルソン市長」というのは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくる、ヒル・バレー初の黒人市長。まだ黒人差別が強く残っていた1950年代に、しがないアルバイトだった彼が、1985年では市長になっている (正確には再選を狙っている)、という風刺。

現実世界の IOI の社内は、何か「ロボコップ」を彷彿とさせる色合い。何となくロボコップっぽい。w

一つ気になっているのは、ソレントがついにウェイドを追い詰めて銃を突きつけた時、ウェイドの「辿り着いた」様子を見て、銃を下ろしながら少し微笑えんだように見える。ココのソレントの気持ちがよく汲み取れなかった。単に「やられた…」という脱力感なのか、かつてソレントがハリデーの元にいた時のことを思い出して出た笑みだったりするのか…。

ハリデーと疎遠になっていた、オアシスの共同創始者、オグデン・モロー役はサイモン・ペグ。おじちゃんメイクもできるんですなぁ…。

赤い兜の「ダイトウ」役は、森崎ウィンという人。全然知らなくて申し訳なかったのだが、PrizmaX (プリズマックス) という日本の音楽グループにいたようで、ミャンマーの血が入っている様子。「英語は勉強中」とのことだが、とても流暢だった。

以上

これから観る人は、観終わったあとに整理をつけようとしすぎない方が楽しいかもしれない。

ここはあえて「単なる娯楽映画」とハードルを下げて観に行って、色々な感想をぼんやりと抱くのがいいんじゃないかな~と思う。