ドラマ作りは事実の核心に忠実:「アマデウス」を観た

1984年の映画、「Amadeus アマデウス」を観た。とても興味深い映画だったので雑多に語ろうと思う。

タイトルの「アマデウス」とは、モーツァルトのミドルネーム。クラシックに疎くても名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。楽曲も、メロディを聞けば知っているモノがあるはず。この映画を観るにあたっては、彼が1700年代後半、18世紀のオーストリア・ウィーンに生きていたことだけ知っておけば良いかと思う。

この映画は、彼モーツァルトの才能に嫉妬し、「モーツァルトを殺した」とまで噂されている実在の宮廷音楽家、アントニオ・サリエリの視点で描かれている。

基本的に事実に即して作られており、建物や舞台は実際にプラハで撮影したり、当時を再現して本当のロウソクだけを照明に使ったりしている。このことはオーディオ・コメンタリーでも「環境や洋服などを忠実に再現することで、セリフで説明しなくとも当時の雰囲気を真実味をもって伝えられる。だから細部にまでこだわるのだ」と語られている。

特に興味深かったのは、「ドラマ作りは事実の核心に忠実」という言葉だった。

18世紀の出来事なので、入念に調査したとはいえ、事実が特定できていない事柄もある。また、3時間という映画の尺の中に2人の作曲家の人生を詰め込むので、どうしても「端折る」部分ができてしまったりする。

そんな時に、原作・脚本のピーター・シェーファーは、事実の「核心」に忠実であることを守って、創作・脚色した、と語っている。

実際は別々のエピソードだったものをくっつけたり、「サリエリがモーツァルトを殺したのか」という事実が明らかになっていない部分を描いたり、いわば「作り話」の部分は確かにある。

しかし、それらは決してゼロからでっち上げたワケではなく、「要するにモーツァルトはどんな人物だったか」「要するにサリエリはどう感じていたか」といった「事実の核心」を守っていたワケである。

これこそ、事実を基にした物語を作る時の流儀だなぁ、と、オーディオコメンタリーに感心してしまった。

もちろん、作品自体も面白かった。F・マーリー・エイブラハム演じるサリエリは年老いた時の特殊メイクも凄いし、トム・ハルス演じるモーツァルトは、特にモーツァルトをよく知らない人は、そのブッ飛び方に驚くことだろう。

彼らを宮廷音楽家として抱える皇帝ヨーゼフ2世 (ジェフリー・ジョーンズ) は、マリー・アントワネットの兄だったりする。彼の演技もとても「皇帝っぽい」。エリザベス・べリッジ演じるモーツァルトの嫁・コンスタンツェも、そこらの田舎娘感がイイカンジに出てきてリアル。

いずれのキャストも、とても真実味があり、ディレクターズ・カット版は3時間の長尺ではあるが、一気に観られるとても面白い (Interesting な) 映画だった。