「365日のシンプルライフ」を観た

最近ミニマリズムに凝り始めたので、「ミニマリズム」に引き続き、Netflix で「365日のシンプルライフ」というドキュメンタリー映画を観た。

目次

あらすじ

「365日のシンプルライフ」は、2013年のフィンランドの映画。監督であり主演を務めるペトリは、モノだらけの生活にうんざりし、こんな実験を始める。それは、

というもの。

1年間で合計365個しか家にモノを持ち帰れないので、初日はコート、次の日はブランケットというように、冬のフィンランドを生き抜くために必須なモノから始まる。

10日頃までで、シャツやジーンズ、靴などを揃えるが、パンツや靴下はまだない。それでも会社では普通に仕事ができ、ケータイも PC も使わない生活がそこまで苦になっていない様子。

しばらくすると「もう持ち帰りたいモノがなくなってきた」と、がらんとした部屋で頭を抱え始める始末。この人最初からミニマリストの気があったのでは…。w

途中、カバンが壊れたり、水道管が壊れて水漏れを起こしたりするが、カバンは新たに買い直さず友人に修理してもらい、水漏れはブランケットで押さえて自力で修理。物凄く極端ではあるが、それでも生活が不可能なワケではないことを、自ら実験台となって証明していく。

途中、気になるガールフレンドとの出会いがあり、彼女とのデートや、お願いを聞くために苦心するが、当初のルールは破ることなく、とうとう365日を迎える。

当初あれだけモノへの執着があったというのに、最後にペトリは、「最初の5・60個ぐらいしか必要なモノはなかった」と言うのだ。365日間の実験を終え、無事付き合うことになったガールフレンドとともに、倉庫に残ったモノを眺める。そして複雑な表情で荷物を見届けながら、ペトリは倉庫の扉を閉めるのだった。

「何を捨てるか」ではなく「何を持つか」

この映画は、家の荷物を全て倉庫に預けている。捨てて手放しているワケではない。実験を度外視してその気になれば、全てのモノを元通り持ち帰ってこれる状態だ。コレは通常よくやる「断捨離」、モノを捨て去ることとは少し感覚が違うと思われる。

でも逆に、がらんとした家で全裸になり、「こんな生活で1つだけ必要なモノを選ぶとしたら、何だ?」と倉庫に眠るモノたちを想像することで、本当に必要なモノとは何なのかを考えることになる。

「冷蔵庫って要るか? (冬のフィンランドの場合は外に出しておけば冷やせる)」「アイロンって本当に要るのか?」と、「それでも持ち続けていたいものとは、なんなのか」を改めて考えることで、より意識的に生活できるようになるのだろう。

ペトリはしばらくすると「持ち帰りたいモノがない」という逆の悩みすら持つようになり、いかに余計なモノを所有し、それに振り回されてきていたかを実感する。

最後にペトリが「所有することは責任であり、それは重荷になる」というが、本当にこの一言に集約されていると思った。余計なモノを沢山抱えて、それらに気を紛らわしてもらう生き方ではなく、必要なモノを必要なだけ持ち、意識的に生きることの方が幸せなのではないか、と思う。

自分なりにアレンジして実験してみたい

この映画で行われた実験は、「冬のフィンランド」「独身男性」という条件があるので、日本の一般的な生活ではなかなか真似しづらいとは思うが、「家にある全てのモノのリスト」を作り、「今日必要だと思って使ったモノ」を日々リストアップして、その差分を見てみるだけでも、「家にどれだけ余分なモノがあるか」が分かるのではないだろうか。具体的な答えが出ているワケではないが、モノとの付き合い方に対して、新たな視点を見せてくれる映画だった。

結構カメラアングルに凝っていたりして、ドキュメンタリーっぽいんだけど、ドラマっぽくもある感じ。主演・監督のペトリのセンスが良い。

ペトリは倉庫の荷物を最終的にどうしたのだろうか?捨てたのかしら?w