「平等でなくてはならない」という幻想

最近のクソ炎上、クソクレーム、クソ迷惑行為に関するニュースを見ていて思ったこと。

この人達は、「人々が平等であるべき」「人々にはどんな差もあってはならない」だと思っているのではないか?

そして、実際はきっと、「人々は平等じゃない」し、「人によって差はあるもの」だと思う。

「運動会の徒競走で順位を付けるな」とか、「どっちのクルマが追い越した (だから煽ってやる)」とか、「こういう場面で男性が・女性が優遇されている」とか。

そんな「差」を、なくしたように見せかけたとしても、やっぱり現実として差はあるじゃんか。

「あなたと私は違う」「男と女は違う」。それでいいじゃん。実際に違うんだから。

違うんだから、かけっこで勝てないかもしれないし、生活リズムが違うかもしれないし、あなたの得意分野で私は苦労するかもしれないけど、あなたが苦手な分野で私が得をすることもあるかもしれない。

差があることを認めようよ。その違いは良い悪いとか勝ち負けとか関係なくて、ただ「違う」だけなんだよ。

で、「平等」という言葉の定義も難しいところだけど、これはあえて強くいうと、「別に平等ではないし、平等であるべきでもない」と思っている。

頑張って勉強してメチャクチャ仕事して大金を稼いだ人の方が、ダラダラ過ごしてる低所得者よりも、所得税が多く取られる。僕はこの仕組の方が「理不尽で不平等」だと思う。

「平等であるべき」というなら、支払う税金は貧乏人も金持ちも同じであるべきでは?もしくは、頑張った人ほど、ご褒美として所得税を減らしてあげるべきでは?

他人を引きずり落とそうとしたって、ゴネまくって何かを得ようとしたって、結局あなたの地位は変わらない。自分で価値を下げることはあっても、上がることはないのだ。

先天的な障害を持っていて苦労しているとか、ブラック企業で鬱になったとか、外的要因だと思うようなことも含めて、それでも人は平等ではないし、平等になることはないよ。

「誰かは自分より得している。別の誰かは自分より損している。そういうもんだよ。」って話でいいじゃん。

「平等であること」「差がないこと」なんて、幻想だし、理想形でもないんだ。均等に扱ってもらえなくて、勝ち組になれなくて、不条理なその自分の地位を認めて、ないものねだりはしないで、大人しく生きていなさい。