「ざっくり」とか言うヤツ、いつまでも「きっちり」できない説

似たようなこと前にも書いたんですけどね…。


ざっくりしたモノは要らねえ、きっちりしたモン出せや

って思うんだけど、いつまでもきっちしりたモノは出てこない。

大抵は「ざっくりしたモノ」をベースに「ざっくりした別の何か」を作り、それが成果物と呼ばれ始めて、プロジェクト自体がざっくりと終わる。無駄に煩雑で分かりにくくなったメンテ手順やショボいバグの数々は全部運用フェーズに丸投げだ。

時間がないからざっくりしたモノしか作れない、という輩は、ほとんど 100% の確率で、潤沢な時間があったとしても、ざっくりとしたモノしか作れない。要はきっちりしたモノを作るスキルがないのだ。私は能無しだから誰か助けてくれって正直に言わんかい。


一番最初に用意するモノが「ざっくり」していると、それが最初に作られた以上の精度に精密化されることは、まずない。どうしてもそれが「基準」になってしまうからだ。

「本当はこのざっくりとした低品質な叩き台の全てが間違っていると思うんだけど、ゼロから全てを作り直すのは面倒臭いな、俺の責任になっても嫌だし」という、人間誰もが抱きうる逃げの気持ちが生まれるから、最初に作るモノがざっくりしていてはいけないのだ。

「曖昧な表現が飛び交う、ざっくりした要求仕様書」に基づいた開発プロジェクトが成功した試しがあるだろうか?初めに作る資料がざっくりしていなければ、何を作るべきか迷いはないし、万が一抜け漏れがあったとしても、きっちり書かれている中の抜け漏れなので、発見・対策が迅速に行いやすい。

叩き台を作るならざっくり作ってはいけない。きっちり作れ。


個人メモ、勉強した記録を「ざっくり」書いてしまうのは、整理がついていないためだと思う。

自分も、「とりあえずコレで動いたけど、原理を説明しきれないな…」というタイミングはあった。そんな時に書いたメモは「このオプションがないと動かないが何をしているかは分からない」とか、「とりあえずこの行があると上手く動く」なんて書いてあったりする。

でも、こんなメモをそのまま残しても、後で何の役にも立たない。書いてあるのを読み返しても、何も分かりゃしない。

自分の、誰かの役に立つメモにするなら、そんなざっくりした部分があってはいけない。

その日は理解が追いつかなくて曖昧なメモになってしまったら、それはそれで一旦残しておくのは良いが、後で必ず最初からやり直し、同じメモをゼロから書き直すことだ。

同じ内容を入力することになっても、前のメモからのコピペはせず、全てゼロから書き直す。コピペすると「ざっくりした品質」を移植することになるから、コピペは避ける。ゼロから検証をやり直し、メモを書き直すことで、前日よく分かっていなかった部分の理解も追いつき、前日よりはきっちりしたメモになっていることだろう。

きっちりしたモノを作るには、ざっくりしたモノをベースにしてはいけない。