ポケモンソードシールドをやっていてポケモンにまつわる思い出を掘り起こしてみたり

「ポケモンソード」をプレイし始めて、ポケモンにまつわる色んな思い出を思い出した。今日は一ポケモンファンの思い出語り。

目次

初めてのポケモン

僕が初めてポケモンと出会ったのはアニメだった。1997年4月から放送開始したアニメの第2話かなんかをたまたま見つけ、サトシがキャタピーを捕まえるシーンを見てから、ポケモンにハマった。「ポケモンいえるかな」と「ロケット団よ永遠に」が収録されていた8センチ CD を買ってもらったのを覚えている (1997年12月発売)。

多分アニメでポケモンに出会ってからだと思うが、当時毎月500円というお小遣いの中で、480円するコロコロコミックを毎月買っていて、「ポケモン2」なる新作が開発中であるというページを読んだりしていた。デンリュウ、ドンファン、ヤドキングなどのイラストが載っていて、「金銀」では実現されなかった「五重塔」(金銀では「マダツボミの塔」) だとか、スケートボードに乗る主人公などの、開発中のゲーム画面が載っていたのを覚えている。

コロコロコミックの応募者全員サービスで、なみのりピカチュウのプラスチックのおもちゃ (「プラモン」というシリーズ) をもらったこともあった。ハガキに切手を500円分だか貼り付けて送るとプラモデルが家に届くという、今思えばただの通販なのだが、「応募者が全員もらえるだなんて、なんて画期的なんだ!!」と思って親にねだった記憶がある。

初の劇場版「ミュウツーの逆襲」も、夏休みに映画館に見に行った (1998年7月)。僕が人生で初めて映画館で見た映画は「名探偵コナン 時計じかけの摩天楼」で、そのあと「ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!」「もののけ姫」などを見て、1998年に見た初めての映画が「ミュウツーの逆襲」だったと記憶している。

で、ポケモンピカチュウが1998年9月に発売。この時まではゲームボーイも持っていなかった。1998年10月にゲームボーイカラーが発売。発売直後はゲームボーイをやりたい欲はあまりなかったようだが、1999年の1月、自分の誕生日に、ゲームボーイカラーのクリアと同時に、「ポケモンピカチュウ」を買ってもらった。

できない裏技、そして改造へ

ポケモンピカチュウを始めた頃、ISDN でインターネットに接続し、「ポケモンだいすきクラブ」の裏技紹介ページや「かけるのページ」などをよく見ていた。

ピカチュウ版は、ご存知のとおり、赤・緑・青ではできた「セレクト系の裏技」ができなくなっていた。そのため、周りが「レベル100にする裏技」などで浮かれている中で真面目にプレイするしかなく、コツコツと進めていた。

当時、多分親が買ってくれたのだと思うが、「ポケットモンスターマスターノート」という攻略本を持っていた。攻略情報はほぼなく、「オリエンテーリング」と称した構成の本だった。マップのみが書かれていて、付属のポケモンシールを貼り付けることで、「いつどこでそのポケモンを捕まえたか」を書き込めるような作りの攻略本になっていた。この本もピカチュウ版については記載がなく、マップやアイテムの違いなどにモヤモヤしながら読んでいた気がする。

1999年4月、Nintendo 64 で「ポケモンスタジアム2」が発売される。コレをいつ購入したのかは覚えていないが、恐らく1999年の間に買ってもらい、「64GB パック」の接触が良くない中、ポケモンを4倍速でプレイできる「ドードリオ GB ビル」を愛用していた。そういえばポケモンスタジアム2の攻略本も、「ウルトラカップ」を紹介してるページで真っ二つに裂けてしまうまで読み込んでたなぁ…。


そんなある日、事件は起きた。

「タイトル画面で上・セレクト・B ボタンを押すと、セーブデータを消す画面が出せる」という小ネタを仕入れたので、それを検証するため、ドードリオ GB ビルで実際に試してみた。

確かに、「セーブデータを消去しますか?」といったメッセージが出る。なるほど。でも実際にデータを消すつもりはないから、「はい」「いいえ」のカーソルは下の選択肢を選んで決定、っと…。

「GB ビル」プレイ中にデータをセーブすると、画面下部に「セーブ中…」といった表示が出るのだが、それが一瞬出たことが気になった。

それはともかく、ピカチュウ版のピカチュウが駆け寄ってくるタイトル画面に戻り、画面を進めると、いつもと様子が違う。

なぜだか、「つづきからはじめる」の選択肢がないのだ。

…そう、僕はやってしまった。

セーブデータを消去する画面の「はい」「いいえ」の選択肢は、この画面だけ「いいえ」「はい」と並んでおり、下の選択肢を選ぶとはすなわち、「はい」を選択することになり、僕は自分でセーブデータを削除してしまったのだ。

プレイ時間114時間16分。ポケモン図鑑121匹。直前までプレイしていたデータの状態を細かく覚えている。しかし、どうやっても復元できない。

一人でロクヨンのコントローラを握りしめたまま、2時間ぐらいは泣いたと思う。

観念して「さいしょからはじめる」を選択した時の屈辱ったらない。

後から思うと、この経験が、僕を「プロアクションリプレイ」の道へと進めた気がする。


当時、近所にあった小さなゲームショップで、「アクションリプレイ」という、攻略本ともまた違う本を見つけた。価格は1000円で、僕の小遣いでは購入がかなり大変な金額だった。しかし「ポケモン金銀の裏技」などが特集されていて、なんだかダークな内容にドキドキして、小遣いを貯めて頑張って購入したのを覚えている。

そして、ゲームボーイ用の「プロアクションリプレイ3」を親に買ってもらい、秘技コードに手を出し始めた。当時「カラット」が販売していたプロアクションリプレイ (PAR) では、改造コードとかチートとかいう呼び方ではなく、「秘技コード」と呼んでいた。

当時持っていた「アクションリプレイ」は、あまりの懐かしさに、2012年頃にヤフオクで再購入してしまい、今も持っている。ポケモン金銀の特集がされていたのは、2000年発売の Vol.7。発売元は「ブレインストーム」という会社。ガイコツが想像妊娠したがる4コママンガも懐かしい。そういえば、もう少し後の話で、「ポケモンクリスタル」向けの改造コードが載っている特集本を買ったことがあったのだが、それは PAR とは違う改造ツール (多分「X ターミネーター」) 用のコードばかりで、全然使えなかったのを覚えている。

さてさて、秘技コードを手に入れた僕は無双状態。全ポケモンを最強ステータスで出現させ、大量に増やしたマスターボールで乱獲、ボックスに図鑑 No. 順に並べて、一人で悦に入っていた。友達が見せびらかしていた「なみのりピカチュウ」も自由自在に作れるし、なんなら「そらをとぶピカチュウ」も作った。手持ちのパーティは全ステータス 999 に設定していて、近所の友達との通信対戦では負けるはずがなかった。

そうこうしている内に、ポケモン赤・緑・青を立て続けに購入した。確か緑は初めて「中古のゲーム」を買った。どういうワケか、フリーマーケットかなんかでもう一本「緑」を買って、一時期2本「緑」を持っている時期すらあった。

これらは一通り通常プレイしてバージョンの違いを確認したあと、

みたいに用途を分けて運用していた。弟もゲームボーイカラーを持っていたので、通信交換の際は弟の GB を借りたり、「ポケモンスタジアム2」を利用したりしていた。

PAR は接点が壊れたりして、3 のあと 3α を書い、最後に 4 MAX を買った。4 MAX は未だに手元にある。あの時消してしまったデータを、自慢のパーティを取り戻したくて、秘技コードに手を出した、哀れな少年がそこにいた。2000年の夏の出来事である。

ポケモンを一緒にプレイした友達

一番よくポケモンを一緒にプレイした友達は、幼馴染の S.R. くんだろう。彼の家のベランダで通信対戦をしていると、通信ケーブルが抜けてしまったのに試合が続行し、お互いが持ってもいない謎のポケモンが次々と出てくるバグに遭遇して、腹を抱えて笑った記憶がある。あんなバグに遭遇したのはあの1回きりだった。

母親の友人の娘、I.M. ちゃんが僕と同い年で、時々遊ぶことがあった。その子の家に遊びに行った時、近所に生えているアロエをほじくって食べてみたことを覚えている。その日は慌てて家に帰り、「メダロット魂」の最終回を5分遅れで見始めたのをハッキリ覚えているので、2001年3月30日のことであろう。

その後、その子が親とともに我が家に遊びに来ることがあった。「ポケモン分からないところがあるから、進めるの手伝って!」と言われていたのに、当日僕が高熱を出してしまった。「風邪を移したら悪いから」ということで、その子が遊びに来る前に、僕は家を出て、祖父母の家に避難することになった。一緒にポケモンをプレイできなかったお詫びとして、手持ちの攻略本を全て机に並べて、親に「I.M. ちゃんにコレ見せてあげてね!」と伝言を残したのを覚えている。後から聞くと、その子は一緒にプレイできなかったので、攻略本には手を付けず帰ったそうだ。あれ以来会う機会もなく、個人的に残念な思い出である。

ポケモン金銀が出た後、小学校のクラスメイト T.R. くんが、よく「僕が見つけた裏技」とやらを紹介してくれた。彼によると、

みたいなバグ技があるそうだ。

最初は「えっ、そんなのあるの!?」と興奮して根掘り葉掘り質問していたが、段々としどろもどろになる彼。しまいには「バグなしの塔」なるパワーワードが炸裂し、完全に作り話だと断定。

後日「言ったとおりにやってみたんだけど出来なかったよ?」というと、「いや、やり方が違う、アイテムの○○番目には何を置いて…」みたいなデマ講義が始まったので、2・3時間付き合って話を聞いてみたことがある。「それウソでしょ?」「作り話でしょ?」って何度聞いても頑なに認めなかった彼を見て、以来ちょっとずつ距離を置くようになった。

こちとら金銀も PAR でゴリゴリに改造しているので、そんなデータが生まれないことはとっくに分かっていたのだ。デマを吹聴していた彼は今どうしているだろう。

…金銀の後の「クリスタル」は、PHS (携帯電話) と接続してインターネット対戦だかなんだかが出来る、「モバイルアダプタ GB」というヤツに対応していたが、僕はついにコレをプレイすることなく終わってしまった。家に PHS も無かったし、モバイルアダプタ GB をやっている人もいなかった。セレビィがゲットできるキャンペーンがあった気がするが、PAR で出していたのでそこまで気にならなかった。

GBA シリーズの思い出

GBA シリーズは、「ルビー」を GBA 本体と同時に買った。GBA 本体は叶姉妹が宣伝していたシルバーを選んだ。この本体とカセットは後で写真をお見せしよう。

ルビサファが発売された2002年11月当時は、既に Neo's World を公開していたので、攻略情報を掲載することに躍起になっていた。どこかのタイミングで「Yahoo! BB」に加入し、ADSL を引いたので、それ以来「ソーテック」の9万9800円パソコン (Pentium 3!) で自由にインターネットを使っていた。

当時は「ポケモン熱狂的ファンはココが違う!」が全盛期で、「ポケモン FAN!」というサイトと提携したりしていた。現在も精力的に活動されている、やっくんの「ポケモン徹底攻略」というサイトは、僕らがやっていたサイト群からすると少し後発のウェブサイトだったが、結局今も生き残っているのはココぐらいだったりする。

僕のサイトはポケモンサイトとしてまぁまぁウケていたので、ルビサファ → ファイアレッド・リーフグリーン → エメラルド、と攻略情報を載せていた。GBA 用の PAR (透明な筐体のヤツ) も購入して、しばらくプレイしていたが、エメラルド (2004年9月発売) を買ったあたりから、段々とゲーム全般に飽き始めていた。

2003年4月頃に自分のパソコン (Dell Dimension 4500C) を買ってもらい、2003年11月に引っ越して以来、パソコンを触る時間の方が長くなっていった。引っ越してからはポケモンの話ができるクラスメイトがおらず (誰とも仲良くなれなかった)、一人で殻にこもることが多くなった。そうこうしている内に PC ゲームにハマったり、Free Running にハマってみたりしていて、相対的にゲームボーイアドバンスを触る時間が短くなっていった。

弟がゲームキューブを買っていたので、「ポケモンボックス ルビー・サファイア」(2003年5月発売) や「ポケモンコロシアム」(2003年11月発売) を買ったものの、あまりハマることもなく終わった。ポケモン XD については買いもしなかった。エメラルドなどに付いてきた「ワイヤレスアダプタ」も使わなかったなぁ。

バーチャルコンソールで再燃

2005年頃を最後に、ポケモンから離れて行った。その期間10年以上。

ポケモン熱が再燃したのは、2016年2月に発売された「赤・緑・青・ピカチュウ」の 3DS バーチャルコンソールだった。専用筐体の 2DS のヤツを4タイプ揃え、ポケモンセンターに4台持っていってミュウを交換してもらった。「次世代ワールドホビーフェア」でミュウを交換してもらえた、という情報を後から知った自分としては、リアルタイムにこうしたイベントに参加できて大変嬉しかった。当時26歳だったけど。

2016年7月から始まったスマホゲーム「ポケモン Go」は、それ以前にやっていた「Ingress」繋がりでちょっとプレイしていた。コチラは両方プレイするのが大変で、そうこうしている内に熱が冷めて、2017年には止めていた。

2017年9月、金・銀の VC が登場。コチラは New Nintendo 3DS LL の白と黒をわざわざ買い揃えてプレイ。2018年1月に発売された VC 版クリスタルも含めて、VC の全バージョンで図鑑完成・および全ポケモン Lv100 に揃えた。

2019年5月、映画「名探偵ピカチュウ」を観て感動したのと同じように、最新作「ソードシールド」では、「人間とポケモンが共生する世界」がリアルに描かれていて、大変感動した。

会社員になり、普段の時間的にも、自分が未プレイの過去作をさかのぼってプレイする体力はないが、あぁ、やっぱりポケモンは良いなぁ、と思ったのがココ数年である。

当時のゲーム機を掘り起こしてみた

2005年頃から触らなくなっていた GBA や、各種ソフトをずっと残しておいたので、2019年12月、約14年ぶりに掘り出してみた。

GBA 本体は単三電池を入れる裏蓋のツメが割れていて、セロハンテープで蓋をしていた。AC 電源アダプタとよく付け替えていたので、ツメが折れたんだな。消しゴムと輪ゴムで十字キーの上を押しっぱなしになるよう固定して、ルビサファの砂の滝に向かって走り続けることで「育て屋」の経験値を稼いだりしてたなぁ。

残っていたソフトはポケモン緑・青・ピカチュウ、金・銀・クリスタル、ルビサファエメラルド、FRLG。なぜか赤だけない。弟にあげたかな?あとポケモンカード GB、メダロット4、ロッピーで書き換えたスーパーマリオブラザーズ DX、ビーマニ GB2 ガッチャミックス (もう一個の「GB ガッチャミックス2」も持ってたがもうない)、GBA の FC 復刻シリーズ5本。そして GB PAR 4 MAX。GBA PAR も持っていたが、接触不良で壊れたかなんかで捨てたと思われる。

ソフトがどれくらい起動するか試してみた。もう GBA 本体の電源の接触が悪くて、かなり動作検証がキツかった。結論からいくと、初代・2代目のポケモンシリーズはデータ全滅だった。さすがに GBA シリーズは全データ残っていたが、「何でこんなタイミングで止めてたんだ?」と思うようなセーブデータが残っていた。謎にポケモンカード GB やメダロット4のデータが残ってたのが面白い。

つーか画面暗っ!!よくやってたなこんなの…。

接点不良などはあるが、それでもまだゲームが動く本体、そしてデータが残っているカセットの耐久性に驚いた。

チョコレートの箱も賞味期限2007年だったからね。w

出ましたアクションリプレイ!俺の人生を変えたゲーム本と言っても過言ではないだろう!w

今日はココまで

色々と懐かしい記憶が蘇ってきたので、もう少し掘り下げてみる。次回は「思い出の攻略本」編。w