親切にされることへの嫌悪感

近所のコンビニに無人レジができた。が、この無人レジの隣に、店員が2人がかりで待機している。どうも無人レジの使い方を隣で案内する係らしい。その2人は「さぁいらっしゃいませ〜、便利な無人レジもございますよ〜」とか呼び込みしている。

その威圧感のおかげで、無人レジに近付く者は全然いないのだが、ごくたまに利用者が現れると「そら来たっ!」といわんばかりに案内を開始する。「ココに商品を置いてください!」「お金はコチラに投入してください、カードも使えますよー」

せっかくの無人レジなのに、そこに人を配置して手取り足取り使い方を教える、その非効率さ加減にはゲンナリする。どうせ混雑していないんだし、多少使い方が分からなくても、利用者のペースで確認しながらやればいい。どうしても分からないことがあれば、そのとき初めて店員を呼べば良い、と思うのである。

だがそう思う一方で、別の考えも浮かんだ。

そのコンビニが行う「店員の使い方」は、定量的に見積もっても非効率だと思う。が、利用者は別に、隣で使い方を教えてくれる人がいるからって、非効率にはならないと思う。むしろ迷わず使えるのだから、レジ作業はスムーズに終わるのではないだろうか。

それでも、僕はココの無人レジを使ったことがない。元々僕は他人との関わりがあまり得意ではないので、無人レジの方が嬉しいような気もするのだが、結局有人レジに行って、店員とやり取りをして、無人レジよりも手間暇をかけて商品を購入している。

さて、僕は何がこんなに嫌なんだろう。最初に店員の存在を「威圧感」と書いたが、この威圧感って何なんだろう。


薬局の入口の隣で、看板を掲げて「本日ポイント2倍デー!ぜひご利用くださーい!」と宣伝している店員がいた。ポイントが2倍なら、利用者にとってお得なはずだ。それなのに、呼び込みをしている店員の隣を通ってお店に入るのが何となく嫌で、今までポイント2倍デーに買い物をしたことがない。

別に、「アイツ呼び込みを聞いて店に入ってったぞ、卑しいヤツだw」と思われそうで、それが嫌で控えている、という自意識過剰な理由ではない。他人にどう思われそうだから止める、という気持ちはサラサラないのだが、何となく「呼び込みをしている店員」の存在そのものが嫌に感じて、近寄りたくない。


洋服屋の店員に話しかけられるのが嫌、というのは、「自分の好みでないモノを押し売りされそうだから嫌」といった、実被害のある理由で嫌悪感を抱く人がほとんどだろう。

しかし、「無人レジの横で使い方を教えてくれる親切な店員」も、「お得情報を伝える呼び込み店員」も、その存在は何ら害のあるモノではなく、利用者にとって特があることなのに、どうしてココまで嫌な気分になるのだろうか。

他人とあまり関わりたくない、とはいえ、コンビニの場合は無人レジを回避するために有人レジに向かって結局他人と関わっているし、薬局は呼び込み店員の有無に関わらず、店員に商品の所在を聞いて買い物をしたりしている。

別にコレといった害がない人間の存在が、どうしてこうも嫌な気分になるのだろうか。


理由は分からないが、とりあえず僕はこういう人間の存在が苦手らしい。自分が観測する限り、無人レジの利用者は増えないし、薬局の呼び込みの効果も特にない気がする。むしろ逆効果なのではないか?店側はこういう変な親切を止めたらもっと自然に人が来るようになるんじゃないか? と僕は感じるのだけど、どうなんだろう。

確かに、店側が思う「客への損得」だったり、「店の誠実さ・熱心さアピール」としては効果がありそうなのに、どういうワケかその利用者が、理屈も理解しているのにそれでも生理的に嫌悪感があって足が遠のいているのだ。

この感覚って、他の人は持たないのだろうか?「おっ、有人レジに店員がいるな、助かる!使おう!」って思うのだろうか。そういう方が多数派なの?

でも自分が観測する限りは効果がないように見えている。皆はどう思っているんだろう?

誰かに、僕が抱くこの嫌悪感についての説明を付けて欲しい。そして、他の人はこういう親切が嬉しくて、欲しているモノなのか、知りたい。