個人で「ホームページ」を持っている時代の方が良かった

自分は Yahoo! ジオシティーズ時代から「ホームページ」を作って公開してきた。当初は Yahoo! BB 会員限定に、通常の 5MB ではなく 25MB のウェブスペースがある geocities.jp ドメインで、家族のサイトの一コンテンツとして作っていた。

当時はポケモンにハマっていたので、色んなサイトを巡回していた。自分は当時から「みゅうはあと」のような自警団のいる掲示板が苦手だったので、「さといものポケモン喫茶」と「ポケ熱同盟」の掲示板くらいしか「書き込み」というものはやらなかった。自分が言いたいことは、みんな「自分のホームページ」に書いていたので、そんなに掲示板でダベったりする必要もなかったのかもしれない。


2004年ぐらいからレンタルブログサービスが広まってきて、中高生の間では「前略プロフィール」と「リアルタイムブログ (リアル)」が流行り、ライブドアブログ、アメブロあたりで記事を書いていると、IT リテラシーの低い連中の中ではなんかいっちょ前な感じがあったと思う。

ブログになるとちょっと「個人の空間」の感覚が薄まる気がしているが、それは「レンタルサービス」が多いからかなと思っている。ブログのシステム的に、時系列でしか記事を残せなくて、カテゴリやタグ付けはあくまで補助的なモノでしかない。そうなるとサイトの見え方・見せ方は画一的にならざるを得なくて、オリジナリティが薄く感じるのだろう。

ホームページを作っていた時代は、サイト全体の構成を自分で考え、新規ページがどの位置にあると良いか、調整しながら追加していた。ブログはウェブログであり、時系列に書き殴るだけで、あまりサイト全体の構成というところに目が向かないところがある。

同時に mixi が流行って、今でいう「お気持ち表明」みたいな悪しき文化は mixi が顕著だったと思う。


そこから Twitter や Instagram をはじめとする SNS が台頭し、今では個人の「ホームページ」を持つことはほとんどなくなった。

各 SNS が「プラットフォーム」として機能し、基本的にはその箱庭の中に閉じこもって活動することになる。よく見るとそれぞれの箱庭の中には、ユーザ個人に最適化された小さなバブル (泡) があり、人々は「タイムライン」と呼ばれる個人専用の箱庭空間しか見ていないのだ。

インターネットは広くなったようで、実は狭くなったような気がしている。まずどのプラットフォームを開くか?Twitter か Instagram か Facebook か、動画なら YouTube かな。あれ?選択肢少なくない?

どこかのプラットフォームを開いてみても、「自分が知りもしなかった世界」というものが見つけづらい。SNS はどこもかしこも、個人に最適化されたレコメンドエンジンが裏で動いていて、自分の嗜好と似たような情報しか出てこない。違うんだ、自分はそうした偏見のない、雑多なコンテンツを眺めたいのに。

それぞれのプラットフォームで投稿されるコンテンツを見ても、取るに足らない、推敲されていないくだらない内容ばかりだし、その揚げ足を取るヤツがレスをして、謎のシンパがさらに擁護レスをして、空間全体がつまらなくなっている。


「ホームページ」の時代は、自分の言葉を発信するまでに、それなりにハードルがあった。ウェブスペースをレンタルし、HTML を覚えて書くか、さもなくば「ホームページビルダー」などを買うかしないといけなかった。ページを作ったら FTP を覚えてアップロードして、ようやくページが公開できたワケだ。

自分が発信するということに対して、あまり価値を感じていない人は、これらのハードルを見て面倒臭くなり断念していただろう。

しかし、時代が進むにつれて自分のお気持ちを表明するためのハードルはどんどん下がっていった。Twitter という箱庭の中で騒げば、それなりの人数に見てもらえる、そんな空間が出来上がってしまった。


この記事ではウェブサイトのことをあえて「ホームページ」と書いているが、当時はやはり、自分の「ホーム」があり、自分の言いたいことは自分の家で言うような感覚があったと思う。他人のホームページは、それこそ誰かの「ホーム」にお邪魔していた、人んちに遊びに行くような、そんな感覚だった。

Twitter のような SNS では、全員が大きな広場に集まって、似たもの同士がグループを作り、大声を出しているような感覚がある。まさに「プラットフォーム」というワケだ。

インターネットをどう捉えるか、この差は大きい。自分を表現するなら、自分の「ホーム」に展示会場を開き、そこにお越しいただく感覚でいたい。公共の場でただただ喚いている状態を想像すると、「公園で不審者が騒いでる、近付かんとこ」ってなるよね。


時系列に沿ってお気持ちをただただ書き捨てていくだけのプラットフォームは、夜な夜な酔っ払いが公園で騒いでいる様相にとても近い。くだらない、雑多なものがひしめき合い、他人とのパーソナルな間隔がなくなっている。

家のテレビを見ながら悪態を付いていたように、愚痴や悪口は自分の家で独り言として言っていれば良いものだ。仲間内とワイワイやりたいなら、本当に仲間内だけで限定できる、「鍵付きチャット」や IRC に留まればいいのだ。

いつから自分が発言する悪口で承認欲求が満たせるものと勘違いするようになったのだ?自分の家、他人の領域、公共の場、インターネットでもこういう感覚を持って、どこで何を言うかは調整しようよ。