自分の性格・思想・偏見
自分の性格、好き嫌い、思想、偏見を書いておく。後で見返して、自分がどれくらい変わるのか、変わらないのか、をチェックしたいので。
- 計画を割と綿密に立てる方、慎重派
- 最初から失敗しにくい、確実な方法を選ぶ
- ステップごとに失敗した場合のリカバリ策も決めておくタイプ
- 失敗した時の被害が少ないような、失敗しても大丈夫な方法を選ぶ
- 迷っても結果が大して変わらないモノはサッサと直感で選ぶ
- 理屈で損得が決まらず、感情で決断するような局面は、どちらを選んでも大差ないので、悩む時間がもったいない
- 例えばファミレスでどちらを食べるか迷う時なんかは、テキトーにサッサと決める。その1回の食事でトンカツにしようが寿司にしようが、人生に大きな差はない
- そもそも悩むことに時間を使いたくない、避けたいタイプ
- チャレンジ・冒険する時は、元に戻しやすくしておく
- 初めて時計を分解する時は、元に戻せるように、踏んだ手順を記録する。取り外したパーツを整理して置いておく。作業記録としてビデオを撮るなどしておく
- エンジニアとしての作業記録を残すクセにも通じる
- 例外を作らない
- 「今回だけ楽しちゃおう」といった行動は大体副作用があるので、最初からやらない
- 横着しない、楽しようとしない
- 楽でないことは、むやみに楽しようとすると副作用が生じる。結局その面倒な方法しか方法がない場合が多い
- 面倒臭さには理由があるので、その理由を把握しておいて、適当に手を抜かない。面倒でもそれをやる
- 楽する方法を考えないワケではない。むしろなるべく楽になる方法を模索してはいるが、ただサボったり、思い付きで楽な方を選ぶと、ちゃんとツケが回ってくるので、避ける
- 自分のような素人が考え付く程度のことは、何千年も前から、自分より賢い人達によって、とっくに考え尽くされている
- 自分の考えなんて、どうせ昔誰かが考え出していたことと同じ。オリジナルな発想なんかない
- 自分が思い付く程度のことは、より洗練されたアイデアが先人によって実現されている
- だから、「自分で考える」ではダメで、「自分が考え付いた方向性の既存のアイデアを調べ尽くして、その発展形や組み合わせ方を考える」方が、根拠のある良いモノが出来上がる
- 平等などない・不平等で良い
- (頑張るの定義はともかく) 頑張れば他人より稼げる、不平等な世界の方が良い
- 頑張らなかった人が、頑張った人と同じ利益を享受できる仕組みは嫌い。バカは困っていればいいし、やった人だけが助かる世の中でいい
- 身の程を弁えろ。いかなる理由でも弱者は弱者。受け入れられないならなんとしてでも強者の仲間入りが出来るよう取り組むしかない
- 自分が虐げられる側になったことがないからそう言える?それでもこう言う。自分は不平等であることを受け入れる
- 公平であることは望ましい
- 平等なんかに意味はないと思っているが、公平であるなら素晴らしいだろうね
- 最近は「平等」が重視されすぎていて、いささか弱者や少数派への優遇が過ぎないかと思っている。弱者への配慮や支援は、出来るに越したことはないが、バランスを考えて欲しい
- 自己責任論が強いけど、共同体主義っぽいのかな
- 男女差はある
- 生物学的性差は少なからず現代人の文化的生活にも反映されるだろうと考えている
- オスは種が小さい代わりに移動することで多様性を得ようとした。移動や狩りを行うから、感情よりも実利が重視される
- メスは種を大きく保ち、妊娠できる代わりに移動しないようになった。今いるコミュニティから離れづらいから、実利よりも、自分の居心地や感情、協調性が大事になる
- 根源的にこのような性差はあるのだから、性差がないかのような発想や、性差をなくそうというような動きは無理がある。そうではなく、そうした性差があることを前提として、お互い納得いく調整を目指す方が良い (「平等」を目指すのではなく「公平」を目指す取り組みなら、理解は出来る)
- 自分が楽になるための努力をする
- 「今楽出来る」よりも「後で楽になる」方が、効果・利益が大きい。楽をした瞬間に脳死して未来予測が出来なくなるので、より先が見えている方がより楽に過ごせると考える
- 時折相手に配慮したりするのも、全て回り回って自分が楽になるから。利己的だからこそ周囲の人の動かし方にも配慮する
- 自分で変えられないことに時間を使わない
- 世界経済・政治・会社・他人。自分の思いどおりにいかなくてイライラするけど、イライラしたり、世間に文句言ったりしても、なかなか変わってはくれない
- デモで声を挙げた方がいいとか言ってる人もいるけど、自分は反対。確実に無意味。意味のある行動を取らないとそんな大きな問題は感情では変わらない
- 「現実は正解なんだ」。気に入らなくても、今の社会が正解であり、恐らく変わらない。変わるとしても物凄く時間がかかり、自分の人生を費やすには非効率で損失が大きい
- 嫌なこととは距離を取り、自分に変えられることを変えていった方が、簡単に幸せになる
- 嫌いな奴とはサッサと縁を切る。嫌な会社は転職する。政治・経済のニュースは見ないようにする (必要なニュースはどうせ嫌でも耳に入ってくるから自分で見に行かない)。「世間」なんて自分で意識する観測範囲でしかないから、自分でコントロール可能な範囲の「世間」を自分で構築して気分よく暮らす方が良い
- …そうは思っているけど、ついつい長時間イライラしてエネルギーを吸い取られてしまう
- 自分の言動に根拠・出典を持つ
- 「ココにこう書いてあったからこうする」「誰々がそう言っていたからやる」という風に言えるようにしておく
- 自分の言動の正当性を担保する拠り所を作っておく
- 考えなしに行動しない。自分一人で考えた根拠のない行動は取らない。大抵そうした行動は他人にとって鼻につく行動になる
- 自衛することを考える
- バイト時代、厄介な客の情報を、スタッフ間でノートに書いて共有していた経験から
- 面倒臭くても証拠を残しておかないと、自分の身を守れない。証拠があれば、現場にいなかった人にも自分の正当性を保証してもらえるし、味方にして自分を守ってもらえるようになる
- 「言った・言わない」「そんなつもりじゃなかった」といった問題は、相手の目の前で証拠の文書 (議事録・覚書) を作り、その文書によって合意を求めておくことで対処する。物凄くムカつく相手に見られるだろうが、こちらが不当に負けることは防げる
- 先輩上司からの指示なんかでも、「こう言いましたね?」「こういう意味と捉えましたが間違いないですね?」と確認しておけば、後で文句を言われても上司の指示ミスになるし、不当に怒られなくなる
- 逆に自分が指示を出す時も、自分はここまで言った、ここまで合意していたはずだ、ということを証拠にしておけば、ミスが生じても原因分析がしやすくなる
- 大事なことは口頭で話さない・文書にする
- 主にビジネス面。口頭の会話は記録が残らないので、基本的に「話し手が得する卑怯な手段」と捉えている
- 口頭での会話は、話し手が楽できるだけ。話し手が楽すると、聞き手が配慮・推測しないといけなくなり、聞き手のバイアスが入るので指示ミスや伝達漏れなどが発生する。21世紀にもなって非効率かつ不正確な、劣った伝達手段である
- 文面でやり取りすれば、証拠が残る。書き手は整理して情報を展開することになり、伝達される情報の精度が上がる。読み手は何度でも自分のペースで読み返せるので、理解度も上がり、情報の抜け漏れが少なく済む。勿論、書き手が努力を怠ると意味不明な怪文書にしかならないので、その際は読み手がツッコミを入れないといけない
- 重要なのは、整理された情報の記録が残ること。過去の会話を検索しやすくなる。記憶に頼らないので正確な仕事ができるようになる
- 残念ながらこの期に及んで目先の気楽さを優先して口頭で済まそうとするバカがほとんどなので、なかなかうまくいかないのだが、相手が話しかけてきても文面で返信するぐらい、強引にやり続けていれば、嫌われようと自衛はできる
- たまたま同じ会社にいるだけの人間なんかどうだっていい。好かれても嫌われても何も変わらない。それよりも、自分が正しいといえる状態を維持し、自衛を心掛ける方が、失敗が少ない
- 仕事は自分の中で一番重要度が低い事項
- 自分自身や家族、私生活が大事。仕事なんかに人生捧げない
- 有休も平気で取るし、私生活を脅かされるような仕事は、どれだけ嫌われようと断る
- 仕事を適当にやるワケではない。「責任感」は何なら人よりも強いとすら思うが、家族を蔑ろにしてでもやり抜くつもりもない
- 「会社」は「社会」ではない。国の法律より優先される社内規程などない。会社は自分と同じ墓には入ってくれないのに、自分を犠牲にして尽くすな
- 会社なんかいつでも辞められる。いつでも辞めていい。いつ辞めても大丈夫なように、自分にスキルを付けておくと、より安心して覚悟できるだろう
- 感情より論理、と思ってはいるが負の感情は強い
- 感情は切り捨てて実利的な方を選ぶと思うが、そんなに一貫性もないと思う。それっぽいこと言ってるけどわがままなだけだと思う
- 自宅での過ごし方は「快適さ」という感情を優先させがち。手を抜いても大きく結果が変わらないことは手を抜くし、諦めている領域や度合いが人より多いので、だらしない
元来神経質で、几帳面だと思う。友達は元々少ない方で、多く作りたい・人気者になりたいといった欲はない方だった。転校を経験して、より一人でも良くなったし、誰かに嫌われることも全く気にしなくなった。むしろこちらも皆が嫌いだから構わんって感じ。
バイトと SE 職を経て、証拠・文書を残すことが、ホワイトカラーのまともな働き方だと思うようになる。頭を使うことになるから皆避けてるけど、絶対この方が質の高い仕事が出来る。皆だらしない仕事してていいと思ってるんだよな。だからいつまでも「雑談力」とかワケの分からんこと抜かしてんだよな。そんなの会社内でやろうとすんなよ。
学生時代の体験から、怒りとの向き合い方は常に課題。あれ以来、自分の意に沿わない物事に対して過剰に怒るようになってしまった。怒りに任せて暴力で解決しようとしたりしても、思いの外変わらなかった。受け手の立場になって考えれば明らかだが、未だに怒りをコントロールしきれていないと思う。歳も取って老害化してきているので、これで怒りっぽいとか目も当てられんよな。直したいとは思っているし、文献も読み漁って色々改善のために取り組んではいる。一時期より多少は落ち着いてきたが、まだまだ感情的で、そんな自分が嫌いだ。
でも、もっとポジティブな意味で、感情を適度に発散して、感覚的なアウトプットを増やしてもいいのかもな、と最近はちょっと思っている。このウェブサイトだって、自分がやりたいことを、実利とか関係なくやっていたはずだ。何となく面白いだろうという理由で、エンドクレジットみたいなページを作ったりしたこともあった。そういう、ラフなアウトプットも、もう少ししてみたい気もする。0 と 1 をハッキリさせないといけない、SE という仕事に就いているから、なかなか「曖昧なモノ」って出しづらくなってるんだけど、音楽を聴いて、映画を観て感情が動かされるように、テクノロジーをそうやって芸術的に利用したっていいんだよな、と思ったりする。