フィルムの余りで撮った写真
我が家では、2003年ぐらいまでは普通にフィルムカメラを使っていた。父がずっとカメラ好きだったので、2001年ぐらいにデジタルカメラを買ってからも、しばらくはフィルムカメラも出番があった感じだった。
さて、一般的な 35mm フィルム1本というと、24枚撮りとか36枚撮りとかが一般的で、24枚なり36枚なりを撮り終えたら、フィルムを取り出してフィルムケースに入れて保管しておき、カメラ屋さんに持ってって現像してもらうことになる。
しかし、例えば旅行から帰ってきた時に、フィルムの残り2・3枚が未撮影のまま残っていることがあったりする。
そんな時にどうするかというと、旅行から帰ってきた翌日の朝なんかに、自宅での何気ない日常の姿を雑に撮影したりして、フィルムを使い終えたりしていた。
…この感じ、覚えている人は思い出してもらえるだろうか。もしくは、現在でもフィルムカメラが好きで使っている人には、共感していただける行動だろうか…。
フィルムカメラって、デジタルカメラと比べると「1枚あたりの価値」が高くて、複数枚似たような構図を撮影するのがもったいないことだし、撮り直しもあまりしない。カメラ素人で技術的なことはともかくとしても、一枚一枚は「渾身の一枚」として撮ることが多いワケだ。
だから、現像した写真、それを整理したアルバムを見てみると、学校行事とか旅行とか、大事な出来事の中でも特に「キマっている写真」ばかりが並ぶのが必然だったりする。全員がカメラを向いていてキチッと記念撮影していたり、どこに行ったか何をしていたかが一目瞭然な写真が多かったりする。
一方、フィルムの余りでテキトーに撮影された写真は、
- 食卓でパジャマのままくつろいでいる家族とか、
- 子供の寝顔とか、
- 出窓に置いてある小物とか、
- ストロボで白飛びして何を撮りたいのか分からなくなっている写真とか、
そういうまた一風違った写真が生まれることがある。
後で見返して懐かしく感じるのは、意外にもそういう「狙わずに撮った写真」だったりすることもある。
デジタル時代になったら、フィルムの枚数も気にせず、そういう写真も撮りやすくなったと思うのだが、自分の体感では、デジカメを持ってから1・2年ぐらいの間に、そういう写真を撮ることにも飽きてしまったように思う。それ以降撮影されるデジタルの写真というと、キチッと記念写真を撮ることは減ったけど、完全に気を抜いているワケでもない、かといって完全な自然体でもないような、中間ぐらいの写真が多くなったかな、と思う。撮る枚数は増えたのに、なんだかこう、どれを見ても感じるモノが少なくなったような気がするのだ。
もちろん、最近の写真はまだ記憶があって懐かしさが元々少ないから、とか、画質などから古さを感じないとか、別の要因もあるのだろうけど、なんかやっぱり、「フィルムで撮っている」っていうことが、全体的な撮影の意識を変えるのかなーとは思う。現像に出すために消費する数枚ではあるけど、普段は大事に撮っている一枚一枚だから、撮影する側は微妙に気にしながら撮っていたりとかするのだろうか。
撮影中の感覚としては、以下のような感覚がよく分かる。
- 「今日はあと3コマで終わりだな」
- 撮り始めた瞬間から終了を見据えて撮り始めている
- フィルム1本という単位のアルバム
確かに、残り枚数を気にしながら撮影するという意識は、デジタルになってから完全になくなった感覚だと思う。
「写ルン」ですを久々に持つと、本体の左側がガッツリ飛び出ていて、左手のグリップが良いなぁと思ったりする。フィルムを格納するための物理的なスペースが必要なので、フィルムカメラはレンズが本体中央に位置することが多いんだけど、デジタルの場合はフィルムの格納スペースが不要なので、特に本体左側のスペースが削れるのよね。そうすると、本体サイズは小型化するんだけど、左手のグリップが悪くなった感じがしていて、コレをデジカメになってからずっと感じていたりする。w
そもそも最近は「カメラ」ではなく「スマホ」を持つことが多いから、ズームしないとか、画角が違うとか、さらに色んな違いがあるんだろうなぁと思う。
あの頃の、今と比べれば不自由かもしれないけど、その中でなんとかやっていた時代、そしてその中でしか生まれない特殊な写真や思い出を、懐かしく思う。