新生

先日、離婚が成立した。

自分と似たような境遇の人がコレを読んで、少しでも参考にしてもらえたり、励みにしてもらえたらと思い、経緯を簡単に記そうと思う。俺のペルソナから特定できる関係者はいないけど、念のため関係者のプライバシー保護のため一部フェイクを入れてある。


離婚の原因は、元妻からの執拗なモラルハラスメント。自分が考える拘りが異常に強く、それに振り回され続けてきた。付き合い始めた頃から気になる点は散見され、同棲を始めた数年前ぐらいからその異常性は強くなり、自分はどうしたら折り合いをつけられるか散々試行錯誤してきていた。そしてこの1年ぐらいは、この症状が病的に悪化してきたと感じていた。

数ヶ月前、こちらの考える対策もいよいよ万策尽きた頃、ついに直接身体的な傷害まで受け、それに対してもまともな謝罪すらなかった。この出来事で俺はボッキリ折れてしまい、元妻の前で大泣きしてしまった。その日から別居を始め、元妻の実家に、元妻の面倒を見てもらうように頼んだ。今にして思えば、このとき元・義両親から「うちの娘が迷惑をかけてすまない」といった言葉は一切なく、「うちの娘ってそういうところあるからなぁー…」としか言わなかったことに、もう少し疑問を持つべきだった。

別居を始めてから、自分は自分の両親と、どうしたら家庭を修復できるか様々な相談を繰り返していた。2週間くらいして自分の体調も回復してきたところで、元妻と会話してみることにした。「自分は今まであなたに相当苦しめられてきた」「このままいけば離婚しかないが、安易に離婚は選べない。どうしたらやり直せるか、君にも一緒に考えてほしい」と言いに行った。

元妻は、「よくそんな細かいことまで覚えてるね」「自分には悪いところが一つもないと思っているの?」「きっとまた同じことになってしまうだろうから、やり直すなんて無理だと思うけど、あなたはこれまでの私の行いをキレイサッパリ忘れてやり直せるっていうの!?」といったことを言ってきた。おかしな話だ。加害者としての意識がまるでない。「私は今まであなたを殴り続けてきたけど、あなたはそれを水に流せるの?」なんて質問、普通ならしないだろう。ずっと被害を受け続けてきた俺の悪いところって一体何?一つも理解できる発言はなかった。

おまけに、同席していた元義両親からは「あなた (俺) に直す部分がないというなら、やり直すのは難しいんじゃないかと思う、覚悟はあるの?」だとか「君の言うことは小難しくてなぞなぞみたいだ」だとか言われてしまった。凄いセリフだ。「おたくの娘さんの言動に散々傷付けられてもう耐えられないので、いったんおたくで面倒見てください」とお願いしたはずだったのに、2週間の間に「(俺) が気難しい人間で勝手に逃げ出した」みたいな認識に変わっていたみたいだ。

結局、元妻からも、元義両親からも、謝罪の言葉すら一言も出てこず、明言こそしなかったものの「うちの娘のやることが嫌なら離婚しかないだろう」といった様子だった。

あぁなるほど、こりゃ本人だけでなくその親とも話が通じない案件か、と思ったら一気に吹っ切れて、「何とかやり直す方法はないだろうか」と考えることは止めた。その日に離婚を決意して、以降の手続きは自分の両親を窓口にして、俺が直接会話しないで済むように離婚手続きを進めてもらった。

ウチの両親もこの頃に元妻と直接会話していて、その異常性を実感していた。「こんなのをよく今までお前は耐えてきたな……」と同情されてしまった。驚いたのは、今まで元妻と2回ぐらいしか会っていない弟も、元妻の異常さに気付いていたということだった。人と目を合わせず、会食の場でも一言も話さない。周りの人に気を利かせることもせず、黙ってやり過ごそうとする。俺も「酷い人見知りだ」と思っていたが、弟はそういう様子を「ただの人見知り以上のモノだ」と見抜いていたらしい。離婚を決意してから弟に状況報告したところ、「(元妻が) そういう人なのは分かっていた」「うちの家族とは全然違うタイプだと思っていた」と言われて、俺がもっと早く気付けなくて、情けなかった。


今回初めて書くのだが、自分には子供がいる。去年生まれたばかりの第一子で、俺は、それはそれはもう溺愛してきた。流行風邪による在宅勤務のおかげで、毎日仕事中に子供を膝に乗せて、世話をしながら生活していた。本当にこの1年弱、毎日24時間一緒に生活してきて、子供の存在は何よりも嬉しく、人生でこれほどまでに幸せを感じたことはなかった。子供が生まれた瞬間から、いや、子供が元妻のお腹に宿ってくれた瞬間から、自分のこれからの人生はこの子のために全てを尽くそうと決心した。それは「親になってしまったから仕方なく」だとか、そんな消極的な理由じゃない。誰からの見返りも要らない。自ら望んで、この子のために全てを捧げたいと心から思ったし、今も思っているのだ。

僕が元妻からのモラルハラスメントに耐え続けていたのも、子供と一緒に暮らしていたかったからだ。子供と僕の間には何の問題もなく、全力で子供を愛していたし、今も愛しているし、これからも愛していく。そんな愛する子供が片親になることは避けたかったのだ。僕の個人的な思いとしても単純に、子供のことが大好きで愛しているから、ずっと近くにいて、一緒に生活したかった。それでも、元妻の言動に、俺はどうしても耐えられなかったし、夫婦関係の修復は不可能だった。

元妻には時折、ネグレクトにも近い行動が散見された。自分のやりたいスマホゲームに熱中するあまり、子供から目を離して子供に怪我を負わせた事案が何度もあって、そのヒヤリハットな映像記録も本人に見せて「お前はコレだけ危険なことをしている、頼むからスマホを止めてくれ」と何度も言ったが、結局止めることはなかった。「でもこの映像では怪我してないじゃない! (俺がずっと見てて止めているから)」「私だってスマホゲーで息抜きしたい、自分を大事にして何が悪いの!」と、自分の言動を変えるつもりはないようだった。自分を大事にした結果、僕が被害を受け、子供は怪我を負って、父親と離れ離れになるのだ。周りの人を傷付けているのだから、そんな人間大事にしないでほしいのだが、あの人は変わらない。


僕は子供の親権を主張した。繰り返しになるが、子供との生活を止めたいワケじゃないんだ。子供とは離れたくないんだ。子供は俺が育てたい。俺の全てを子供に捧げると決めているのだから、俺に世話をさせてほしい。そう思っていたし、今も思っている。

でも、現代の日本で、生後間もない子供の親権を父親が勝ち取るのは、ほとんど不可能だ。裁判も検討して知り合いの弁護士に相談したりしたが、母親側に「明らかな」虐待やネグレクトがみられないと勝ち目は薄いようだった。勝ち目の低い裁判に時間とお金をかけてどうなる、とか、将来子供が裁判の事実を知った時にどう思うだろうか、とか、色々考えて、裁判はしないことにした。本当に悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて仕方ないが、自分の元に子供を置くことは、諦めるしかなかった。

だから、離婚の進め方は調停や裁判ではなく協議離婚だった。こちらは全ての書類のコピーを取り、物的証拠を残しながら、全ての対話を書面で行った。こちらが「養育費に関する合意書」の案を練って、公正証書を作成してもらっていく中でも、向こうはペライチの手紙で「そちらの考えはよく分かりました。それでいいです」ぐらいの短い返事しかなく、両親もガックリきていた。元妻の方にはリアルタイムに動き回る子供がいて、その世話で大変なのかもしれないが、自らの言動が招いた離婚という問題と、その被害を大きく受ける子供の将来をちっとも真剣に考えていないように、こちらは感じた。見当違いな発言も多く、判例や行政手続きについて全く調べていない様子であった。俺と両親の3人が連日どれだけ頭を悩ませながら、子供の将来を最優先に考えて、どれだけ調べ、相談し、事項を練ってきたか。俺や両親がどれだけ言いたいことを堪えて手紙を推敲したか。こちらの考えが「よく分かった」なんて思わないでもらいたい。分かっちゃいない。

こちらは、離婚の原因は元妻にあると考えているが、離婚の原因と子供の生活は関係ないこと。子供には何不自由なく生活してもらいたいと思っているので、法務省が提供する「養育費に関する合意書」をベースに話し合いを進め、その内容を基に公正証書を作った。公正証書は養育費の支払いなどに法的効力が出るので、例えば俺が支払いを勝手に中止したりすると、強制執行ができたりするワケだ。一方、俺に対するメリットはほとんどなく、せいぜい面会交流を一方的に拒否され続けたりした時に、俺が家庭裁判所に申し立てを行うことで裁判所からの履行勧告を出してもらったり間接強制ができるぐらいだ。俺個人に対して何かが有利に働くような事柄はほとんどない。それでも公正証書を俺が自ら進んで作りたかったのは、離婚の原因に関わらず、「本当は俺が自分の手で子供を育てたかったのだ」という思いを、公的な文書で残したかったからだ。そして実際に養育費の支払いは法的強制力のある形で俺自身に課してもらうことを、俺自身が望んだのだ。親として当たり前にやるべきことだと思うから、自ら公正証書を作ったのだ。

2021年6月現在、離婚届の用紙には「面会交流・養育費について取り決めをしたかどうか」の任意確認欄があるだけだが、今後は「公正証書を作ったか」というチェック欄が追加されるようだ。正しいことだと思う。子を思う気持ちはあっても、知らないがために後々子供にとって不利益な結果になることもあるので、こういうことを知っていて、どれだけ忙しかろうと言い訳せず、ちゃんと調べて、実際にやるってことが大事だと思う。


30歳を超えて両親に泣きついている時点で、自分としては本当に情けなく、みっともなく感じていたが、両親はこの数ヶ月間、毎日全力で僕をサポートしてくれて、とても感謝している。俺の子供は、両親にとっては初孫で、両親もそれはそれは溺愛してくれていた。両親と子供が会える機会が少なくなってしまうことを本当に申し訳なく思うし、婚姻届の証人欄にサインしてくれた親父に、今回また離婚届の証人としてサインさせてしまったことは、本当に情けなく、悔しい思いでいっぱいだ。普段あまり感情を表に出さない冷静な母親も、元妻や元義母の発言に対して見たこともないような恐ろしい顔をして怒っていたし、極めて丁寧に書かれた手紙の中にも、母の様々な思いが刻み込まれていた。それほどまでに俺のことを大事に思ってくれること、そして両親にとっての愛する孫のことを真剣に考えてくれていることを、本当にありがたく思っている。両親も元妻の非常識で無神経な言動に深く傷付き、二人とも顎関節症や突発性難聴を患うほど深いストレスに苛まれていた。それほどまでに両親もダメージを負ったが、俺と子供をフォローし続けてくれた。子供と離れることになって、辛くて死にたくなっていた時期もあったけど、こんな素敵な両親がいてくれるだけでも、俺はまだくじけたり出来ないなと思った。

俺の周りには協力者が多くて、今回そんな皆さんの支援のおかげで、俺はなんとか自殺したりせず、比較的早く立ち直れたと思う。古くからの友達は真摯に話を聞いてくれたし、弁護士の友人たちには実用的なアドバイスや協力をしてもらえた。俺の会社の人や、両親の知り合いの中にも、幼い子供と離れ離れになって離婚してしまった「先輩」方がいて、皆さんの話がとても参考に・励みになった。

生まれてからずっと毎日一緒に過ごしてきた我が子。離婚が成立するまでの数ヶ月、自分は我が子と全く会えなくて凄く寂しく苦しい思いをしてきたが、両親や周りの人のおかげでなんとか救われてきた。


愛する子供と離れて暮らすことになって、嬉しいはずがない。「子供の世話をしなくて楽になった」だとか「子供への気持ちがなくなった」なんてこと、絶対にあり得ない。そんなこと思う親がどこにいるというのだ。日々の子供の様子が見られなくなって、子供との生活を壊されて、本当に辛く、苦しい。

俺は子供が生まれてから、毎日欠かさず写真や動画を撮ってきた。子供の成長が何よりも嬉しくて、残しておきたかったからだ。将来子供が結婚式をやる時に、これらの記録を使ってプロフィールムービーでも作れたら良いなと思っていた。でも、もうそれも叶わない。月に1回程度の面会交流でしか、子供と顔を合わせられないのだ。そんな状況になって、俺が嬉しいはずがないだろう。毎晩毎晩悲しくて寂しくて苦しくて辛くて情けなくて、離婚の原因が俺にないとはいえ、子供の人生をも早々に壊したことには変わりなく、子供に申し訳なくて泣きまくっている。俺の人生どん底まで落ち切っている。最低最悪だ。

自分自身が楽になるために、子供のことを忘れたり、どうでもいいと思ったりなんて、絶対にできない。子供が目の前にいない現状を直視して、メシが食えないのにゲロ吐くほど苦しくても、子供のことをずっと考えているし、子供のことを考えていたいのだ。我が子が大好きだから。我が子の存在は自分の人生の全てだから。

一人で生活していて、何をしても満たされない。何もしたくならない。一人になって何時間でもパソコンができる?いくらでもギターが弾ける?でもそんな生活望んじゃいないんだ。我が子を世話したい。我が子の面倒を見たい。我が子と遊びたい。自分一人の時間なんか要らない。もう自分の時間なんかいくらあっても楽しいと感じないんだ。ずっと子供の写真を見て泣き続けている。

本当に、コレを書いている今でも、毎日死んでしまいたくなるぐらい辛くて苦しいんだけど、でも、実際に自殺したり自暴自棄な行動に走ったりはしないと思っている。俺は我が子に対して、「世界はこれだけの楽しいことで溢れている」「君はどんなことだってできる」「お父さんはいつまでも君のそばにいる」「どんな時でも味方でいる」って伝えていくと決めたから。お父さんはカッコ良くて、物知りで、何でも相談できる、頼れるお父さんなんだと思ってもらえるように、子供と会えない時も自堕落に生活せず、子供と会った時に喜んでもらえるように日々努力しようと決めたのだ。

日々、子供の直接的な世話をできない分、まずは自分の改善や勉強に時間を使うことにした。身だしなみを整え、健康的な食事を取り、割とハードな筋トレをして、毎日1時間半ほどウォーキングして、ギターの他にピアノを練習し始めた。パソコンに関しても、個人的にはプログラミングには飽きてきたが、初心者向けに教えるコンテンツは何らか発信できるかもしれないと思ってネタを考えているし、DTM と CG 作成を本格的に始めた。自分のやりたいことをやっているだけに見えるかもしれないが、もう少し子供が大きくなって色々と分かるようになってきたときに、「ショボくれたつまらないおじさん」よりも「楽しそうに過ごしているお父さん」を見てもらった方が子供にも良いだろうし、小綺麗で頼れるお父さんと見られたいから滅茶苦茶ダイエットも頑張っている。ピアノなんかは、子供にもオモチャのピアノをあげていて、それを一緒に弾いていたりしたので、いつか子供にピアノや音楽を教えられる機会がくるかもしれないと思い、これまで以上に勉強している。どんな話題でも子供の話についていって一緒に話せるようにしたい。「頑張る」という不明瞭な言葉は嫌いだが、今はがむしゃらに頑張っている。

子供に色んなモノを見せて喜んでもらいたい、様々な選択肢があることを知ってほしい、子供に何でも教えられる父親でいたい、そういう思いで、色んなことに真剣に取り組んでいる。変な話、子供と一緒に生活していた時よりも、ちゃんとした父親になろうとしていると思う。子供が目の前にいると、どうしても日々の忙しさに流されてしまう部分はあるからだ。子供が目の前にいなくて、俺に世話をやらせてもらえない時間を、何もしないでダラダラ過ごしてダメ親父に成り下がりたくはない。自分を見てもらって、色んな世界があるんだという「カタログ」として参考にしてもらえたら、何か刺激を受けて、我が子にも色んな趣味を持ってもらったり、楽しみを増やしてもらっていけたらいいなと思っているので、そういう準備をひたすらしている。

我が子を連れて行きたい場所、見せてやりたいモノ、(強制したり押し売りしたりするつもりはないが、存在や選択肢として) 教えたいこと、色んなことを毎日考えてはリストにまとめている。子供にこう思ってもらえたらいいな、ついでにもしこういう言葉をかけてもらえたら俺も嬉しいな、というような目標をいくつか立てている。離婚して離れ離れになってしまっても、片親であることを本人が負い目に感じないように、寂しく思わないように、俺が父親で良かったと子供に思ってもらえるように努めたい。俺はあの子が俺の子供に生まれてくれて、本当に幸せで感謝しているのだから、この気持ちを子供にお返ししていきたい。今はそれだけを目標に生きている。


離婚の原因がこちら側になくとも、「もう離婚するしかないな」と決心していて相手に全く未練などがなかろうとも、実際に離婚を成立させるまでは物凄くエネルギーを使うし、ダメージが大きいなぁと実感した。先輩方から聞いていたとおりである。

子供のいない夫婦なら、もしかしたらもっと簡単に離婚できるのかもしれない。二人が別れてハイ終わり、二度と顔を合わせません、ということが出来るから。

子供がいる場合、今後も子供との面会交流があるので、この先20年ぐらいは、相当なストレスや遺恨を抱えながらも離婚した相手と顔を合わせることになるだろう。でも、子供にとっては、母親は母親だし、父親は父親。できれば子供には、どちらの親のことも好きでいてほしい。両親が離婚した影響を子供には与えたくない。だから、夫婦間でどれだけ相手が憎かったとしても、子供の前でそれを出してはいけない、と思っている。

個人的な怒りや憎しみから、子供に相手の悪口を吹き込みたくもなるかもしれない。でも、子供だって一人の人間で、親が思うよりもずっと賢い。「あ、お父さんは今、お母さんの悪口を言っているな」なんてことはどれだけ幼くても気付いているし、「お父さんの悪口を言うお母さんのことは嫌いだ」と思ったりするだろう。周りの大人があれやこれやと誰かの悪口を吹聴しても、子供は洗脳されたりしないのだ。子供にはきちんと悪い大人を見抜く力があるんだ。自分は両親が喧嘩した現場なんか一度も見たことがないし、実際に両親は大喧嘩なんてしたことないので、親から何か変なことを言われた記憶はないけど、それ以外に「変な大人」は時折いて、幼少期の自分はちゃんとその異常さに気付いていたことを思い返すと、自分が悪口を言う側には絶対に回らないと誓っている。

この記事では相当漏れてしまっているけど、本当はこれすらも良くない。愚痴ったところで、ストレスは解消しないことは分かっている。吐き出す際に繰り返し自分の中で再生することになるので、憎しみは増す。そこまで分かっているのに感情に流されて、情けない限りだ。本当は違う解消法をとらないといけない。「賢い方が黙りなさい」に通じるモノだろう。悪を離し善を為す。悪いモノとはとにかく距離を離して、頭を使わない。良いことにだけ時間を使おう。

夫婦間の関係が崩れ始めたら、とにかく早く、周りの誰かに話した方が良い。取り返しのつかないことになる前に、とにかく誰か他の人の力を借りるべきだ。話の通じる相手なら、第三者を混じえて今後を話し合うのが良いと思う。俺の場合は、限界まで一人で我慢し過ぎてしまって、親に相談した時は既に取り返しのつかない状況になってしまっていた。というか、自分があそこまでボッキリ折れるほど「我慢していた」とは、当時の自分は気付いていなかった。一人になってみて、子供がいない寂しさはあるものの、「安心して眠れる」ことに気付いた時、あぁ、自分は相当にストレスを抱え続けてきたんだなぁと思った。だから、信頼できる家族や友人に、ガス抜きも兼ねて「愚痴る」ことは結構大事かもしれない。軽い感じででも相談に乗ってもらっていたら、ちょっと違う道があったかもしれない。

とはいえ、逃げた方が良い場合もある。相手の言動が故意であろうとなかろうと、「話が通じない」「状況が変わらない」のであれば、あなたにとってプラスになることは何もない。悪いモノとは距離を離すのが鉄則だ。それを無理して我慢し続けてしまうと、いつかプチッと来てしまって、自分が完全に鬱病で倒れて潰れてしまうか、もしくは怒りや憎しみに任せてやってはいけない事態を引き起こしてしまうかもしれない。どちらにしても最悪な結果だ。「もう少し耐えたら良くなるかもしれない」という思いや、「守りたいものがあるから自分はこの場を離れられない」という責任感もあったりするかもしれない。でも、誰かが死んでしまう結末よりは、別れる結末の方がマシだ。既に「取り返しの付かない状況」かもしれないが、そこからさらに悪い最悪な結果へ落ちていかないように、思い立ったところで行動を始めよう。

他人に相談する際に注意しないといけないのは、自分の身内や相手方の身内は、それぞれの方に味方してしまうので、当人同士の意思と異なる援助の仕方をしてくる可能性がある点だろう。つまり、「自分の親はどうしても自分の子供をより優先して味方してしまう」から、まだ「やり直したい」と思っている段階なのに「そんな悪い妻 (夫) なら別れた方が良い!」と、むりくり離婚に持っていかれたりしてしまうような恐れがあるというのだ。我が家の場合は幸い、できた両親だったので、「(俺) がどうしたいかに全て合わせるから」と、意見を言うのを待ってくれた。離婚という選択は、元妻と自分が直接会話して、自分で決断したモノだ。今回相談した友人たちも、そういう「余計な世話」を焼くタイプがいなくて、本当に恵まれていたと思う。俺はもっと数少ない友人を大事にしなきゃいかんな…。

具体的な手続きが必要になった時は、弁護士や公証人など、法律に詳しい公的な専門家にサッサと頼ってしまった方が良い。独力で進めるのは体力的にも難しいし、法的効力をもたせたい時は結局頼らざるを得ないからだ。専門家にお願いしている間は、自分の時間が少し持てたりもするので、自分の体勢を立て直すことも同時に進められるだろう。どこに頼れば良いか分からない時は、「法テラス」などに電話してみるのが良いだろう。こうした専門家は、いきなり莫大なお金を請求されるようなことはないし、「ココからお金がかかりますよ」というラインをキッチリ明示してくれるので、恐れず電話してみるべし。もし合わなさそうならサッサと他を当たれば良い。

僕は親権者になれず、愛する子供と離れて暮らすことになってしまったワケだが、コレに近い状況になった方、なりそうな方、どうか諦めずに向き合ってほしい。変な話だが、ある友人は、父親の海外出張や単身赴任が多くて、年に3回しか父親と顔を合わせなかったこともあるそうだ。離婚していないのに、月に1回も父親と会えていないのだ。海外出張だと電話代もかかるので普段もそう連絡が取れずに過ごしていたという。それと比べれば、面会交流の頻度をキッチリ決めて離婚した人の方が、子供と会う回数は多かったりもするのだ。面会回数だけ見てどちらが良い・悪いと論じるワケではないが、世間には色んな家庭の種類があって、それでもそれなりに人は成長していくんだと思う。

前述したように、夫婦間での問題と、「父と子」「母と子」の関係は別の話だ。夫婦間の怒りや憎しみを、子供にも植え付けようとしたり、子供を捌け口にしたりしてはいけない。メチャクチャ注意していないと、そのつもりがない人でもうっかりやってしまうかもしれないぐらい、離婚に際しての悶々としたエネルギーは強い。「自分は子供を愛している」。それだけにフォーカスしよう。「子供が自分のことを好きでいてくれるか」、そのために自分は出来ることをやり続けているだろうか。そのことだけに注力しようではないか。

僕も、まだ離婚が成立した直後で、絶賛辛い辛いマンではあるが、こんな僕で良ければ、一緒に嘆いて涙し合うことは出来ると思うから、どうしても他に頼る人がいなくて諦めてしまいそうな人がもしいたら、最後の最後に僕をちょっとだけ頼ってみてほしい。似たような経験をしていて、苦しい中をもがきながらも日々頑張っている同志は意外といる。そんな人達はきっとあなたの助けになってくれるだろうし、俺も助けになりたいから。諦めないで。よかったらメールでもしてね。

離婚に至るまでのダメージも蓄積しているし、いざ離婚するにも大変だ。離婚した直後も、このように結構しんどい。モチベーションはあっても、日々の体調は万全ではない日もある。多少の無理は挑戦してみるが、無茶なことは続けないようにしている。身体が動かなくて涙が止まらない時は、やるべきことが達成できなくてもいい。テキトーに美味いもん食ってその日は寝よう。子供の成人までまだあと20年あるんだ。最低でも子供が成人するまでは親として子を支えたいし、子の成長を見届けたい。少なくともあと20年間は歩き続けられるように、無茶は止めよう。無理も少なめに。体調が良い時に、程良い負荷をかけて自分の成長を促すようにしよう。


コレからの俺の人生の目標は2つ。

まずは、我が子を愛し続けること。自分をお手本にしてもらえるように努力を続ける。子供に喜んでもらえるようにする。広い世界に目を向けて、色んな可能性を感じてほしい。あの子はまだ生まれたばかりだけど、周りをよく見ていて、賢くて優しい子なのがよく分かる。周りにどれだけ悪い人がいても、あの子は正しいことを自分で見極められるだけの能力を持っている。だからあの子の成長は心配していないけど、より多くの幸せを実現してもらえるように、俺から捧げられるものは全てを捧げたい。あの子の幸せのためにどんなことでもするし、たとえ仮に、あの子が極悪人の犯罪者になろうとも、俺はいつまでも味方でいる。俺の愛する子供だから。あの子のために、全てを捧げる。これは離婚とは関係なく、我が子が生まれてきてくれた時から変わらない目標なのだが、改めて、である。

2つ目は、苦しいところを助けてくれた両親、家族、友人に感謝を伝えていくこと。コレまでの自分は、あまり周りの人に助けてもらったという感覚が少なかった。自分が彼らを大事にしていたかというと、申し訳ないことにあんまり大事にしていなかったように思う。目に見えるような感謝をしてこなかったと思う。それなのに今回、困っていた俺を全力で助けてくれた。特に両親は本当に連日、俺と子供のために時間を割いて支援してくれてきた。ただでさえ孫との距離が離れてしまい両親には申し訳ないことをしてしまったのだから、その償いの意味でも、両親にはもっと親孝行していこうと思っている。叔父の立場である弟や、曾祖母ちゃんも、我が子のことをとても大切に思ってくれて協力してくれたから、皆に恩返ししていかなくちゃな、と思っている。

変な話だが、離婚したことで、生きる目的がより明確になった。俺は子供のために生きる。家族に感謝・恩返しするために生きる。一生をかけて達成していくことなので、中途半端なままでは死ねないし、モチベーションは常に高い。前述のとおり辛く沈んでしまう日もまだまだあるが、きっとこれは一生続く。だからといって、目標を忘れることはない。子供のために生きる人生にしたいと、自ら進んで望んでいるのだ。もしもコレを子供がウザがっても、俺は子供を愛し続ける。俺が両親や家族、友達から愛されて幸せを感じたように、俺も子供を愛して応援し続けて、絶対子供には幸せな人生を歩んでもらうんだ。「俺が幸せにする」と言いたいぐらいだが、何となくニュアンス的に子供を縛るような感じもしたので、あえて「幸せな人生を歩んでもらう」と表現してみた。俺からの想いは伝え続けるけど、俺には構わず育っていって欲しい。俺が想像もしないような道を見付けて進んでくれたりしたら、それこそ嬉しいと思う。古い価値観の俺がついつい反対したくなるぐらいの突飛な選択だって良いだろう。あの子が自分で人生を切り開き、強く歩んでもらえたら嬉しい。どんなことがあっても、俺は全力で君を愛している、それが少しでも支えになってくれたら、本望だ。

僕は、君のためにできることを今、探し続けよう。