インスタントに解決しないと気が済まない短気人間になっていく

書きながら整理していきます。「何が言いたいんやコイツは」とインスタントに要旨を知りたい人は「考えまとめ」に飛んでください。w

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職業がエンジニアであることもあり、自分は一般の人よりも Google 検索を使う頻度が格段に高いと思う。元々知的好奇心もある方なので、気になった単語や慣用句を調べたり、土地や歴史、科学的な仕組みなどもよくググってきた。

PC やスマホで何でもググって、すぐに答えが手に入る。そういう世の中になったこと自体は便利だと思っているし、ちょっと調べただけでは分からない時に「じゃあ分からないままでいいや」とは思わないので、「自分の頭で考えよう」みたいなチキった反論とは違う話なのだが、ココ数年の自分を振り返ると、どうもインスタントに解決することを求めている節があると、自分自身で感じている。

どういうことか。


例えば、ダイエットしたいな、と思った時に、「楽に、すぐさま見違えるように痩せる方法」を調べようとしてしまう。「そんなの無理でしょw」と自分でも思っているのに、実際調べていることは、そういうことである。

今まで「楽」を選んできた結果がその醜い贅肉なのに、楽に痩せる方法なんかあるだろうか、いやない。一瞬で成果が出る方法なんかあるだろうか、いやない。大体、素人が自分で掛ける程度の負荷ではちっとも痩せやしないし、筋肉だって付きやしない。「太る生活習慣」は簡単に再現するけど、「痩せる生活習慣」はどれだけストイックに真似してもなかなか効果が出ないものだ。そんなこと誰もが分かっている。

それでも、「今からやり始めるんだから、効果的で効率的な方法をやりたいよなー」なんつって、何時間も調べては、同じような内容のペライチアフィカスサイトばかり眺めてアブトロ何某の広告に辿り着くのだ。素人考えで「効率」なんか追求したところでそんな効率の良いことなんか出来やしないんだから、調べてるその時間を筋トレに当てろよって話だ。

それでいて、いざ詳しいダイエット方法が解説されているページを見つけても、今度は長文を読む体力がなくて途中で諦めてしまう。「まとめ」のセクションを探して、それがなかった時にもう読むのを止めてしまったりする。文章を読む体力すらない。

インスタントに解決なんかできない。分かっているのに、分かっているのに、そう言いながら行動は変わらない。結局は「分かっていない」人と同じ行動だ。今後も「分かっていない人」と同じ行動を取り続けるのだろう。


一瞬で変化が感じられること、すぐに成果が分かること、今すぐ分かった気になれること。そういうモノばかり追い求めてしまっている感じがする。

「痩せる生活習慣とは何か」を何時間も調べながら、疲れてきてチョコレートを食べてしまう。「1日5分で効果が出る!」と聞いて始めたトレーニング、効果が実感できないからと三日坊主で止めてしまう。

映画を2時間見る体力がないから、10分でネタバレしてくれる「ファスト映画」の動画に飛び付く。ファスト映画の動画を何本も見て2時間経過し、翌日には全ての映画のあらすじを忘れている。

沢山の情報をインプットしたつもりで、アウトプットに繋がっていないばかりか、結局インプットすらしきれておらず受け流しているだけになっていたりする。

自分が元々バカであり、さらに以前よりももっとバカになっていることに気付いておらず、昔できたことは今もできるはずだ、とか、学生時代よりも色んな経験を積んだから今の自分の方が賢いはずだ、とか考えがちだが、学生時代の自分が今の自分を見たら多分ヘドが出るようなバカな大人に成り下がっていると思う。自分自身では認知しづらいかもしれないが、明らかに今の自分はあらゆる能力が劣った・衰えた、使えない人間にどんどん落ちている。


ギターやピアノが上手くなりたい。でもそんなにすぐ成果は出ない。毎日コツコツと練習するのは、年齢的にも気力が持たないなぁ、とか言い訳する。

DTM や 3DCG 作成をやってみたいなーとか思う。でも、新しいソフトの使い方が分からず、長ったらしい説明書を読む気になれず、しかし見様見真似でも上手く操作できない。

賢い人間になりたい、と思いながらも、今日もまた些細なことで酷くイラッとして、「まぁ出来なくても困りはしないし」とか言い訳したりして、諦めたりする。その裏では同時に、今まで学んできたことも忘れていっているので、段々と何一つできない人間に陥っていく。


野球やサッカー、バスケが上手くなる、とか、柔道や空手、ボクシングが上達する、とか、それらは全て、一日にして結果が出ることではないし、成果自体も目には見えづらい。試合の勝利数にしても、失点なしの完全勝利を何度も重ねるぐらいの、目に見える成長はなかなか感じられない。「ゴール成功率」なんかも、数値にしてみたら「24% だったものが 29% に向上していた」みたいな数値だったりして、「それって凄いのか…?」と分かりづらかったりするだろう。

自分は運動部に所属してこなかったので、運動部出身の人達よりも余計に耐性がない。我慢というモノができない。苦労は嫌いで、効率的な方法ばかり探し、最短距離を予め探したりする。まとめて実施できて一石二鳥で済ませられる方法がないかとか、別のアレコレとついでに行って時短・効率化できないか、とか考えまくって、計画段階で疲れる。自分はさらに職業的な癖で、失敗しない方法とか、間違えてもやり直しが利く方法、なんてものを重視してしまう。

でも、世の中そんな確実なことばかりじゃないんだよなぁ、って思い返すようになった。


何をしたら、いつまでにどのぐらい痩せるのか。何にも分かってないし調べもしていないけど、自分は最近、毎日ウォーキングと筋トレをすることにした。本当に毎日である。晴れていれば1時間から2時間は歩く。雨でも、短時間でも必ず外を歩いている。それから、毎日20分ぐらいだが、腹筋と腕を中心に全力でトレーニングをしている。YouTube で「器具が要らないトレーニング」みたいな動画があったので、毎日同じ動画を再生しながら筋トレしている。やる度に全身汗ダクで、ザコだから貧血も起こすし、連日筋肉痛が取れないけど、休みを入れていない。

「休息日を入れた方が痩せる・筋肉が付く」とか、そういう効率面の話は気にしないことにした。まだ別に痩せた感覚もないし、体重計にも乗っていない。成果を確認しないことにしたのだ。

効果がどうだか知らないし、効率の良いやり方なのかも知らない。でも、やると気持ちが良い。「俺は今日も継続したんだ・全力を出したらココまではやれるんだ」という実績が自負・自信に繋がる。「やる」こと自体が楽しみになったし、「やり遂げた」こと自体が自分の中で重要なんだと思った。


ギターやピアノのような、上達したい趣味。

「コレが出来ないことが課題だ」とか、「この課題曲を弾けるようになりたい」といった小さな目標は作る。「いつまでにそれが出来るようになったらいいなぁ」という、目標の期日もぼんやり作る。

でも、課題は途中で変えても良いし、期日は守れなくてもいい。頑張るのが嫌だなーと思った時は全然違うことを始めてもいい。

趣味は、自分が楽しいと感じることが一番だ。上手く出来なくてイライラが募ったり、練習が嫌になったら、自分の手癖に戻って遊んだっていい。いつもの手癖が退屈に感じたら、また新しいチャレンジをちょっとだけ再開してみればいい。超当たり前なことなのに、どうしてか自分はコレがうまくできないでいた。

必ずしも頑張って、日々鍛錬しなくても良いが、どんな時も「より上達したい事柄」や、ちょっとした課題を持っておくと、飽きて完全に止めてしまうことが防げるとは思う。


知識面に関しても、気を抜くとすぐ SNS にページを共有して満足してしまったりするが、コレでは外部記憶に情報を外出しして忘れていくだけで、短期記憶にも長期記憶にも残っておらず、何の糧にもならない。

講習会や研修に参加すると、大抵は何かしらの「演習課題」があったりする。眠気覚ましの側面もあるだろうが、頭では分かっているつもりのことでも、実際に手を動かし、「やる」ことがやっぱり重要だから、必ずやらされるんだろうなと思う。頭の中で想像しているだけでは気が付かなかった細部や別ケースにも気が付けるのだろう。演習なんて面倒臭いな、今さっき習ったとおりの結果になるに決まってるじゃないか、と思っても、それでも実際にやると、やっぱり記憶として定着しやすいのである。

知りたいなと思って調べて学んだこと、タメになったなぁと思ったことは、何かしらアウトプットに繋げる癖を付けた方が良い。Twitter なんかへ URL を共有するのでは足りなくて、その記事を見てどう思ったか、とか、他のページにあった内容や過去に知った情報と比較して、といった形で、小論文を書くぐらいのアウトプットにしないと、なかなか自分の糧にならないと思う。アウトプットが伴わないと、頭でっかちにすらならなくて、知った気になっているが空っぽのバカに成り下がっていくと思う。


出来るようになりたいこと。上手になりたいこと。達成したいこと。

それらに対して、「どうしたら最短距離でインスタントに到達できるか」なんて、調べてもなかなかそのとおりには実現できない。

イチローがもし自分の練習メニューやノウハウを細かく書籍にまとめたとしても、それを読んだ人が全員イチローのようになれるワケではない。イチローが「僕は色々試行錯誤しましたが、結果的にこのやり方が最短距離でした」と披露してくれたとしても、それどおりに進める人はまずいないだろう (イチローはそういうことを言うタイプではないとは思うが、例えとして)。

箸の持ち方をマスターするには、「頭で正しい持ち方が分かっている」だけではダメで、今まで使ったことのない筋肉を動かし続けることで、脳と身体がそれに追従できるまで慣らしてやらないといけない。矯正用のアイテムだとか、補助する器具はあったりするけど、結局はそれらを使って、とにかく時間を使って繰り返すことでしか達成できない。そこには「効率的な練習方法」も何もなく、自分の脳と身体が慣れて、文字どおり「身に付く」までやるしかないのだ。

そんな当たり前のことが、今まで認められなかったのだ。

どこかに最短距離で行けるルートがあるはずだ。どこかに正解があるはずだ。そして自分はそうした正解や最短距離を聞けば理解できると思い込んでいたのだ。

実際は、人はそんなに賢くない。「人の話を聞けば理解が出来る」なんて、ただの思い上がりだ。分かってるなら何でお前は未だに太っているんだ?

「どうしたら痩せるか知っている・でも実行は出来ていない」。それは 「分かっている」とは言わない。情報として知っているだけ・見聞きしたことがあるだけだ。実際にやって、自分の腹に落とし込めて、身に付いて初めて「分かっている」状態だと言えるだろう。よく言われる「『知識』じゃダメで『知恵』にしなきゃ」というのと同じことだ。

インスタントに分かって出来るようになることなんて、皆がインスタントに知れることなので、そもそも大した価値じゃないし、インターネット時代ではもはや「常識の範疇」と言っていいレベルだ。

そんなことは分かっているのは前提で、「情報として調べれば出てくるが、実行するのは困難なこと」を、いかに実行・継続できるかが大事なのだ。

そのためには、すぐに達成・解決できなくてもイライラせず長期戦を覚悟する必要があるし、非効率な努力も、不確かな方法も、構わず実行する覚悟が要る。失敗も続くだろうし、最短距離で進めないもどかしさもあるだろう。

しかし、失敗してやり直したことも、コレじゃダメだと思って全部捨ててしまったようなことも、いずれも無駄ではなく、そうした紆余曲折・回り道がないと、到達できないことなのだ。

コレだけインターネット上に色んな人がいて、色んな情報が出揃っているのに、「すぐに実現できる方法」はどうしても存在しなくて、何故か不思議と、「各々が継続して試行錯誤しないと身に付かない」ことが多いのだ。不思議だよね。不思議でしょうがない。でも、多分「自分の性に合うかどうか」みたいなことが重要で、肉体的な訓練による定着には近道がないんだろうなと思う。そういえば、受験勉強もそうだったなぁ。「高3になって受験が迫ってきたから勉強する」じゃ遅くて、小中学生の間から「勉強」という脳の筋トレを継続しておくべきだったとよく思い返す。

「汗水流して苦労を経験していないと、人として深みがない」みたいな言い回しもあったりするが、「深み」とかいうより単純に「程度が知れてることしか出来ない、ありふれた人間になれるのが関の山」なんだと思う。実際は「ありふれた普通の人間」のレベルにも到達していないことがザラなので、自分を過大評価するのは止めよう。ダニング・クルーガー効果。人は「楽」という重力に引っ張られ続けている。下を見て安心しようとしている内に、見えている「下」の数がどんどん少なくなっていって底に足が付いてしまうから、上を見て、上を目指そう。


ココまで書いてて思ったけど、「アジャイル開発」とか「スクラム」とかって、ホントにこの単純明快な原則に基づく開発手法なんだなぁと思った。自分は不確かなことも手戻りも嫌いで、「予め計画したとおりに物事をこなす」という、ウォーターフォール開発手法の方が性には合っていて、アジャイルやスクラムはまだ腹落ちしていないのだが、今こうして考えを書いていて、少し思った。

無理なく長期戦で走り続けるには、「ちょっとした目標を作る」→「いいからとにかくやる」→「結果を見る」→「改善点を洗い出す」という PDCA をちょくちょくやっていくしかない。PDCA サイクル自体も、「とにかくやる」「やり続ける」しかなく、続けないと効果は感じられないのだ。

失敗や手戻りは嫌いだから、計画して始めたい。しかし、「失敗しないための準備」は、やり始めると無限に出来てしまって、実際のモノ作りに中々入れなくなる。自分が変わるつもりがなくとも、周りの環境は時間の経過とともに変化してしまうので、それに追従しようとするとやはり計画とのズレが出る。

大きな目標はあって良いのだが、そこまでの完璧なロードマップは中々立てられない。だから一歩ずつ非効率でも進んでいこうや、ってことなんだろうな。

自分がアジャイル手法を腹落ちさせられないのは、「そうは言っても目先のことしか見えてなさ過ぎるだろ」「いくらなんでも方向転換し過ぎだろ」と思わざるを得ない、短絡的で失敗が濃厚な、粗末な計画しか立てられない現場が多いからなんだろうな。手法が悪いのではなくて、自分が携わってきた現場の問題。使う人間の頭が悪くて、それに巻き込まれて自分の想像していたとおりに失敗させられるのが嫌、っていうことで。コレも含めて、「実行する」ってのはそうそう上手くいかないものなのね。


考えまとめ

超当たり前のことばっかり。でも出来ない。だから、出来る人がスゴい。