自分を小さくした言葉

大人になってからの「趣味」の話。


自分の可能性を潰し、自分を小さくした言葉たち。

これらの言葉が大っ嫌いだが、その呪縛から逃れられずにいる。

利益がないよ系の言葉

仕事でもない事柄に対して、それをやって得するかどうか、必要性があるかどうか、みたいなことを問う言葉、ホントに嫌いだ。

不必要なことをやるのが悪なら、マンガもアニメもゲームも SNS も「必要か?」 ってなるよな。そういう受動的な、金と時間を浪費するだけの行為に対しては「息抜きも必要だから」とかいって甘かったりするよな。マンガもアニメも必要じゃないから止めなよ、って言ってみると、「マンガやアニメからも得ることがある」なんつって正当化するヤツもいるが、「そんなもんで得られる事柄なんてたかが知れてんだよ低レベルなんだわ」って反論には対策打ってあるんだろうか?コレってそっくりそのまま他所に言ってきた言葉なんだよな。

ちょっと能動的なモノに対しては、途端に「それをやって何の役に立つの?」って問いが飛んできやすい。コレって、勉強を面倒臭がった奴がその主張をもっともらしく仕立て上げるために「勉強なんて何の役に立つんだ」って言葉を編み出して、その癖がそのまま大人になっても続いているんだろうな。こういうヤツって、「役に立ちそうだからやる」って判断することはないんだよ。全ては「役に立たないと思うからやらない」っていう言い訳のために作り上げた言葉。大体こういうこと言うヤツって、利益が大事な仕事面でも効果や収益性をまともに予測できないくせに、どこかで「自分は利益や損失を予測できる」と思い込んでるんだよな。そんな能力これっぽちもないのに何を勘違いしてんだよ。

何かをやるか迷った時に、実利的な効果なんか考えなくていいんだ。お前らは幼少期「金になるかどうか」を考えて公園の遊具で遊んでいたか?休み時間に友達と遊ぶ時「こんなことやって何が得られる?」ってイチイチ考えていたか?「楽しそうだからやりたい」が全てじゃなかったか? それでやってみて「楽しかった」が得られたら十分な効果じゃないか?

今からじゃ遅い・一流にはなれない系の言葉

「既に誰かがやってることだから、その繰り返しになるだけで意味ないよ」とか、「今からプロになるんじゃあるまいし、そんな趣味始めてどうするの」とか、そういう言葉。

誰かと同じことをしていいじゃないか。誰かより下手だろうが関係ないじゃないか

好きなギタリストのように弾いてみたくて楽曲をコピーする。憧れの野球選手みたいな打法を自分もやってみたくて練習する。そういう目標だと何かダメなんだろうか?

「試合に勝ちたい」というような、スポーツにおける勝利そのものを目標としている場合は別だが、ほとんどの場合は、自分の趣味を他人と比べる必要がない。

何かを最初にやる瞬間というのは誰にだってあって、皆その時は初心者だ。自分でオリジナルの競技を発明したとかでもなければ、必ず先駆者がいて、上には上がいる。そりゃ当たり前だ。「自分より出来る人が既にいるなら自分はやらない」と考えるなら、その人は何もすることなく死んでいくのだろう。「メシも誰かが食ったことあるし、自分は食わなくていいや」と考えるんだろうか。

自分がやっている趣味が、どこかで評価されれば嬉しい、というのは分かる。試合に勝てた、とか、コンテストで優秀賞をもらった、とか、褒められたら嬉しいという感覚はあって当然だ。しかし、「世界一になれなきゃ意味がない」とか「優勝しないとダメだ」なんていう考え方は、間違っている。ましてや、「より評価されるために続ける」といった考え方は本末転倒だ。

先駆者を見ての憧れから、真似してみたいと思って趣味を始める。 やってみて上手くいかないことも多いけど、日々の自分の中での上達が楽しい。それでいいじゃないか。時たま友人同士や地域大会などの「小さな世界」で競ってみたりして、勝てて評価される時もあれば、芳しくない時もある。それでいいじゃないか。勝敗がつくような趣味だって、「勝つことだけ」が楽しさではない。負け続けるとモチベーションが上がらないのは分かるが、「勝たないと絶対に楽しくない」ことはないはずだ。失敗したり、上達しなかったり、負けたりする中でも発見や学びがあり、昨日の自分よりはちょっと上手くなっている。そういう自分比で変化があって楽しい、が得られれば十分じゃないか?

変に大人になった気でいると自分を小さくする

子供の頃は世界を知らなかったから夢中になれたけど、今はもう「その先」が見えちゃっている気がして、熱中できないんだよね。

俺ももういい歳だからさ、遊んでばっかいられなくて。趣味っていうより、副業にでもできればいいなー、なんて。

結局、こういうことを言っていると「何もやっていない・ゼロの人」のままなんだ。諦観は一見格好良く見えるかもしれないが、この人達は5年後も10年後も同じことを言っている。


やってもお金にはならないし、むしろ出費ばかりだけど、ずっと楽しそうだなーと思ってたから、今年から始めたんだよね、サーフィン。

今さら本気でプロを目指すつもりではないけど、子供の頃憧れてたから、ピアノ教室で習い始めたんだ。

いい大人が、ダッセェとか笑われながらでも、泥臭くみっともない姿を見せながらでも、「ちょっとは出来る・やれる人」になっていく。「楽しい」を沢山身に付けていって、何年かしたらそれなりの腕前になって、自分に自信を持てているかもしれない。


自分はどっちになりたいか?


どこか一つ自信の持てる分野があると、それ以外の場面でも堂々として見えるようになったりする。「ココで失敗しても自分には戻れる場所がある」というような心の拠り所が持てるようになるからだろう。

時間を逆行して若返ることはできない。だから、人生の中で一番若いのは今日、今だ。「今さらもう遅い」なんてこと、ない。先延ばしにすれば時期がくる、なんてことはないのだ。

今の時点で出来ないのは当たり前。今から始めて世界一になんてそうそうなれないのも分かってる。できたところで金を生むこともないし、何になるかなんか分からない。自分なんか頑張ってもあの辺止まりなんだろうな。そうかもね。

でも、楽しそうだから、やってみたいと思った。誰かに近付きたくて、真似したいと思って、やってみたくなった。

その気持ちだけで、やってしまって良くないか?

よほどのことでもない限り、人様に迷惑を掛けるような趣味もなかろう (大人なら、他人が迷惑することが明らかなことは止めような)。趣味を始めたところで、せいぜい「いい歳こいて頑張っちゃってw」と笑われるぐらいだ。

でも、笑われたって関係ないじゃないか。笑われたから何だというのだ。言い訳ばっかり増やして何もしないでいる人間はもっと笑われているぞ。


自分がやりたきゃ、やろうや。楽しそうだったら、始めようや。先のことや利益のことを考えるのは、よそうや。多分キミにそんな見る目はないから、つまんなくなるような予想は止めにして、「今楽しい」を集めようや。


分かっちゃいるんだが、やっぱりどこか冷めた自分もいる。

一度悟ったつもりになっちゃうと、この狭い世界で妥協して余生を生きるのが大人だ、みたいに勘違いして、つまんない人間のまま老いていく。「あれをやっておけばよかった」なんて後悔すらも忘れて、無になって死ぬのかもしれない。

チョー楽しくなさそう、その人生。

でもこんな頭でっかちな状態で、今から何かに熱中するのも難しいし、体力もないし。そうやって冷めちゃってるところもある。冷めてる自分ダセーぞ?って思いながら、冷めてる。

皆どうやって折り合い付けてるんだろう?大人はどうやったら楽しく生活できるんだろう?