本日公開!「Matrix Resurrections マトリックス・レザレクションズ」を観てきたネタバレ感想

今日、2021-12-17 公開の「Matrix Resurrections マトリックス・レザレクションズ」を観てきた。初見の勢いそのままに一旦書くので、認識誤りや記憶違いなどがあるかもしれないが、とりあえず書く。

ネタバレを含んでいるので、以下閲覧注意。

目次

あらすじ (ネタバレあり)

青髪の「バッグス」がリブートっぽい仮想空間 = モーダルを発見。その世界では、モーフィアスがエージェント・スミスとなってトリニティもどきを追跡していた。バッグスは「あのモーフィアスだ」と気付き、エージェントとしての面を捨てさせ現実世界に呼び戻す。

この世界のトーマス・アンダーソンはゲームクリエイター。1999年に「マトリックス」3部作のゲームを作ってヒットした伝説のクリエイターであり、「モーダル」も彼が作る仮想空間ゲームだった。近所のカフェで出会う既婚・子持ちの主婦、ティファニーは、トーマス・アンダーソンにとっては「ゲーム内のトリニティのモチーフ」のつもりであり、不思議な縁を勝手に感じていた。その日トーマスは、同僚のお節介でティファニーと初めて会話する機会を得る。その後もカフェで度々顔を合わせると、ティファニーは「マトリックスのゲームを見たけど、トリニティっていうのは私に似てるわね」などと語る。

トーマスのゲーム会社の上司スミスは、共にこの会社を拡大してきたと語るが、親会社のワーナーが「次回作を作れ」「お前らがいなくてもリブートを作る」と言っているとし、「マトリックス4」の製作が始まる。「マトリックス」シリーズに感化されて育ったスタッフは「小難しい哲学なんか要らん、バレットタイムだ」などと口々に語りたい放題。クリエイターであるトーマスは苦笑い。

トーマス・アンダーソンは「自分が作った『マトリックス』ゲーム内の仮想現実」と、自分が生きる世界との区別がつかなくなり、セラピーに通っていた。青い眼鏡をかけるセラピストは、「苦手な上司を敵に見立て、私の飼い猫『デジャヴ』が苦手なのを仮想世界の設定に盛り込み、気になる近所の女性を『トリニティ』としてゲームに組み込んだ。作品に自分を投影しているから混乱しているんだ」と言い、青いピルを処方する。

ある夜、錯乱しかけていたトーマスはビルの屋上から飛び降りてみようとするが、それをバッグスが阻止する。日本の新幹線を経て廃劇場に連れて行くと、バッグスは「あなたの姿は周りには別人に見えている、だから今まであなたを見つけられなかった」などと語り、現実世界に戻るための赤いピルを渡す。仮想世界の異変に気付いたスミスは、周囲の一般人を「ボット」として操り、一行を阻止しようとするが、トーマスは現実世界に舞い戻った。

赤いジェルカプセルから目覚めた「救世主ネオ」は、向かいのカプセルにトリニティが居るのを見付けるが、ひとまずバッグス一行に救われる。バッグスによって「モーダル」の世界から引き戻されたモーフィアスは、和室でネオに勝負を挑み、ネオの潜在能力を少しずつ覚醒させる。現実世界で目覚めたネオは、「アイオ」と呼ばれる人間の居住区に連れて行かれた。そこには年老いたナイオビがおり、機械と人間が共存する世界だった。

ナイオビによると、ザイオンでは機械同士も戦争を始め、そこから逃げ延びて「アイオ」を作り上げたらしい。ネオとトリニティ亡き後の人類はモーフィアスが主導していたが、当時を知る生き残りはほぼナイオビだけとなっていた。

ネオはトリニティを現実世界に連れ戻したいと考えるが、ナイオビはアイオの平和維持のため、ネオやバッグスに勝手な行動を控えるよう言い渡す。しかしその忠告を無視して、ネオとバッグス一行は再び仮想世界に戻った。

トリニティに会いに行く道中、エージェント・スミスが再び現れる。スミスは以前自分が乗っ取った一般人を敵として召喚する。その中には1作目の地下鉄で寝ていた浮浪者もいた。戦闘の中でさらに忘れかけていた能力を取り戻していくネオ。スミスをかめはめ波でぶっ飛ばし、トリニティの元に行く。

するとそこには「セラピスト」がいた。彼は「デジャブ」や「バレットタイム」で時間の流れを自在に操り、ネオを無力化し翻弄する。そして彼は、自らがこの仮想世界を維持・管理する存在であることを明かし、この仮想世界のあらすじ解説を始めてくれる。

旧3部作で、ネオがマトリックスのソースをアップデートし、マトリックスが再起動された。機械達はネオとトリニティの肉体を程良い近さで配置することでマトリックスの世界が安定することを発見した。それが、ジェルカプセルの配置であり、マトリックス内で「カフェで会う程度の関係」という「程良さ」に至っていたそうだ。

セラピストの語りが終わり、トリニティを連れ戻そうとするネオだったが、現実世界でトラブルが起き、一旦現実に引き返す。ネオが目覚めたことで、仮想世界が不安定になり、それを検知した機械達が周囲を嗅ぎ回っているようだ。ネオは、トリニティが仮想世界に閉じ込められたままになるのを危惧し、再び助けに行きたいという。

そこに、大きくなった「サティ」から一報が入る。サティは設計者である父から人間を培養する装置の構造を教わっており、トリニティを連れ戻す作戦に協力してくれた。ネオは仮想世界に入り、カフェでセラピストと対峙。「トリニティが拒否すれば、連れ戻しはしない。トリニティが望んだら、僕らを見逃せ」と持ちかける。続いてカフェにティファニーが現れる。彼女は「この光景を夢で見た」と語り、「マトリックス」がゲームの物語ではなく実際の出来事であったことを信じかけていた。そこにティファニーの家族が登場し、彼女を連れ戻そうとする。ティファニーも「少し遅かったわ」と、仮想世界に生きることを決めかける。

しかし、直前になって思い直したティファニーは「私はトリニティよ」と覚悟を決める。その瞬間、ボットとして乗っ取られた「ティファニーの旦那」にキックをかます。FBI とネオ一行とで乱闘になるカフェ。そこにエージェント・スミスが現れ、セラピストを倒す。スミスにとっては、仮想世界を支配するセラピストが邪魔だったが、仮想世界から抜け出そうとするネオとトリニティは阻止する対象であった。周囲の一般人が続々と「ボット」化 (というかゾンビ化) され、ネオとトリニティを捕まえようと追い始める。二人はバッグスらの援護のもとバイクで逃走する。

ビルの屋上へと逃げ込んだ二人は、かめはめ波で銃弾をかわす。トリニティは「私が夢で見ていたのはココまで」と語る。ネオは自分が空を飛ぶ力を取り戻していることを信じて、トリニティと手を取り合ってビルからジャンプする。

…空を飛ぶ能力を持っていたのは、トリニティだった。「僕じゃなくて君だったのか!」と驚くネオ。トリニティは「さよなら」と言って、ネオを連れたまま現実世界へ飛び去った。現実世界に戻り、本当の再会を果たすネオとトリニティであった。

その後、セラピストの家に、トリニティとネオが参上する。セラピストは「交渉にでも来たのか」と問うが、トリニティは「違う。礼を言いに来た、この世界をより良く作り変える」と語り、セラピストに一発おみまいして、二人は飛び去った。

感想

何度か見ないと情報を処理しきれないなーと思いつつ、初見直後の興奮のまま感想を書く。また見返したら思いが異なる・修正されるところもあるだろうけど、とりあえず覚えてる限りで。

旧3部作を「…というゲームがありましたとさ」という位置付けにする設定は面白かった。スミスの「ワーナーは何度でもリブートを作りたがっている」とか、若いスタッフの「能書きは良いからアクションシーンだ」とかいう発言は、旧3部作の対外的な評価をセルフパロディするとともに、今後の雑なリブートシリーズ化を防ぐ牽制にもなっていて面白かった。

旧3部作の映像をオーバーラップさせることで、「前世の記憶がフラッシュバックしてる感じ」を演出するとともに、ファンサービスも十分。「あーこのカットあったね~」っていうのは終盤まで散りばめてあって、下手すると「ただの過剰なファンサービス」になっちゃうんだけど、ギリギリのところで「マトリックスという世界は繰り返されている」ことのメタ表現になっていたと思う。

実際は、旧3部作の出来事を「ゲーム」として取り込んでおくことで、ソースとしてマトリックスに接続されているネオを仮想世界の中で安定させ、抵抗軍を生み出さないようにするための、機械側の作戦だったことが分かる。ネオは旧3部作から引き続き、純粋な愛でトリニティを取り戻そうとする。

一方のトリニティは、仮想世界の中で家族に恵まれ、主婦として暮らしているが、ネオに会って覚醒。自らを解き放ち、仮想世界から飛び立っていた。

コレはまさに、ウォシャウスキー監督の性自認・カミングアウト・性転換の思いや経験がベース・メタファーになっているだろう。

旧3部作は、「強い女性」ことトリニティが、ネオを救世主として導いた。男性である主人公を、「女性」が導いた、「女性」性へといざなった構図といえる。それに対し、本作は最終的に、空を飛べた、つまり救世主だったのはトリニティ、ということになる。

主婦という「いわゆる女性の役割」を淡々とこなすことに違和感を覚えていたトリニティが、本当の自分を取り戻し飛び立った、ということで、「女性として飛び立った」ことを表していて、旧3部作以上に「トリニティが主役」な作品になっている。キリストによって、一人の女性が解放された、的な感じだ。

端々に出てくる一般人の無関心な様子や、スマホを見てゲラゲラ笑う若手スタッフ、スミスの「何でも 0 か 1 かの二元論で見ようとする」とか、セラピストが語る「多くの人は自由になどなりたがらない、支配されたがっているものだ」といったセリフは、ウォシャウスキー監督が世間に感じてきた同調圧力みたいなモノだったり、「皆は同じように過ごしているけど、自分だけ違う感覚がする」という疎外感や違和感が表現されているのだろう。一日中スマホとにらめっこして、「この中で生きてれば良いんだ」と半ば諦めているような現代人は、まさに仮想世界のプラグに繋がれてる状態だよ、という。コレを1999年から予言してたところは凄いな。

初見で整理が付いていないところが2つあって、

  1. エージェント・スミスの行動原理がイマイチ理解しきれてない。セラピストは倒すけどネオとトリニティは襲う、というところなんかで、ネオとトリニティをどう出来たらスミスは満足なんだっけ?が分からなくなった
  2. トリニティのプラグを抜き、バッグスが「バイパス」するあたり。プラグが抜けても仮想世界に精神は残ったままになるの?プラグって何なんだっけ、「マトリックスに侵入する」ってどういう仕組みなんだっけ?

ってところが、勢いに押されて後々分かんないところ。コレは何度か見ないといけなさそうだ。

アクションは旧3部作で飽和状態で、いよいよ「かめはめ波」を使うようになった。旧3部作よりも寄りのブレ気味なショットが増え、イマドキのありがちなアクションシーンの撮り方に近くなってた。ワイヤーやカンフーアクションはもっさり気味で、さすがにキアヌも年齢か。

旧3部作は、視聴時の自分の年齢や時代もあって、いまいちメタ要素が分かってなかったけど、本作を見て、初めて「マトリックス」で涙した。恐らく監督が本当の自分を解放するまでの障壁や苦労もだし、解放できたあとの爽快感などを、設定・セリフ・映像面・アクション要素・全てを駆使して表現し尽くしていて、ホロッときてしまった。当時はアクション目当てで繰り返し見ていたが、本作はセリフや設定、メタ要素をじっくり味わうために、何度も見返したいなと思った。