先のこと考え過ぎ病?

エンジニアをやっていて大事だなと思うのは、開発段階、いや、もっと前の企画段階から、運用保守を考慮しておくことだと感じている。

システム開発の本筋だけ見ると、要件さえ定まれば、それをプログラミングするのは比較的容易なのである。しかし、本当は「ユーザが急増した時のインフラのスケーリングはどうするか」とか「障害対応に役立つログ設計をどうするか」とかいう運用保守設計も、機能設計と同時並行で考えておかないといけないモノ。そういう考慮が全くないと、機能だけ出来上がっても、まともに使えないシステムになってしまう。

システム・ソフトウェアに限らず、工業製品ってそういう面があると思うのね。長く使い続けたらどうなるのか、どうしたらメンテナンスしやすいモノになるか、ってことを、製品を作る段階から考えて組み込んでいる。クルマならあちこちをパーツ交換で対応できるように設計するし、レオ・フェンダーが考案したエレキギターもまさに、ネックをボルトオンで繋ぎ込むことで、製造コストも下げられるし、長く楽器を使えるようにネックを交換可能にしてある。先々を見越して予め組み込んでおくというのは、とても大事なことなのである。

というワケで、エンジニアをやっていると「このシステムを作ったあと何年ぐらい持たせる気なのか」「どうやってメンテしていくつもりなのか」「どんな機能改修・追加が起こりうるか」っていう、リリースされた後のことばかりが職業柄気になるワケである。


そんな職業病が自分に染み付いてしまって、最近感じているのは、システム開発以外の面でも、先のことを考え過ぎておかしくなっている気がする、ということ。

元々自分は神経質な性格で、誰に習うワケでもなく、ファイル名の連番を気にしてみたり、桁数がズレないようにゼロパディングしてみたり、といったことを幼少期からやってきた。今はコレだけのコンテンツしかないけど、今後コンテンツ量が増えてきたら、どういう風にページ分割しようかとか、ページ数が増えてもトップページからのナビゲーションで迷いにくい構造を考えようとか、そういうことを考えるのが好きでやってきたタイプではある。

一方で、例えばテレビ番組。最近は番組を地方局にパッケージ販売したり、後で DVD 化する例も多いけど、それでもバラエティやお笑いの中では、時事ネタを扱うことは多いだろう。ああいうのって、番組を作っている最中から「このネタが5年後・10年後にも笑えるだろうか」とか「演者がスキャンダルを起こさずに売り続けられるか」とかいうことばっかり考えていたら中々立ち行かないと思うのよね。このご時世だし、短期的な反響、長期的なセル販売のことを全く考えていないことはないだろうけど、それにしても、番組製作時に最重視されているのは「今この瞬間に笑ってもらうこと」であろう。

「落語のように長く残るお笑いこそが至高で、旬の芸人を使うエンタの神様はダメ」とは、誰も思わないだろう。歴史的価値が上乗せされていく部分はあれど、「長く残るクラシック音楽が良くて、EDM は浅いから悪い」というような差もない。「今この瞬間にウケることを考えてやる、後に何年残るかは知らない」っていう思考だとしても、別にそれって自然なことだよね。


自分が携わるシステム開発の分野では、「作った後のことは知らない」なんて考え方では、確実に使い物にならないから悪であり、ダメなことなのだが、システム開発以外の場面や日常生活なんかでは、「今のことだけ」をもっと考えて良いいんじゃないか、と思っている。でも、それが上手く出来ない。

今からこんなことを始めて何になるんだろう、とか、1年もたずに飽きるだろう、とか、始める前からそういう気持ちが湧いてしまって、「長期的に実益がなさそうだから止めとこう」みたいなことを考えがちである。

でも、そうやって自分を「とっておいて」、それこそその先に何があるんだろう、とも思う。今さえ面白ければそれで良くないか?実益ばかりじゃなくて良いんじゃないか?とか思い始めている。


小さい頃って、そういう後先を考えずに、興味が湧いたら何でもやってきたからこそ、パソコンが職業になったし、ギターやカメラを通じて音楽や映画が趣味になり、色んな楽しい経験ができた。手の指を捻挫したこともあったけど、フリーランニングにだってハマって楽しんでいた。あんな危なっかしいスポーツ、明日のことなんて考えてたらやってられない。

でも、「明日は仕事だから疲れたくない」「怪我でもしたら困るから挑戦しない」「今さらこんなことに熱中しても、数年後なにも残らないだろう」なんていう諦観で、逆に何が得られたというのだろう。運動もしなくなり、何にも興味が湧かなくなり、何も楽しく感じなくなっただけで、こんな生き方の方がよっぽど毒な気もする。

勿論、大人になったら自分の収入以上の大きな買い物を考えなしには出来ないし、スマホゲーに課金したりしょーもない漫画をいつまでも読んでたりするのって、得るモノがなさすぎて、僕は明確に止めるべきこととみなしている。だけども、変に先々のことを考え過ぎて、やっぱ止めとこう、アレも止めとこう、としすぎると、それこそ何も得るもんがないよなぁと思ったりする。


「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とか、「失敗も経験だ」とか、そういう言葉って自分はバカじゃねえの?と思っているが、そういうことを言いたがる大人が本当は何を後悔しているのかというと、後先考え過ぎていよいよ何もできなくなってしまったってことなのかな、と最近思うようになった。

いい歳になったらある程度落ち着きも持ってほしいモノだけど、温泉にいきなりダイブするような生き方が出来たら、楽しいじゃんか、と。w


暴飲暴食したり、つまんない散財をしたりと、悪い方向ではいとも簡単に「後先考えない行動」が取れるのに、どうして子供の頃のようなポジティブな意味での「後先考えない行動」は取れなくなるんだろう、と。

なまじ、システム開発で「あの時先んじてやっておいてよかった」という経験があると、「先々のことも予測してから始めたい」「後で損するようなことは避けたい」みたいな意識が人よりも強くなってしまう。でも、そんな考えばかりじゃ何もできなくなるのも分かっている。

こういうタイプの大人になってしまってから、元に戻すのはなかなか難しい。