公正世界仮説との付き合い方をぼんやりと考える
「公正世界仮説」という認知バイアスがある。世界は公正であり、正義は勝ち、悪者は罰せられるはずだ、という信念に基づく解釈のことをいう。
コレだけ聞くと何ら悪いバイアスではないというか、「世界はそうであってほしいものだよねぇ~分かる分かる」と思うのが自然だと思う。実際のところ、この「公正世界信念」を持つ人々は、長期的な目標を達成することに前向きで、幸福度も高いといわれている。「努力は報われる」「信じる者は救われる」という信念があるからこそ、短期的な報酬になびかず、長期的な目標達成に向かって努力が続けられる、というワケだ。
問題は、こうした信念を悪い方向にも当てはめてしまう場合である。
例えば、夜道で暴漢に襲われたという事件を聞いて、「真夜中にそんな危ない道を歩いている方が悪い」と思ったことはないだろうか。痴漢被害者の話を聞いていて、「痴漢に遭いたくなければミニスカートなんか履かなきゃいいのに」と思ったことはないだろうか。こういう考えも、公正世界仮説によるものだという。コレはどういうことか。
公正世界信念を持つ人は、この「公正世界」に秩序があることを望んでいる。「正義は勝つ・悪者は罰せられる」という基本から、「健全に過ごしている人に理不尽な出来事は起こらないはずだ」という信念も生まれて、それが発展すると「『一見理不尽に見える事件に遭遇した人』というのは、何か悪いことをしていたからそんな目に遭ったに違いない」と考えてしまう、というワケだ。だから「痴漢などの事件の一因は、被害者であるあなたの服装にも問題があったんだ」といった考えが生まれるワケである。
「正しいことをしていれば、理不尽な目には遭わないはずだ。」
…誰だってそう思いたい。正しく歩道を歩いていれば、交通事故になんか遭わないだろう。何も悪いことしていないのに、酷い目に遭うはずがないだろう。そう思っていたのに、暴走車が歩道に突っ込んできて轢かれた。急に通り魔に刺された。そうなったら、今まで自分が信じてきた「公正世界信念」が崩れてしまう。世界は理不尽で不条理で、努力が報われず、悪者が罰せられずのうのうと生きてるのかもしれない。そんな世界、信じたくない。自分の中で辻褄を合わせるには、「理不尽に被害に遭ったワケじゃない」→「被害者にも原因があった」ということにするしかない。そういう解釈で、被害者を責めるような言葉が出てきたりするワケである。
「公正さ」というのは、ある範囲の中で、誰かが決めた規律に基づいて、第三者が判断することで、その範囲の中でのみもたらされるものだ。それを実現するにはある程度の「強引さ」も必要だし、「自分が公正だと思う条件」とはそぐわないこともあるだろう。そういうモノだ。全てにおいて自分が思うとおりの公正な世界などないのだ。
理不尽なことを受け入れるのは難しい。皆と同じように正しく頑張っていても、自分だけがランダムに選ばれ、酷い目に遭わされるかもしれない。そんな世界だったら、「誠実に生きる」なんてバカらしいと感じるかもしれない。できるだけズル賢く生きて、逆に理不尽に他人を傷付ける側に回ってやろうとすら思うかもしれない。
しかし、「世の中は公正であるべきだ」という「べき論」を前提にして他人に意見を押し付けるのは、やはり現実とはズレているので、何の意味もないし、誰の救いにもならない。
まずは、自分以外の他人に対して、「被害者にも責任がある」という言い方は止めよう。せめて、「被害を受けにくくする自衛予防策として、『夜道を一人で歩かない』『ミニスカートを履かない』といったことは考えられる」程度に考えを留めておき、建設的な意見になるようにしたい。まず悪いのは加害者の方であり、「被害者の服装や行動さえ違ったら何も起きなかった」とは言えないのだから。自分の中にある公正世界信念を他人に当てはめてもしょうがないから、それだけはまず機械的に止めよう。
そして、自分自身に起こった理不尽な出来事に対しても、「何かがどうだったら、こうはならなかったはずだ」「自分にも悪いところがあったのかもしれない」などと自責の念を抱き過ぎるのは止めよう。明らかに自分の落ち度で、改善できるところを改善するのは構わないが、理不尽なことは時に起こる。何の理由もなく自分が被害を被ることは、残念ながら、あるのだ。サイコパスが突然自分を攻撃してくることは、あるのだ。そこに理由も原因もないし、対策のしようもない。なぜなぜ分析なんかしても何も見つからないんだ。
理不尽な出来事に執着して、絶対に悪を成敗してやるとか、奴が死滅するまで仕返しするとか、そんなことをやっていても、公正な世界は訪れないんだ。
メチャクチャ悔しいし、こんな目に遭わせた奴を必ず殺してやりたいと思うし、簡単には諦められないけど、この世は自分が信じていたような公正な世界ではないんだ。理不尽なことは起こるんだ。仕方なかったんだ。避けられなかったんだ。悪いのは加害者で、俺は悪くないんだけど、残念ながら起きたんだ。そう諦めるしかない。
それでも、まだ生きてるなら終わりじゃない。そういう悪は自分から切り離して、善いことを続けよう。コレはコレで公正世界信念ではあるが、「最後はきっと報われる」というか、報われるような結末に向けて、今から出来ることをやろう、と、考えを切り替えよう。
自分にとって、意味のあることを続けよう。