「僕が勝手に考えたドラえもんの最終回 (仮)」を思い出す

1998年頃、ファンが創作した「僕が勝手に考えたドラえもんの最終回 (仮)」というストーリーがチェーンメールとして広まった。

僕も1998年か1999年頃に、父からこの「最終回」のストーリーを聞いて感動したものである。

今回、久々にこの話を思い出したので、その原典がどこにあったのかを調べてみた。

目次

小説の原典

この「最終回」のストーリーはこんな感じ。

  1. ある日のび太が家に帰ると、ドラえもんが動かなくなっていた
  2. ドラえもんの電池交換が必要だと分かるが、ドラえもんの記憶を維持したまま電池交換する方法がないという
  3. のび太はドラえもんとの思い出が消えるのが嫌で、電池交換はせず、以降はドラえもんに頼らず生きていくことを決める
  4. 猛勉強したのび太は、やがて科学者となり、記憶を維持したままドラえもんの電池を交換する技術を発明した
  5. のび太がドラえもんの電池を交換すると、ドラえもんは目覚め「のび太くん、宿題はやったのかい?」と訊ねるのだった

ググってみると、この「最終回」は「佐藤宣夫」という方が創作されたそうだ。

「魚拓」と表現されているが、Archive.org にてアーカイブされていた。

リンク先は後で紹介するとして、作者のお名前で検索したところ次の PDF がヒットした。1998年11月のインターネットマガジンに、作者本人へのインタビューが掲載されていたようだ。以下に一部引用させていただく。

電池が切れて動かなくなってしまったドラえもんを、成長して技術者となったのび太が修理する……。こんな内容の "ドラえもんの最終回" が、この夏インターネットから飛び出し、週刊誌でも「作ったのは作者?」という調子で取り上げられて話題になった。
詳しい内容は作者の佐藤宣夫さんのホームページを見ていただくとして、作者の知らないところで勝手に転載されて、チェーンメールとして広まってしまったという「ドラえもんの最終回 (仮)」についての真相を聞きに、名古屋工業大学大学院に通う佐藤さんの研究室にお伺いした。

  • 「ドラえもんの最終回 (仮)」を最初にホームページに載せたのはいつ頃ですか。

今年の1月か2月くらいです。その頃は名古屋工業大学の夜間部に通いながら、昼は別の愛知学院大学歯学部の実験補手という、電子顕微鏡の撮影を手伝うといった仕事をしていたんです。
大学職員はホームページを開くことができるので、僕もそこに「のび太のホームページ」と名付けたページを公開していました。

  • 書くのにはどのくらいかかったんですか?

単純にドラえもんの最終回ってそういえば知らないねってことと、僕は今大学院で太陽電池の研究をやっているんですけど、そこからドラえもんに耳がない――電池がないというふうにつながって、使えないかなと考えて、2時間くらいで描き上げたものなんです。
そのときは、藤子先生が書いた3種類の最終回があるとかまったく知らなくて、こんな大ごとになるとも思ってなかったんです。

  • それからしばらくして、チェーンメールの騒ぎになったんですね。

善意の方から、「あなたの書いたホームページの内容がチェーンメールになっていますよ」というメールを6月の初めくらいにいただいたんです。
僕はそれまで全然状況を把握していなかったんで、「おいおいえらいことになってるな」と思って、ホームページにも「勝手に引用しないで下さい」「紹介はアドレスだけにしてください」と、注釈を付けるようにしたんです。

  • 今年の4月にホームページのサイトが変わったそうですが。

3月に愛知学院大学は辞めて、名工大の大学院に入ったので、ホームページのサイトも変わったんです。辞めたら前のホームページは自動的に消されるかと思っていたら、そのまま残っていたんですね。
僕自身は大学を変わっているんでもう触ることはできないし、そのホームページに載せているアドレス宛のメールも受け取れない。愛知学院大学のほうのページを見た人が、「転載したい」というメールを出したけど返事がないので、そのままメールやネットニュースで流したという可能性もあると思います。
今は愛知学院大学のページはなくなっていますが、それを僕が知るのが遅れて対処も遅れてしまったので、申し訳なかったなと思っています。

だいたいは好意的なメールでしたが、いくつかは「そんなつもりじゃないのに」と寂しくなるようなメールもありました。あと、ドラえもんマニアの方から、「ドラえもんは電池で動いていない」と指摘するメールも来ました (笑)。

どうみても自分の文章だというのが勝手に載っているので、血の気が引く思いでした。
訴えられるんじゃないかと怖くなりました。
(ドラえもんの出版元である) 小学館の出している『週刊ポスト』にも好意的に書いていただきましたから今は安心していますけど、当時は何にもわからないから怖かったですね。

チェーンメール騒ぎになった直後の本人へのインタビューなだけあって、鮮明な情報である。

公開からおよそ3~6ヶ月以内にチェーンメールが広がり、当時ダイヤルアップ接続でほとんどインターネットをやっていなかった父にすらこの話が伝わったので、本当にとんでもない社会現象が起きてたんだなと思う。作者本人も本当にびっくりされただろう。

この雑誌内には作者のサイト URL が記載されており、前述のツイートも含めて、作者本人のページのアーカイブを調べてみた。

「Juvenile ジュブナイル」というのは2000年に公開された日本の映画で、「テトラ」というロボットと出会った少年達の物語である。Wikipedia にも記載があったのだが、なんとこの映画、この「最終回」のストーリーが原案になっていたとのこと。ジュブナイルは見たことあるけど気付いてなかった…。

最後に。間違えないでほしいことがあります。 この映画「Juvenile」は、僕が勝手に考えた 「ドラえもんの最終回(仮)」が元になっているわけではありません。 うまく言葉にできませんが、 これを読んだ山崎監督が、 感動を「映像にしたい」と奮起してシナリオを起こし たくさんの時間をかけ、周りを説得し、多くの方を動員して みなさんで作り上げ、そして多額のお金をかけて、実現に至った、 …ということ、なんです。悔しいですが、僕は関係がないんです(笑)。

世の中には、すごい人たちが確かにいるんですね!

チェーンメールとして広まったこともあり、当時様々な反響があったようだ。

同人誌が大ヒットし著作権問題に発展

1998年にチェーンメールが世を賑わせた7年後。2005年、この小説を基にして「田嶋・T・安恵」というペンネームの方が同人誌を作成し、コレが大ヒットしてしまった。非公式な二次創作であるにも関わらず、13,000部以上も売れてしまったことから、小学館もさすがに無視できず、著作権侵害を通告したらしい。

基となる小説を書いた佐藤宣夫さんと、マンガを描いた田嶋・T・安恵さんとは関わりはないっぽい。小説はウェブサイトに載せただけで、本人も預かり知らぬところでチェーンメール化してしまったが、金銭的な儲けには繋がっていない。一方、同人誌の方は金銭的な売上が発生しており、絵柄が似ていたこともあって正式な作品と誤解されかねない状態だったため、刑事問題に発展したようだ。本件は和解に至ったものの、「パクリ・オマージュ・パロディの線引き」とか「二次創作はどこまで許容されるのか」みたいな議論にもなっていたらしい。

「のび太植物人間説」

1998年の「ドラえもんの開発者はのび太説」よりも10年以上前、1986年頃に流行していたのが、先程少し触れた「のび太植物人間説」という「最終回」のストーリーだ。

当時まことしやかに囁かれたらしいが、コチラは藤子・F・不二雄が正式に否定するコメントを出している。

正式な最終回

公式な「最終回」は3種類存在するらしい。

一つは、時間旅行に規制がかかってセワシとともに未来に帰ってしまうというモノ。

もう一つは、のび太の自立心を養うため、あえてドラえもんが未来に帰ることにするが、のび太は理解し「一人で頑張る」と答える、というモノ。

「本当の最終回」と言われているのが「さようなら、ドラえもん」という話で、このストーリーはアニメ化もされた「帰ってきたドラえもん」の前半部分にあたる。自分はマンガを読まず、アニメ版しか知らなかったのだが、あの前半が「最終回」だったのだ。(理由は不明だが) ドラえもんが未来に帰らないといけなくなり、ジャイアンにボコボコにされてもしがみついて「僕だけの力で君に勝たないとドラえもんが安心して未来へ帰れないんだ」と訴える。ドラえもんに「僕一人でもやれるから安心して未来に帰って」と告げて眠るところまでが、「さようなら、ドラえもん」のストーリーだったらしい。

藤子・F・不二雄はこの最終回を書いたあともドラえもんのことが頭から離れず、後に続きとして「帰ってきたドラえもん」を作ったそうだ。

ドラえもんが万が一のためにと置いていった秘密道具「ウソ800」を使ったのび太が、「ドラえもんは帰ってこないんだ」とつぶやいたことで事情が反転し、ドラえもんが帰ってくる。喜んだのび太は「嬉しくない、これからずっとドラえもんと一緒に暮らさない」と逆さ言葉で返す、という結末だ。

みんなドラえもんが大好き

ドラえもんは1969年に連載が開始し、藤子・F・不二雄は1996年に亡くなっている。その間27年。一方、藤子・F・不二雄の死後から今年2022年で、26年が経とうとしている。現在もアニメシリーズが継続しており、今となっては水田わさびドラに対する違和感もなくなり、逆に大山のぶ代ドラを聞いて「こんな感じだったっけ?」とすら思うほど、年月が経過した。

「最終回」の小説を書いた佐藤氏も、特別ドラえもんファンというワケではなかったそうだが、見事な「最終回」を作り上げた。変な言い方だが、さほど愛着がない人でも二次創作が出来るほど、「ドラえもん」の世界観は完成されていて、誰もが馴染み深い作品になっているのだろう。

どの話が公式のドラえもんっぽいかとか、藤子先生はこう言ってたとか、色んな批判が挙がるのも、それだけドラえもんが愛されているということ。二次創作の是非などはあれど、みんなドラえもんが好きだから、ドラえもんがみんなの心の中にいるから、コレだけ派生・普及するし、残り続けるんだなぁと思った。