映画「Citizen Kane 市民ケーン」を見た
小さい頃はそのタイトルを見て「市民権」をモジッたギャグ映画なのかと思ってた。クドカンやアベサダがやってそうな感じの寒い感じ。ってそれ「舞妓 Haaaan!!!」か。「有吉ぃぃeeeee!」みたいな語感だけどダジャレではない。
あらすじ
新聞王のケーンは、スノードームのおもちゃを握りしめたまま、「バラのつぼみ」という言葉を残して息を引き取った。ニュース記者は彼のニュース映画を製作するにあたり、その言葉の真相を探るべく、関係者に聞き込みを開始した。
ケーンは、ぼんくらオヤジと現実主義の母親との間に生まれる。母親は譲り受けた金鉱で大金持ちになるが、その管理を銀行に任せると同時に、息子ケーンの養育も銀行家のサッチャーに任せることにした。雪の中、ソリで遊んでいた少年ケーンは、突然ニューヨークで暮らすことになったのだ。
時は過ぎてケーンは25歳になり、莫大な資産を相続する。しかしケーンはそうした資産には興味がなく、友人とともに新聞社を買収し、センセーショナルな記事を書いて世間を賑わせた。
ケーンは大統領の姪と結婚するが、すぐに関係が悪化する。そんな時、街中で偶然出会った歌手志望のスーザンと浮気を始める。妻子とは離婚し、すぐにスーザンと再婚する。
ケーンはスーザンにボイストレーナーを付け、スーザンのためにオペラハウスまで建設するが、スーザンの実力は及ばず、初舞台は散々な結果に終わる。ケーンの友人の記者は正直に酷評する記事を書こうとするが、それを見つけたケーンは、代わりに自分がスーザンを酷評する記事を書き上げたのち、友人記者をクビにし絶縁する。
スーザンは自分の実力不足に気付いていたが、ケーンは歌い続けろという。プレッシャーに耐えかね自殺未遂を起こしたことで歌手を止めさせるが、今度は郊外に「ザナドゥ城」と呼ばれる大豪邸を建て、スーザンを幽閉状態にする。孤独な生活に不満が爆発したスーザンは、ケーンを置いて出ていく。
取り乱したケーンは部屋中の物を壊し暴れ回るが、スノードームのおもちゃを手に取ると静まり、「バラのつぼみ」とつぶやいてどこかに歩き去って行った。その後ケーンは、一人老いて亡くなっていったという。
…以上の生涯を、ニュース記者は友人やスーザン、屋敷の使用人などから聞いて回るが、ついに「バラのつぼみ」の言葉の意味は分からなかった。しかし記者は彼なりに、「恐らく『バラのつぼみ』は、彼の人生で手に入れられなかった何かを表すパズルのピースの一つなのだろう」と解釈した。
ニュース記者達が取材を終えた屋敷で、ケーンの遺品が次々と焼却炉に放り込まれていく。その中に、幼少期のケーンが遊んでいたソリがあり、そのソリには「バラのつぼみ」というロゴマークが印刷されていた。
解説
「市民ケーン」は1941年の映画で、オーソン・ウェルズという人が監督と主演を努めている。この人は1938年に制作した「宇宙戦争」というラジオでも有名で、「あまりのリアルな内容に聴取者達が実際の事件と勘違いしてパニックになった」という尾ひれがつくほど (実際はそんなパニックは起こってなかったらしい)。
本作が映画デビュー作だったオーソン・ウェルズの柔軟な発想により、以下のような斬新な手法が盛り込まれている。
- 回想シーンと現在のシーンを交互に組み合わせる脚本
- パンフォーカス (画面の手前から奥までピントが合っている状態)
- 天井が映るほどのローアングルからの撮影
- クローズアップ (冒頭、最期のケーンの口元に寄るカットなど)
- カメラが物体の間をすり抜けるような特殊なクレーンショット (ネオン看板をすり抜けバーの天窓に寄るカット)
- マットペイント、長回し、(オプティカルプリンタを利用した) クロスフェード
- 実在の人物との合成映像 (冒頭「News on the March」終盤、主人公とヒトラーの2ショット。実際のヒトラーの映像と合成したのか、ソックリさんなのかは不明)
どれも今となっては当たり前な手法ばかりであるが、当時では斬新だった数々の手法を、映画デビュー作の若手監督が一気に盛り込んでいるという点で高い評価を得ている。
それまでの映画はスタジオでの撮影が多かったので、そもそも天井がなかったりして、カメラアングルに制約が付きやすかった。特にローアングルからの撮影は、主人公ケーンの偉そうな振る舞いを効果的に演出できている。オーソン・ウェルズの抱いたイメージを見事に映像化したカメラマン、グレッグ・トーランドの手腕が見て取れる。
主人公チャールズ・フォスター・ケーンを演じたオーソン・ウェルズは当時25歳だったので、老年期のケーンを演じる際は特殊メイクをしている。この特殊メイクも違和感がなく、初老から死の間際まで、オーソン・ウェルズ本人が演じ切っている。
ちなみにこの主人公は、実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしているとされる。愛人のマリオン・デイヴィスもモチーフになっていたこともあり、当時ハーストが激怒して上映妨害された他、アカデミー賞も脚本賞受賞に留まったという。
そんな大物の反感を買ったオーソン・ウェルズは、その後も映画製作の意欲は高かったものの、ハリウッドでは不遇で、中々ヒット作には恵まれなかった。
感想
「当時としては斬新だった脚本構成や撮影手法」によって評価されている作品なので、歴史的経緯を知らずに見ると「白黒の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』かな?」みたいな感じで、まぁまぁありがちな大金持ちの成功と失脚の伝記映画とみなされがち。
撮影手法や技術的な点に興味がない人にとってはその凄さがよく分からないかもしれないが、本作を一度見た後に「あのシーンってこういうアングルだったよなぁ」と、画や構図が思い出せるシーンがいくつかあると思う。2時間の映画の中で、アングルや構図が思い出せるカットを作るのって実は難しいことで、それだけ印象的な「画」を作るために、様々な撮影技法が使われている、ということなのである。
もう少し作品のストーリーと絡めて見ると、家族の分裂の場面では主人公が画面中央下に小さく映り、その両脇に関係者が大きく映る、という構図が共通して登場したりするし、結婚生活が10年間の内に破綻に向かう様子は、食卓に座る位置で表現されていたりする。構図や技法をそうと理解せずに見ていても、無意識的に関係性や流れが理解できるような画作りがされているワケだ。
また、「母親に捨てられたような気持ちになっていた子供が、大人になってもその愛情に飢えて逆に孤立していく」というストーリーも、悪くいえば「ありきたり」といえるが、それだけ普遍的なテーマであることも、この映画が長く評価されている所以だろう。「ポケベルが鳴らなくて」ってそりゃもう鳴るワケねーだろサービス終了してんだから、みたいな陳腐化はしていないのが凄い。
というか公開年をもう一度よく見て欲しいんだけど、1941年って、ヒトラーがまだ存命の時期なのよね。ケーンのモデルが時の新聞王っていうだけでなく、まさに渦中のヒトラーをも映画の中に映像的に登場させてしまうところの、若さというか、怖いもの知らず感というか、強烈さというか、そういうところも魅力的な作品だと思う。
モノクロ映画で、字幕で見ると慣れない人は厳しいかもしれないけど、ちょっと映画が好きな人はぜひ見てみてほしい。上映時間も119分と長くないのでちょうど見やすいと思う。