怒り方が間違っている親

スーパーに行ったら、よその子供がサッカー台によじ登ったり、看板やサンプル品をあれこれ触ったりしていた。隣の母親はしきりに「登らない!」「触らない!」「走らない!」と注意していたが、子供は次から次に色んな行動を起こす。

文章でニュアンスを伝えづらいのだが、別に悪ガキというワケではなくて、好奇心旺盛な子供が、興味の湧いたモノにどんどん近づいて行っているだけ、という感じ。店のモノを破壊する感じでもないし、イタズラをしようとしているワケでもなかった。子供がサッカー台に腰掛けようとするぐらい、僕だったら何とも思わない。それぐらいの、いや、それ以上の悪さは僕もしてきたことだし。w

それよりも気になったのは、その子供を注意する母親。一言で言うと、注意の仕方が間違ってるからずっと怒ってる状態になってるんだよな。

親子の行動を傍から見てると、こうなってた。

  1. 子供がサッカー台に登ろうとする
  2. 母親が「登らない!」と注意する
  3. 子供はサッカー台を降りるが、次の標的を見つけて触ろうとする
  4. 母親が「触らない!」と注意する
  5. 子供は手を止めるが、次の標的を見つけて走り出す
  6. 母親が「走らない!」と注意する

子供は母親の注意を全て聞いているのだ。「それはやっちゃダメ」と言われたことは、一応止めているのである。ある行動を禁止されたから、次の興味を見つけているに過ぎないのだ。

子供は言うことを聞いているのに、なぜ母親は怒りっぱなしになってしまうのか。答えは簡単で、否定形でのみ注意しているから相手に伝わっていないんだ。子供はどうしても視野が狭いので、「○○禁止」と言われたらそれだけは守るかもしれないが、「それに類することも自発的に止める」ことは難しいのだ。コレは大人でも同じで、会社に入っても同じようなことで後輩教育に苦労させられている。

この母親が言わんとしている根本は、「楽しくても楽しくなくても関係なく、じっとして何も行動せず、自分のそばにいなさい」ということである。否定形でしか注意せず、あれだけ怒鳴りっぱなしになるぐらいなら、「お母さんのズボンをずっと掴んでいなさい」という風に、肯定形で、具体的な行動を指示する方が、まだ子供が言うことを聞いてくれる可能性があるだろう。


そもそも、なぜ子供がスーパーで走り回るか。それも簡単な話で、子供にとってスーパーは楽しい場所じゃないからだ。楽しくないから、必死になって楽しそうなモノを探しているだけ。

あの母親にも子供時代があっただろうに、自分が子供の頃にスーパーで感じた退屈な感覚は覚えてないものなのかな?

子供からすれば、親の都合でつまらない場所に連れて来られたにも関わらず、「アレもダメ、コレもダメ」と、自分のやることなすことを順繰りに否定されるのだ。「全ては親が支配している」「自分は何をやってもダメなんだ」という潜在意識を植え付けられかねない状態になっていて、見ていて凄く不愉快だった。

自分が親に言い聞かされてきたことなんかを例に挙げるなら、こんな指導方法が考えられる。

子供にとって 100% 楽しいイベントではないにしろ、自分が食べるモノを選ぶんだとか、生活に必要なモノを買いに行くんだ、とかいう目的意識があると、もう少し、しぶしぶながら付き合うようになる。そして、求められる行動は「食材探し」だったり「荷物持ち」だったりするワケで、何か他に気になるモノがあったからといってむやみに走り出してしまう可能性は減る。

何の説明もなく、何の役割も与えられていない子供は本当に手持ち無沙汰だから、メチャクチャ面白そうだと思っているワケではないが、何となくサッカー台に登ろうとしてみたりして、気を紛らわせているのだ。親が子供を退屈させているのだ。


あの母親は恐らく、自身もああいう注意のされ方で育って来たのだろう。「あれ、何で子供に注意が伝わらないのかな」「どうしたら怒鳴りっぱなしの状態から変えられるかな」っていう気付きすらないまま、一生効果のない怒鳴り散らしを続けるんだろうな。

アレって、世界を自分目線でしか見られない、典型的なバカの症状だから、一生治らないと思う。あの子供は気の毒だけど、あの子もああいう大人に育ってしまうだろうな。

自分が目に付いたモノを、自分の感じたとおりに発言して、相手にもまるっと伝わるモノだと思い込んでいるから、「登らない」「触らない」「走らない」という注意の言葉しか出てこないんだよ。お前が生んだかもしれないが、子供だって自分と意識を共有しているワケではない「他人」だし、ましてや子供はお前の所有物でもないんだ。

一瞬でも子供の目線になって「何でそんなとこ登りたいんだ?」「別に好きでもない看板触って、どういうつもりだろう」なんて考えれば、子供が本当はどういう気持ちか、何を求めているか分かるはずだ。「本当は買い物に付き合うのなんか面倒臭くて嫌だよな」「子供が楽しいモノがないもんな」と気付いたら、次は発想の転換。

「子供には退屈だろうけど、買い物は必要なことだから避けられない」「コレは親目線の一方的な要望ではあるが、子供のイタズラで面倒を起こしてほしくないと、私は思っている (子供はそうは思っていない)」「それでも今だけは、自分の言うことを聞かせたい。結果的に自分の言うことを聞かせた状態にさせるには、子供にどう伝えたらいいか

そうして、子供に買い物の目的を事前説明するとか、役割を与えるとかいう作戦が思い付いて、子供は結果的にイタズラをしなくなる、という流れだ。コレくらいの工夫を最初にしようや。

あの母親はあれだけ長いこと怒鳴り散らしておきながら、「周りの人の迷惑になることは止めなさい」とすら、一度も言わなかった。あの母親の頭の中には「自分」しかいなくて、「子供」も「周りの人」も、存在していないのだろう。あれだけ自分目線で生きてたら、そりゃ他人からの理解なんか得られないよなと。

おまけに子供を注意して早々に店の外に追いやっておきながら、自分は買い物が終わったあとに焼き芋のコーナーで足を止めたりしていたので、あの母親は自分の注意力にも問題があったんだろうな。よくあれで母親になれたよなと思うし、あんな母親の下にいる子供が不憫で可哀想で仕方なかった。

自分の母親がああいうタイプじゃなくて、ちゃんとした親で良かったと思うし、自分は恵まれていたんだなと改めて思う。親目線で見ても、ああいう注意の仕方ってそもそも自分の発想の中にないもん。子供に真意が伝わって言うことを聞いてくれるはずがない。理解不能。


愛する我が子と離れ離れに暮らすようになって、まもなく1年が経つ。日々の生活で我が子がどうしているだろうか。我が子の母親やその親達は、どういう言動を我が子に見せているのか、心配で、気が気でならない。まだ自分の言葉で意思表示が出来ない幼い我が子が、心の中でどんなことを考えているのか。月1回の短時間の面会だけでは、子供の様子も計り知れず、もどかしく、悔しい思いをし続けている。

僕が「自分は恵まれているな」と思えているように、我が子にも「自分は恵まれた育ちをしてきた」と思ってもらいたい。我が子がそう思えるように、僕から与えられるものは全てを与え尽くしたい。

僕の目が届かないところで、酷い目に遭ってはいないだろうか。元妻が僕にしてきたような仕打ちを、我が子にも振りかざしてやいないだろうか。僕の子供にだけは、自己中で無神経な振る舞いで危害を加えないでほしい。そう願ってはいるが、様子がコレ以上見えないので、本当に悔しい。

スーパーで怒鳴り続けられ、「なぜ自分はやることなすこと全部怒られているのだろう?」と不思議な表情を見せていたあの子供が、我が子にはならないでほしい。今の僕には、祈ることしかできない。