「どちらか」以外の選択肢を常に持つ
「A か B のどちらかを選んでください」と言われた時に、
- どちらも選ばない
- どっちも両方選び取る
- 選択肢にない C を自分で見付け出して C だけ手に入れる
といった「隠れ選択肢」が、いつだって存在して、いつだってそれらを選べる、ってことを忘れないようにしたい。
テストで4択問題を出された時に、どの選択肢にも納得できなかったら、「問題が間違っていて、正解はこの中にはないかも」という可能性を考える。実はそれが正しいかもしれない。
自分は A だと思って始めたところ、外野から「B か C のどれかに変更してください、そのままだと損しますよ」なんて注意されたりする。
「あなた間違ってますよ」と言われると、つい視野が狭まって「じゃあ B か C のどっちかを選ばなきゃ…」という風に相手の言うことをすんなり聞いてしまいがちだけど、
- 相手の忠告を無視して A を貫き通すことも
- 「じゃあ A を手放すから、B も C も両方よこせ」と交渉することも
- 「A もそのまま、B も C も全部獲得するぞ!」という道も
こういう選択肢だって、あるんだ。
「そんなことをしたら周りに嫌われるかも」「そんなことをしたらルール違反だと言われる」。そうかもしれない。それでも、だ。
極端な話、法に触れて逮捕される事柄だとしても、最初から相手の言いなりになって考えるのではなく、全ての制限を無視して提示されていない選択肢も考えることって、結構大事なんじゃないかと思う。
- 会社をサボっちゃいけないルールだから、サボらず会社に行く
- 速度超過・駐車違反で免停になるから、やらない
まず普通の生活してたらこういう相手 (ルール) の言いなりで全然良いんだけど、
- 会社を無断欠勤しようとも、
- スピード違反をしてでも早く病院に到着して、
- 駐禁を切られようが構わずクルマを停めて、
- 我が子の誕生に立ち会うという、一生に一度しかない喜びを得られたとしたら。
損失も覚悟で、自分の生み出したルールで生きてみる、っていうのは、実際それを選ぶかどうかはともかくとして、「100% 不可能じゃないよな?」と選択肢の一つに捉えてみる。
その「選択の幅」をちゃんと確認しておくっていうだけでも、意味があると思う。
コレだけ気を付けていても、
他人の気持ちを考えちゃったり、自分の見られ方を気にしたりしちゃうと、ついつい提示された選択肢の中から選ぶしかない、と視野が狭まりがちだ。
だからこそもう一度、こんなことを書いた。
俺達には他の選択肢だってあるんだ。俺達は何だって選べるんだ。