30分単位でしか見積もれない
「見積」といってもシステム開発とかの「見積」とはちょっと違って、日常の話。
例えば、徒歩10分ちょっとの距離にある病院に行く時に、自分は30分前に家を出る、という風に予定を立てている。自分は山手線沿線に住んでいるが、電車で都内のどこかに行く時はどこでも必ず1時間は見積もっている。
実際、「30分もかからず21分で到着した」とか、「45分で着いてしまって、15分待機してた」ということはザラにあるのだが、そうやって待つことはさほど苦ではない。むしろ、時間に1分でも遅れて他人を待たせたり予定が狂ったりすることの方が嫌なので、余裕をもって多めに見積もることそれ自体は、自分としても悪い習慣とはあまり思っていない。
ただ、こういう30分単位の大雑把にしか見積もれないクセというのが、もっとパーソナルな予定にも適用されてしまうことに、少々弊害がある。
例えば、「風呂に入る」とか「洗濯物を干す」とかいう作業。僕は湯船に浸からないので、シャワーを浴びて出てくれば髪を乾かすまで15分かからないし、洗濯物だって干す作業は10分かからない。なのに、「風呂に入るタスクをこなすから30分」「洗濯物を干すタスクをこなして30分」という風に見積もってしまうので、「コレだけで合計1時間もかかるのかー大変だなー、風呂サボりたいなー」とか考えてしまったりするのだ。いやいや、両方やっても30分はかからんて。w
分かっちゃいるのだが、この大雑把な見積グセが抜けず、「30分もかかるなら、最初から着手せず止めておこうかな」みたいに億劫に感じてしまう要因になっている気がする。
しかも厄介なのが、この「30分区切りルール」を、時刻の0分・30分に合わせて見積もろうとしてるフシがある。現在が1時48分の場合、「あと12分はキリが悪いから飛ばして…」「2時ちょうどから風呂に入って30分使う」「2時30分から洗濯物を干して30分使う…」みたいに見積もってしまうのだ。多分、1時48分から2時ちょうどまでの12分間でどっちかこなせる。w
大雑把に見積もると、電車が遅延したりしても遅刻は絶対しないし、他人に迷惑をかけない。自分の精神衛生上もゆとりができるし、時計を細かく見ずとも過ごせる。そういう側面では良いこと。
しかし、「2時ちょうどまでキリが悪いから12分は捨てて…」みたいな発想とか、「洗濯物を干すのに30分はかかる、大変なタスクだな」とかいう考え方とかって、自分の腰を重くしてやるべきことをやらない言い訳に繋げてしまっている感がある。ホントはもっと余暇が生み出せるかもしれないのに、謎に捨ててる12分間とかあってバカげている。
もっと時計を細かく見て、「このタスクは7分でできる、今やっちゃおう」と考えてみたりしたい。出掛ける時も「実際あの病院まではドア・ツー・ドアで21分で着くから、30分じゃなくて25分あれば余裕だよな」というように、もう少し見積精度を上げたい。
…っていう話。誰得の話題。w