「唯一の正解」などなく「その時点で自分が思うベター」を選択するしかない

学校の教科書で勉強してきたような「どんな場面にでも当てはまる唯一の正解」って、大人になると本当に少なくなっていく。「自分はどう生きるべきか」「誰と付き合うべきか」「今から留学したいと思うのは間違いなのか」「どういう仕事に就くのが良いか」こうした問題に対しては、単一の正解など存在しない。

なぜ正解が存在しないかは簡単で、人によって前提条件が異なるから、好みや価値観・優先順位が異なるから、などと説明できる。他の人が幸せそうにしている環境をそっくりそのまま真似しても、自分が満足できるとは限らない。「お金さえあれば激務でも健全に頑張れる」人もいれば、「いくらお金がもらえたとしても劣悪な環境には耐えられない」という人もいる。

順序立てて考えれば分かっているはずなのに、それでもついつい「『正解』はどれか」と考えてしまいがちである。学校で「正解を選ぶ」行為に慣れすぎたこともあるし、わざわざ「間違えたくはない」「失敗したくない」から、慎重に調べて「正解」を探そうとしてしまう。


しかし、「正解」は存在しないので、「『正解』はどこにあるんだ」という考え方だと、いつまでも結論が出せない。

そこにあるのは、その時点で、自分にとってよりベターだと思う選択肢でしかない。

周りの100人が同意しなくても、自分が良いと思えば、それが「今のあなたにとっての正解」といえる。その結果、周りの人達の予見どおり大失敗に終わったとしても、だ。失敗した後だったら、もしかしたら同じ選択肢は二度と選ばないかもしれない。でも、その時点でのあなたは「それでも自分はコチラが良い」と思ったのだから、それが「正解」なのだ。その時点で「コレが良いだろう」と思った理屈と、その先を見る力がなかったことは、実はあまり関係ない。

どの選択肢も、全ての問題が綺麗サッパリ解決する完璧なモノなど存在しない。あちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフは何かしらあるモノだ。だから、最初から全ては手に入らないことを受け入れて、より重視したいモノを選び、その選択肢では得られないモノについては諦める、という思考を持たないといけない。正解など存在しないのに正解を探そうとしているような「楽を選びたがる人間」如きに満足な不労所得など得られないモノだ。


後になってみれば、それがイマイチな選択だったと思うこともあるかもしれない。その考え方の変化はあって良いことだが、過去の自分の選択は「誤ち」だと断じようがなんだろうが、受け入れるしかない。正解は存在しないので、その選択を自分で受け入れることしか、できないのだ。

この思考は早い内に身に着けておきたい。全てを楽して手に入れることなどできないし、「正解の道筋」などどこにもない。そこにあるのは、「自分で選んだんだから、コレで良かったんだ」と自分を納得させることしかない。だから、選択を他人任せにしてはいけない。自分で、自分の道を選ぶしかないのだから。