「楽しむ」技術

2020年に子供が生まれて、自分の「趣味」というモノがなくなった。子供と過ごす時間が何よりも楽しかったので、自然と「一人で取り組む趣味」というモノからは離れていった。

しかし、現状子供とは離れて暮らしており、自分一人の時間が有り余っている。受験勉強中の鬱憤を晴らすかのごとく昼寝しまくっていた大学時代の「モラトリアムを謳歌している」時とはまた違って、禁固刑で独房に収監されて、労働も集会も規則もなく、ただ一人でずっとそこにいろと言われているような、生きにくさ・苦しさがある。

コロナのリスクはあれど、最近は規制もそれほど厳しくはない。大人だし、多少のお金もあるので、レンタカーを借りて旅行するなど、リスクを軽減して快適に遊ぶ術もないワケではない。

自分の中で問題になっているのは、どの活動も楽しそうに感じない点なのだ。

今回は、そんな自分の課題感を自分なりに深堀りして、「楽しい生活」を獲得できないか、もがいてみる。


子供の頃は、ミニ四駆、ポケモンカード、N64 の対戦ゲームに GB の通信対戦、友達とのキャッチボール、ザリガニ釣り、夕方のテレビアニメや金曜ロードショーなんかが毎日楽しかった。ミニ四駆のパーツ集めやマシン製作には熱中したし、ポケモンカード収集も楽しかった。コロコロコミックを毎月血眼で読んでゲームの最新情報を追っていた。普段あんまりやらなくても、友達に誘われればキャッチボールの遠投にハマり、ザリガニが上手く釣れなければ暗くなるまで躍起になったものだった。父と一緒に近所のレンタルビデオ屋に行くのが楽しくて、ジャッキー・チェンの映画を借りて見ては、真似して段差という段差から飛び降り、カンフーと称しては弟を殴りつけて遊んでいた。w

中学前後で本格的にパソコンに触れ、アニメーション GIF や Flash アニメの作成を始め、ホームページ運営を開始する。ゲームの攻略コンテンツを毎日拡充させるのに熱心だった。「ゲームとパソコンは18時まで」という家庭ルールがあったので、学校が終わると急いで帰宅し、ゲームとパソコンの時間配分を決めて、ゲームプレイとコンテンツ執筆を大急ぎでやっていた。それが楽しかった。「ポケ熱同盟」の掲示板やチャットで話すのも楽しかったし、数は少ないが自分のサイトにコメントを貰えるとそれが嬉しかった。

中学で転校を経験したことは自分を内向的にした要因の一つかもしれないが、それでも同時期に KJER 氏の「StreetTrickz.com」を見付け、XMA、Tricking、Parkour、Free-Running に傾倒した。手の指を捻挫して2ヶ月ほどギプス生活だったこともあったが、フリーランニング熱は冷めず、動画を撮影しながらトリッキングを練習していた。

高校に入るとエレキギターを本格的に始めた。知っている曲をコピーできると嬉しかった。コレも「弾いてみた」動画を撮影・編集・公開するのが楽しかった。Jackass にハマってからは友人らと真似事をして、半分「迷惑系 YouTuber」の先駆けみたいなことをして遊んでいた。

高3から大学受験のための勉強を本格的に始めた。成績は伸びなかったが、勉強、考えることがより楽しくなった。mixi 日記で政治についていっちょかみしてみたり、社会問題に物申したりしてる痛い高校生だったが、脳のキャパが広がっていく感覚は楽しく感じていた。

…大学に合格すると、受験勉強の熱は覚め、この頃から「何かに熱中する」ことが少なくなった。軽音楽サークルに入ったが、高校でやってきたことと変化を感じず、ギターがそんなに楽しく感じられない。授業で新たに知る情報が少なく、勉強への熱が入らなかった。いち大学生が政治に文句言っても世界は変わらないと思うと考えるのを止めた。マンガやアニメを漁りまくっていたが、どれもどこかで見たようなストーリーに感じてしまい次第に飽きた。周りと話を合わせるために「消化」するだけになった。

会社に入り、SE 職になってからは、案外仕事で覚える技術的なことが楽しかった。汗水流して仕事をやる気概はなかったが、そのやる気の無さが逆に良い結果を生んだ。色んな知識を身につけると業務が効率化できる。短い時間で周りよりも成果が出せる。そう思うとプログラミングもマネジメント系のことも楽しかった。前職の社風から、より新しい技術に触れるには転職しかないかなぁと思い、技術ブログを始めつつ転職活動開始。ブログもアドセンスで収益が出るようになり、「技術ブログを書くこと」が趣味・兼・ちょっとした小遣い稼ぎになり、お金を生む趣味なんて一石二鳥じゃないか~と思った。

転職してしばらくは新しい技術が楽しかったが、アプリからインフラ領域まで一人で開発させられた案件を経験して、「あれ、全部できた。」と思ったら、次第に熱が冷めてしまった。大抵のシステムは CRUD ができればよく、プログラミング言語や技術スタックの違いは些細なモノに感じ始めた。周囲の人達よりはどの言語・技術領域でも柔軟に学習・対応できたし、もう自分に出来なくて困ることがなくなった気がした。人を動かす難しさについても、「コレだけやって動かないならそいつらに問題がある」というところまでやり尽くして、結局はまっとうな知識を身に着けた人材が揃えられるかどうかじゃねえか、現場教育とか言ってんじゃねえ、と思い燃え尽きた。

ブログ執筆は小銭を生むので、飽きがきても意地で続けていたが、子供が生まれるのをきっかけに、子供に時間を使えるようにしたいと思ってフェードアウトさせていった (3つのはてなブログで運営していた記事をこのサイトに統合した)。コレはなにも、子供のために自分の趣味を我慢したとかいうワケではない。子供が生まれたらもう自然と子供のことしか考えられなくなって、趣味のパソコンやら何やらが出来なくなることなんて、なんとも思わなかった。「子供といること」が趣味になった感じだ。

…そして。子供と離れて暮らすようになり、「子供といること」は月1回しか出来なくなった。将来、子供が見てくれたら嬉しいなという思いで、色んなことをやってみた動画を作って YouTube に載せたりはしているが、本当は「子供といること」をやりたいので、なかなかやっぱり、寂しさが強い。目の前で子供の反応が見えるワケでもなく、子供抜きに俺個人が楽しいだけなのでは?みたいなことを考えてしまうと、何をするのが良いのだろうか、と変に考えてしまう。


こんな経緯・そして現状で、今の生活が楽しくないので、今の生活を楽しくしたい、という思いから、新たにハマれそうな趣味、楽しみを探しているのだが、コレが見つからず困っている。

大学あたりから感じ始めていた、「消費系」の趣味への諦観めいたモノが拭えない。特に映画はその辺の人達よりも多く、深く見てきたと思うので、アニメやマンガのプロットを見ても「あぁ、あの映画とそっくりだね」とか、「それって『七人の侍』じゃん?」みたいな気持ちになると、劣化コピーのように見えてしまってもう楽しくないのだ。自分にとってはもう身になるようなモノもないし、笑える部分もないので、いらねーか、っていう。

Netflix やアマプラも大体見尽くした。現状は2時間映画を見る集中力も持続せず、多少気になる程度の映画を見付けても見る気になれない。

ゲームも元々、「練習して精度を上げる」みたいな行為は興味がなくて、チート使って俺ツエーするのが好きなので、GTA をたまにやれば気が済んでしまう。

音楽も新しい若い世代の音楽がなかなか好きになれず、幅が広がらない。選り好みせず、変な事前情報も入れず、ランダム再生で耳には入れるのだが、聴いているそばから浅く感じて、「ジャミロクワイみたいだね」と思うと冷めてしまうのだ。

ギターや演奏することに関しても、上達の見込みがなく、目標がないのでハマらない。ギターやエフェクターの収集もやり尽くした感があり、もう欲しいモノもない。


フリーランニングやトランポリンはまたやりたいと思っているが、大人になって公園で一人で暴れているのはすぐさま通報案件だろう。体力・筋力の衰えから、「一人で怪我したらどうしよう…」と思うとなかなかハードなことはやりづらい。中学当時は必ず弟や友人を引き連れて取り組んでいたので、怪我をしても最悪助けてくれる人が周りにいる状態だったが、なかなかそういう仲間ももう作れないので、一人で活動することへのリスク対策ができないと厳しい。孤独で寂しいとかは思わないが、怪我した時の救助が得られない、みたいな現実的なところが心配になる年齢だ。

小さい頃は親に連れられて日本中を旅行していた。家族旅行は楽しかったが、今この年齢で、自分がどこかに行って楽しいのだろうか。インスタ映えするスポットで自撮りしても何も感じないし、食にも興味がない。子供時代に滅茶苦茶旅行したので、なんならもう見たい景色とかほとんどない。行き尽くしてる気がする。w

海外旅行は行きたいけど、現状はコロナのために海外渡航の難度が高い。そしてコレもまた、「海外で一人」という点へのリスク対策が難しそうで、どうしたものかと思う。


それぞれの障壁を乗り越えてでもやりたいと思うような熱意がそもそもない。やらなくたっていいこと、やる必要のないこと、と思ってしまっているから、なかなか熱が入らない。今を生きるのにどれも「必要」なことではない、と思ってしまい、自分でつまらないモノにしている。その自覚はあるが、それを振り払えない。

いっそ「何もしない」で良いんじゃないか、とも思ったが、ココ数ヶ月何もしなかった結果、退屈で仕方ない。「FIRE で早期退職で余暇を楽しむ!」みたいなこと言う人達多いけど、「やるべきこと」がゼロになった世界って2ヶ月でしんどくなったぞ。「何もしない」という最高の贅沢すら、2ヶ月で飽きた。多少辛くても「仕事」を「やらされる」、やらないと生活できない、っていうモノがないと、楽しいことだけで生きようとするのキツいぜ、って思った。仕事嫌いな自分に、まさかこんな心境の変化があるとは思わなかった。

子供の頃ハマってたことに、「目的」とか「必要性」とかって考えなかったと思うんだけど、やっぱりどうしても「コレは子供のためになることだろうか」とか「やった結果、自分にメリットのあることだろうか」とかいうことを考えてしまい、その効果がゼロか、極めて薄いモノだと、「じゃあわざわざハマらなくてもいいや」と思ってしまう。

コレは全て仮の話だが、もし日本で麻薬や覚醒剤が解禁されたとして、それを摂取するとメッチャ気分が良くなって楽しくなれたとして、それを俺がやっても子供にとって良いことってないよね、と思ったり、効果が切れた後の副作用が酷いなら自分にとっての費用対効果が悪いよね、と思ったりするので、たぶんそんなモノには手をつけないと思う。

今の自分にとっての「趣味・楽しみの選び方の基準」というのは、そういうところになっているようだ。

過去に熱中した趣味について、それなりに行き着くところまでやり込んでしまっているので、それらの趣味を再開する余地もあまりない。それらを再開して楽しめる効能にも想像がついている。

変な話、お笑い芸人や落語家さんのネタを見てる時も、「あーそのフリだとオチが読めちゃうなぁ」みたいな評価する目線で見てしまったりとか、「この台本考えるの大変だったろうなぁ」とか舞台裏での職業的な苦労を想像してしまって、素直に笑えなくなっているぐらいまである。対象のコンテンツの良し悪しとかじゃなくて、完全にコチラの捉え方に問題があるのは分かっているんだが、そんな自分を自覚したところでそう簡単には直せないのだ。


想像がつかないような楽しさって、大人になるとなかなか転がってはいないね。「楽しさ」の方から勝手に自分のところにやってきてくれるワケじゃない。

もしかしたら、小さい頃は受動的に楽しさがやってくると思っていたが、実はそれでもかなり能動的に「楽しさ」を自分で作り出していたのだろうか?とも思う。

幼稚園や小学校の頃、普段はあまり友達と集まってドッジボールをしたりするタイプではなく、一人で遊具で遊ぶのが好きだった。その時、自分の脳内では、昨夜見たジャッキー・チェンの映画の設定を盛り込んで、ジャングルジムは香港のシティバスになっていて、ブランコはインディ・ジョーンズばりのトラップに模して避けて進み、ちょっとした段差から飛び降りる時は大爆発とともに海へと飛び込むクライマックスのシーンに見立てていた。たかだか15分程度の中休みだったと思うが、僕の中では校庭は毎日色んなアクション映画の舞台になっていた。

それって、自分では意識してはいなかったけど、目の前の遊具を別のモノに見立てて遊ぶ、という能動的な行為が挟まっていて、「楽しみ」を自分で生み出していたってことになるのかな、とも思う。

そういう、見方を変えるとか、捉え方を工夫する、といった労力が自然にかけられていたのが、大人になって難しいモノになったのかもしれない。


誰かへの「憧れ」というモノも、大人になってからなくなったと思う。

小さい頃は、友達がやっている面白そうなモノに惹かれて真似して始めたり、映画俳優やミュージシャンに憧れて何かを始めたりしていたと思う。「あの人のようになりたい」「あの人に近づきたい」みたいな憧れがあるからこそそれをやる、という「目的意識」にもすり替えられるので、いま誰にも憧れていないことが問題なのかもしれない。

前職では憧れの上司がいた。あの人の仕事の仕方は素晴らしいなぁ、ああいう風になれたらいいなと思っていた。現職にはいない。目の前の観測範囲に憧れる対象が全くないと、ホント生きる道筋が見えなくなる感じがある。


コレまでの趣味はたまたま、分かりやすく「寝ても覚めてもそれにばかり熱中する」趣味が多かったけど、大人になったらそればかりが趣味でもないのかもしれない。

「週末に行きつけのカフェに行く」とか、「半年に一回旅行する」とか、そういう、毎日のように取り組まなくても良い趣味というか、たまーにやる程度で十分なモノ、それも大きな刺激や目新しさがなくても、趣味にできたりするかもしれない。今のところ、自分にはそういう「ゆるい趣味」がない感じがしていて、「毎日何かをやらねば!!」「やるなら強烈に刺激的なモノでなきゃ!!」みたいな気分が強いので、その気持ちの切り替えに苦しんでいる。


だんだん考えすぎて、「目新しくて死ぬほど楽しいモノじゃないといけない」みたいな考え方し始めている気がするし、柱は何本か立てといた方が良いだろうとも思うので、「ちょっと楽しいね」っていうモノを何個か持てるようになるのが良いのだろうな。それが落ち着いた大人の嗜みなんだろうなぁ。そうじゃないと、毎回パラシュートなしでスカイダイビングするような行為じゃないと楽しさを感じなくなりそうだし、変なとこで死にそう。w

今までが楽し過ぎた。家族や皆のおかげで楽しい思いをし尽くした。やりたいことは全部できたと感じている。ホントに子供の成長を見守るぐらいしか「やり残したこと」はないのだが、出がらしのような余生を送るには先が長すぎて腐っちゃいそうなので、もう少し何かテコ入れしたいのよね。

こんな趣味はどうですか、とか、私はこういうことで楽しんでいます、とかあったら、ぜひ教えてください。