そういえば嫉妬したことないかも

ふと「嫉妬」という感情を考えていた。「はぁ~~あの人は良いなぁ~、それに比べて私は…」みたいな、羨望と同時に劣等感を抱き、ともすれば怒りも混じると思われる、そういうネガティブな感情。

辞書的には次のような記述になっている。

嫉妬(しっと)とは、自分より他人の方が優れている、あるいは自分より他人の方に愛情が向けられている、といった認識に伴って生じるネガティブな感情のことである。一般的には、羨望と憎悪が含まれる攻撃的な感情と捉えられる。

幼い頃、弟が生まれた時に「両親を取られた」ように感じて、当時はもしかしたら嫉妬していたのかもしれない。だがもうよく思い出せない。「兄なんだから我慢しなさい」とかそういうことは言われたことがなく、弟がいるせいで我慢させられるような経験はほとんどなかったと思う。両親が最大限配慮してくれているのは幼心にも分かっていたし、妬んだりして自分を主張するようなことはあんまりしなかったんじゃないかと思う。もししてたらスンマセン、完全に忘れてます。w

あとは恋愛経験の少ない学生時代、彼女に対して「独占欲」や「支配欲」が湧くことはあった。男友達と夜中まで遊んだとか聞くと幻滅していて、情けない男だったと思う。しばらくして「他人を自分のモノにするなんて不可能だしおかしいことだ」と思うようになってからは落ち着いたし、今となっては何もかもどうでもいい。この当時の独占欲や支配欲というモノが「嫉妬の一種」なのであるならば、自分は嫉妬したことがあるってことなんだろうけど、個人的にはちょっと感覚が違う気がしている。

当時抱いていた感覚は「コレは俺が買った高級品なんだから、誰も触るな!」「世界が俺の都合の良いように動け!」みたいな感覚に近くて、「浮気してるんじゃないかムキー!!」みたいな感じとはまた違った。純粋に友達なのか浮気なのかとか関係ないし見てなかったと思う。自分のことばかりに必死で、人を人と思えていなかった、ってことかもしれない。昔からそういう傾向はあった気がして、子供が生まれてやっと、人を大事に思う気持ちを実感した感覚があるので、ちょっと変なんだろうな、自分。

小学校ぐらいの頃は、背が高くて勉強ができて足が速くてイケメンなクラスメイトを見たりすると「あいつはいいなぁ~~」という憧れみたいなのは抱いたけど、「それに比べて自分は…」みたいな落ち込み方はしたことがなかったので、素直に羨望だけだったと思う。上には上がいて自分が一番にはなれなくても、ビリにもならない、「中の上」ぐらいをいつも保っていたから、そんなに自分の現状にも不満は抱かなかったのだと思う。自分と他人を比べたからといって相手の地位が下がることもなければ自分の地位も上がらないと幼心に思っていて、比べること自体が無駄だと思っていて、そもそも周りと自分を比較するようなことはしてこなかった気がする。

会社員になってからも、自分の仕事に関しては割とそつなくこなせてきたから、周りと自分を比べて焦ったり、「あんな風になりたいな~悔しい!」みたいな感覚も抱いたことがない。自分より長生きしてるにも関わらず思考が浅くてやることなすこと全部ズレてて間違ったことしかしないのにそいつの中では自信満々のバカを見てイライラしたり、そういう人間に迷惑をかけられるのが我慢できなくて喧嘩したりということはあれど、全て「自分より下の人間が鬱陶しい」だけで、自分より上を行く人達に対して何とも思ったことないんだよなぁ。

大学受験あたりから徐々にだけど、自分が無償でも苦なく出来ること、大金を積まれても出来ないこと、というのがハッキリしてきて、どこぞの社長や芸能人みたいに毎日バリバリ仕事して金持ちになって高級車を買いたい、みたいな、ああいう生き方は俺には出来ないし、やれと言われても無理だよな、と思っている。そうすると、「あの芸能人は金持ちで良いなぁ~あんな風になりたいな~、それに比べて自分は貧乏で…」などとは思わなくて、資産の差で嫉妬するとかいう発想がそもそも起きない。だって俺は、たとえ周りの機会に恵まれてタレントになれたりしても、あれだけの才能やバイタリティがないので続けられないと思うからだ。「顔がもうちょっと良ければ俳優にでもなってただろうな~」とか思うこともなくて、「いやいや、もし自分の顔が西島秀俊でも、俺に俳優なんて無理無理」としか思わない。そうすると嫉妬とかいう感情は起こりようがない。

今の自分にないモノを他人が持っているからといって、その差を比べたからといって、何も変わらない。全てにおいて自分の上位互換になる人物が他にいたとしても、自分が今ココで生きていることは何の関係もない。(同じ仕事をしていたらポジションを奪われるようなことは起こるかもしれないけど、) 上位互換の人間にまるっと自分が乗っ取られるワケでもないし。その逆も同じで、自分が他人より優位に立っても、その人そのものになれたりするワケでもないし、そんなこと望まない。イケメン俳優とかに憧れたりすることはあっても、その俳優さんそのものになれることはないし、いくら近付けて寄せようとしても自分は自分なので、比べるモンじゃないというか。

嫉妬すれば自分ものし上がれて金持ちにでもなれるっていうならいくらでも嫉妬するけど、そんなことないしね~。

…この考え方は、祖父がいつぞや言っていた「『疲れた~』って口に出したところで、疲れが取れたりしないだろう?」っていう考えに似ている気がする。「『疲れた~』って言っても疲れは取れないし、それを聞かされた周りが嫌な気持ちになるだけだから、別に言わない、それだけだ」っていう。自分の利益にならないことは感情的に行わないし、周りにとってのセカンドハンド・ストレスのことまで考えていた祖父は偉いと思う。

嫉妬って考えようによってはポジティブな感情かなとも思っていて、「あいつは良いなぁ~~!」っていう前半部分は羨望の感情であり、自分もああなりたいというモチベーションに繋がりそうな感情である。嫉妬もなければ (家族以外に) 尊敬できる人もいなくて、「アイツは馬鹿だなー二度と俺に話しかけんじゃねえよ存在そのものが害悪で迷惑なんだわバーカ」と下級民族にイラついているだけの、生産性のない自分の性格からすると、多少嫉妬みたいな感情も持ってみたい。「あんな風になりてぇなぁ~」なんて、ジャッキー・チェンの映画を見て憧れていた頃から抱いたことない気がする。夢がないなぁ。

嫉妬をこじらせて、相手を引きずり降ろそう、みたいなネガティブな方向にエネルギーが働くと全くもって無駄で、自分の立場は何しても落ちていくだけだから、そうではなくて、もっとポジティブに、「憧れ」「目標の人物」「夢」に近いような感覚を、また抱いてみたい。