「え~?Neo~、どうしたー?」

ふと思い出した、自分の諦観と希望の話。


僕は中3の時に転校を経験したのだが、転校直後に肺炎にかかって入院し、体育の授業に1度も出られなかった。それによって、自分の得意な水泳の授業を落として内申点に最低の「1」を付けられてしまった。

内申点が悪いと、そもそも受験可能な高校のランクも落ちて、本来行きたかった、そして内申点が伴っていれば行けたであろう高校の、2・3ランク下の高校に通うことになった。まぁ中学の時から塾に通ってはいたけど、成績が良い方ではなかったので、それも怪しいのだがw。だから「あの時あの高校に行けていれば…!」みたいな後悔とかは抱いたことがない。

ともかく、偏差値の低い底辺高校に入ると、校内では、勉強していなくてもそこそこ良い成績が付いた。そこでも「1番」にはなれていなかったことの重みに気付いておくべきだったが、自分は「まぁ何とかなるんだな」なんて変に楽観視していた。

高3になって、大学受験のための勉強を本格的に始める。本当はこの時点から勉強を始めたのでは遅いのだが、それに気が付くのはしばらく先のことだった。「日東駒専は滑り止めで、MARCH は狙えるよなー、ま、最低でも法政あたりかな?」なんて呑気に構えていて、定期模試では徐々に成績が上がっていっていたために、「順調に伸びている、コレなら行けるやろ~」なんて勘違いしていた。

しかし高3の11月過ぎ。ロクに勉強しておらずセンター試験もまだだというのに、何故かこの頃には燃え尽きていた。どうも勉強したことが定着しない。点数が伸びない。やる気が起きない。そんな状態でセンター試験を受けて、世界史の点数がボロボロだったので諦めムードに入った。細かい点数はもう忘れてしまったが、5割ちょいしか正解してなかったと思う。センター試験でこのレベルじゃ、日東駒専も無理だろう。

そして前期試験。明治大学の受験の時に、ほとんどの問題が何を言っているのか分からず、そこで「浪人」という文字に頭を殴られたのを覚えている。あぁ、自分は1年間頑張ってもこの程度なんだ。というかたった1年間だけでも頑張りきれないヤツなんだ。そう思った。

結局、大学は「日東駒専」よりも下の大学に合格し、滑り止めの大学は合格証書が2通届いた。浪人はしなかったし、滑り止めの大学の一つ上に位置する大学には合格したが、まぁ少なくとも当時、世間的に知られる偏差値でいえば「F ラン」と表現しても差し支えない大学だった。


底辺高校だったので、大学受験の勉強なんかをやっているクラスメイトはほとんどいなかった。多くは短大か専門学校か、自分の名前が書ければ合格できる程度の私立大学の合格が早々に決まっていて、彼らは遊び呆けていた。

進学する大学が確定して、それを高校に報告しに行った時だったかと思う。自分と同じ軽音楽部にいた、ドラムをやっているイケメンなクラスメイトがたまたま居合わせた。彼も受験組で、大学が決まったようである。

彼の名誉のためにも言っておくが、彼は嫌味なワケでもなく、自慢気でも攻撃的でもなかった。(自分で言うのはアレだが、) なんなら受験勉強に取り組んでいる僕の姿勢を評価してくれていたぐらいの様子だった。だから、「え~?Neo~、どうしたー?」という発言は、彼が心から意外に思って驚いての発言だったように聞こえた。

全く悪気のない、彼の「どうしたー?」というその一言が、メチャクチャショックだった。彼を恨むとか、彼に怒りを覚えるとかいう感覚ではない。彼の言葉を聞いて、「あぁ、俺はどうしたんだろう?」と思い、その直後「あんなに調子こいて余裕ぶってたのに、結局勉強を頑張りきることもできずに F ランじゃないか」と、自分が恥ずかしくなり、落ち込んだ。「精一杯頑張ってもこの程度」という自分の限界が見えた気がして、惨めだった。あと彼は校内の可愛い子と付き合ってて羨ましかった。笑〃

悪意ではなく、嘲笑でもない、自慢するでもなく、なんなら心から心配しているかのような、あの一言で、完全にボッキリと折れてしまった。後期試験は結局受けなかった。


そうして入った F ラン大学での生活はボチボチだった。1・2年の間にサークルでそれなりに遊び、4年までに単位を取り終えて最後の半年くらいは一度も大学に行かなかった。一方で、必須科目のうちの1科目で2度も単位を落とし、結局その科目以外の単位を取ることで卒業した。勉強はやっぱりイマイチ出来なかった。興味はあるし勉強自体も嫌じゃないのに、成績となると芳しくなかった。彼女もできたが短期間で別れたり大喧嘩したりして荒れてもいた。サークルは2年の後半で楽しくなくなり、それからは一人で授業だけ受けてさっさと帰ってバイトしていた。

大学生の間に「やり残したこと」は自分的にはないのだけど、「大学生がよくやる遊び方」を楽しく感じなくて、こんなことするぐらいなら何もしない方がマシだなと思って、家で寝てる時間の方が長かった。不満や後悔はないけど、人によってはこんな大学生活を送る僕を「虚しい」と思うかもしれない。そうなのかもしれないなーと思うけど、でも飲み会とか知り合いとつるむのとか全然楽しくなかった。

会社員になり、15歳くらい上の人たちに囲まれて仕事をしてみると、良い面・悪い面どちらも学ぶことが多くて楽しかった。年上の人達が若い自分に気を使ってくれていたから自分が過ごしやすかっただけなのかもしれないが、一応自分だけが上手くやれる「強み」を持っていたし、自分だけが事前に気付いてトラブルを回避できたり障害を直したりして、ベテラン勢に囲まれた中ではそこそこの成果を出せたんじゃないかと思う。

そのうち技術面の興味が強くなり、もっとモダンな技術を使って開発したいと思って転職したが、「尊敬できる人」というと前職にしかいなかったなぁ、現職には尊敬できる人なんて一人もいないなぁという感じ。過去記事でも何度か書いてるけど、「モダンな技術も自由に使える会社」というのは、「マネージャ層が全く管理をしていないから部下が好き勝手できているだけ」であり、部下の個人的な興味とモチベーションのみに頼っていてちっとも統制が取れていなかった。だから江戸っ子思考の自己中が多くて、それが間違っていたり愚策だったりしても、大きな声を出し続けている人の意見が通ってしまう、そして案の定大失敗して周りに大迷惑をかける人達が多くて、ウンザリしている。こんなに自己中で俯瞰視点がない社員しかいないのに、それでも会社は何とか回るモンなんだなーと思うほどだ。かといって今さら、自分があえて「キチンとしない」「ミスを誘発しそうな選択をする」「自分が面白そうだと思ったからという理由だけで他人を巻き込んでまでハイリスクなことをする」というような行動は選べそうにない。だって愚かだもん。こいつらみたいになりたくねえもん。


会社員になってから今年で9年目。「あんなに勉強頑張ってたのにー、どうしたー?」という一言に、得も言われぬショックとトラウマを抱えた18歳の春のあの日も、もう14年くらい前の話になる。

18歳が14年前、ということで、超大雑把に「だいたい人生の半分」という見方をさせてもらうが、今現在から見て「人生の約半分の地点」で「どうしたー?」と言われ、それまでの自分の人生がココで限界を迎えた、そんな諦観に襲われていた。それからまた、生まれた時からと同じくらいの年月を経て現在に至って思うのは、「人生割となんとかなっているし、希望も消えない」ってことかな。

近年の私生活では子供に恵まれるも離婚し、子供と離れ離れで一人暮らししている。鬱になってしばらく休職したりもしていたが、子供と離れることを決断した時のどん底感と比べたら、今は割とストレスから解放されている方で、落ち込んだりはしていない。仕事上でホームラン級のバカにイラだったりはするが、そのくらいなモンで、自分の能力的にはボチボチ何とかなっている。

…余裕ぶっていた高校3年の頃と同じことを言っている?「どうしたー?」と言われて砕け散ったというのに、また世間を舐めていて自分は「中の上」にいるとでも思っている?「バカどもが、俺はコイツらとは違うんだ」と思って勘違いしている?

そうかもしれない。

だが、コレが思い上がりでも勘違いでも、また再びそう思えるようになるぐらいには、実際に成長し克服してこれたこともあったんだと思っている。


会社員になってから、自分の大学名や高校名なんて話題に挙がったことはないし、出身大学によって仕事や人間関係に影響が出ることなんか全くなかった。文系か理系かすら気にされず、ふとしたタイミングで経済学部だと分かると「てっきり理系だと思ってましたー!」なんて言われたりする。いざ相手の大学名を聞いたら早稲田だったりして全然勉強できるんじゃん!と思いきや仕事ではそいつがミスしまくっていて「僕エンジニア向いてないかもしれないっす…」とか言ってたりする。大学のランクと仕事での成果なんて、そんなに関係ないんだと思った。

よくよく考えてみたらそりゃそうだよな。「定年までの約40年間の会社員生活」に対して、「18歳時点の実力で決定し、4年間通った大学」がどれほど影響するというのか。F ラン大学だったけどそこで学んだことが仕事に活きた経験もあるし、WJK ランクに進学していながらこの仕事はてんでダメなヤツもいたりする。良い大学に行く必要がない、とは全く思わないが、良い大学に行けば良い会社でバリバリやれるというワケでもないし、F ランでもボチボチ尊敬されるくらいには仕事が出来たりする場合もあって、出身大学じゃ人生決まらないな、というのが希望の持てるところかな。

受験勉強では点数が取れなかった世界史。多分今でもテストを受けたら酷い点数だとは思うが、大学を出てしまうと本当に「試験」なんて受ける機会がなくなる。資格はともかく、「世界史のテスト」なんかもう二度と受けることなどないだろう。でも、この歳になってから世界史の教科書を読み直したり、YouTube で講師の動画を見たりすると、あの時全然分かっていなかったことが面白いくらいに理解できて、「なるほどそういうことだったのか!」と楽しくて仕方がない。

歴史を勉強すると現代社会や政治での出来事にも共通点が見えてくるし、何か大きなニュースが出てきても惑わされなくなる。「学校の勉強が何の役に立つのか?」なんてセリフはよく聞くけど、今の僕が大人としてそれなりに自立・自律した生活を送れているのは、世界史を通じて文化や疫病や科学の発展や宗教と政治の関係や地理や戦争に至る経緯なんかを学んだからであって、メッチャ役に立ってるよ。

国語なんて当然、必要な科目だ。ホワイトカラーの人間は言語化・文章化ができないと何の価値も生み出さないし、人の話を聞くのに必要なのは「傾聴力」とか「マナー」とかそんな表面的なモンじゃなくて、「相手の言ったことだけを受け止めて、自分の解釈を勝手に混ぜたりしない」という、国語的な読解力が必要なんだ。大学のランクでこれらの能力が確定して以降変動しないのだとしたら、自分は何も聞けず何も言えないままだろうけど、会社に入ってからもこの能力は成長させられるし、一方でこの能力が衰えていって老害化している年上陣もよくいる。

英語も、不思議なもんで別言語を学ぶと「日本語力」も伸びる。英語の歌を聞けるようになれば趣味の幅も広がるし、発音が拙くてもとりあえず喋れれば、海外旅行ぐらい頑張って行ってみるか、と思えたりもする。エンジニア的には英語が読み書きできないと知識量も増えず、知恵も広がらず、アーキテクチャを考える力や設計力も伸びないようなので (不思議なもんでそういう傾向は自分の周りで明らかに見て取れる)、英語はクッソ大事。

こうした「学校でいう教科」に落とし込んで、「テストで点数を取る」ことに執着していると、なかなかその物事の本質を学べない。「どうしたー?」と言われたあの時の自分が見た「限界」は、そういう限界だったんだと思う。僕は「ガッコのべんきょ」が出来るようには、対外的には見えない学生だったというワケだ。

でもそれは、「それからも一生、何も学べない」「何の知識も定着していない」というワケではなくて、会社員になってからも、生まれたての子供の相手をしている日々の中でも、「学び」というのはたくさんあって、それらが自分の考えや生活を豊かにする。「自分はココまでなのか」「ココで一巻の終わりなのか」と思っても、そこからでもまた学び直せるし先に進めるなぁ、と感じたりする。


子供と離れて暮らす決断をした時の絶望感や悔しさは、僕の人生の中でも一番強烈な苦しみだったけど、そんなことがあっても俺はまだ生きているし、我が子も元気に成長している。これから先も色んな酷いことを経験して、世界に絶望して、「俺にはもう先がない」なんて思うんだろうけど、ふと振り返ってみると、何年もずっと同じ場所にいることなんてなくて、いつの間にかあの時絶望していた地点よりも先にいたりする。あの頃からそんなにクリアに将来を思い描いていたワケではないが、今は人生の半分地点で想像していたモノとは良くも悪くも全く違う場所にいて、「コレ以上何も変わらない」「もう自分は一切成長しなくなったんだ」なんて諦観は誤りだったと気付く。

「あぁ、俺、成長してる!」「俺は前に進んでいるぞぉ!」という感覚はあんまりリアルタイムに実感することはないというか、成績が上がっているような光景を目にしても、リアルタイムに感じる「達成感」というのは結構薄い気がする (僕だけなのかな?)。だから日々の些細な変化だけ見ていると「こんなんじゃ全然ダメじゃん」「今日も昨日と変わらない一日を送ってしまった…」なんて思うんだけど、そんなものぐさ野郎でも、1年・2年・3年という単位で見てみると、ちゃんと変化していて、良いことばかりじゃないし嫌なことも大量にあるけど、良いこともちょっとはあって、ちゃんとその積み重ねが自分に返ってきている。

「中3の内申点が悪かくて底辺高校に入った」「受験勉強に失敗して F ラン大学に入った」これらの出来事はクッソ落ち込んだし、その集大成として「どうしたー?」という一言で凹みに凹んだけど、あの時の自分のまま各種能力・ステータスが固定されるワケじゃなくて、「当社比」ではちゃんと伸びている。

「今の会社に尊敬できる人間が一人もいない」「離婚して子供と離れ離れになっている」そんな今現在の出来事も、それぞれの事案は勝手に解決するモノじゃないし、もしも「しーらねっ」とぞんざいに扱ってしまったらそれは成長なんかしなくて不幸に落ちていくだけなんだけど、先が見えないような課題・問題・障壁であっても、日々の行動では成果がないように思えていても、「もっと何とかしたいな」という思いさえ忘れなければ、いつか良い方向に向かう。そう信じているし、そう信じられる。

学歴だけでは人生は決まらなかった、と僕の中では実感しているワケだが、それだって「どうしたー?」というあの言葉にショックを受けた理由をずっと考え続けてきたからだと思う。楽しいと思うことを続け、楽しくないことは無理してやらない、時にそれが周りの大多数と外れた行動でも、自分にとって必要だと思うこと、意味があると思うことにフォーカスして継続していれば、亀の歩みでも、周りに置いていかれているように思うことがあったとしても、ちゃんと先に進む。

そんなワケでまとまりがないことをつらつら書いてきたけど、愛する我が子と離れ離れになったバツイチ独身男が、病気で休職し、復職した直後から社内のバカに迷惑かけられてストレスがぶりかえしている、こんな最低な今日のことも、絶望しきることはなく、いつかなんとかなっているはずだろう、自分に出来ることは続けていこう、俺にならいつかきっとなんとかできる、と、小さいけど確実な希望が不思議とあるんだよなぁ、という話でした。