本サイト開設から20年経った

2002年10月9日に開設した、本サイト Neo's World。2022年10月9日をもって、開設から20周年を迎えた。…のだが、当日はそんなことスッカリ忘れて、PowerShell スクリプトを作ったり YouTube を見たりして過ごしていた。w

10月というのは何となくキリが悪いので、細かい話はまた年末頃にまとめようかなーと思うけど、ココ1年くらいを軽くさらってみようと思う。


2021年は地獄の1年だった。よくあの状況で仕事を有給消化の範囲内で何とかしてたなぁと思う。感情は激しく乱高下するし、モチベーションが湧く瞬間と枯れる瞬間の落差が酷かった。

仕事がどうにも立ち行かなくなり、仕事にまで潰されそうになったので、2022年の頭からはしばらく仕事から離れた。毎日時間だけが有り余っていて、自分一人でやりたいことなんてない、子供と一緒に過ごしたい、とそればかり考えていた。何とかやることを作って頑張れていたのも2月ぐらいまでだった気がする。

薬が合わず、元気になる気配がなかった。当初2ヶ月の予定が3ヶ月、4ヶ月と伸びていった。意欲が沸かず布団から出られない。食ってないのに太る。良い変化が周りで何も起こらないから落ち込む。何も起こらないから仕事でもしたいと思うくらいだが、実際のところ散歩する元気もなかった。他人と接触しなくなって激昂することは減ったが、常にダウナーな、頭がボーッとしている状態が続くようになった。

ようやく仕事に戻ると、やはり自分にとってマイナスな存在の人間に腹が立ち、すぐに激昂するようになった。自分の仕事自体がコレまでよりもさらに全く楽しくなくなっており、今の会社にも期待できる点がないどころか、本当にだらしがなく人をダメにする場所だなという思いで、もう自衛のことしか考えてなかった。クビにされようがどうでもいい、そんな気分になっている。怒鳴り倒して無理を言うとやっとマネージャが配慮するようになったので、配慮してもらっておいてなんだが、「声がデカいヤツに流されてるだけかよ」と思うとさらにゲンナリした。

全て周りのせいに出来たら楽なのだが、自分の状態もちっとも芳しくない。2・3個考えることが並列すると、どれかをすぐ忘れたり、整理がつかなくなったりする。二日間徹夜した状態で仕事をしている時のような、自分では冷静なつもりなんだけど判断力や思考が鈍りまくっている、そういう感覚が毎日続いている。優先順位をつけて「コレは一旦置いておいて、こっちに集中しよう」みたいな切り替えがまるでうまくいかない。

やることが一つに定まり、作業内容が明確であっても、今度は「死ぬほどやりたくない!!今すぐ逃げ出したい!!絶対やりたくない!!」という、意欲低下とかいうレベルじゃねーぞな拒否反応が出てしまい、なかなか仕事が進まない。別に残業を強いられてカツカツの期限で仕事させられてるワケでもないのに、何がこんなに嫌なんだろう?粛々とやったら終わるのに、何で「やりたくない」がコレほど強く出るのだろうか。

初めての人生で、初めての経験ばっかりで、説明がつかない自分の体調に、自分自身でも困惑している。


子供は順調に成長している。保育園でもらってしまうのか、風邪はちょくちょく引いているものの、コロナのような重症には至らず済んでいるようで幸い。

僕のことは未だ父親とは認識しておらず、甘えてはもらえないし、距離は詰められない。悔しくて悲しいけど、これも1年続けてきて、この寂しさにもようやく慣れてきたところがある。慣れたというのは別に嬉しいことじゃない。気が楽になったワケでもない。同じだけのダメージ・傷は毎回負うんだが、それでイチイチ感情をグッチャグチャにかき乱されはしなくなった、黙って痛みを受け入れられるようになってきた、というだけだ。子供との関係は、もう5年・10年かかってもおかしくないと思っている。今すぐ解決できることじゃないし、日々僕がどんな風に生活しているかを月1回の面会でも我が子は見抜いてくるだろうから、僕は心身の健康を取り戻して、子供のためにできることを続けなければならない。

しかし、自分でも引くぐらい体調が悪い。ずーっと意識が朦朧とした感じがする。十分な睡眠時間を取っているが、全く起きられない。目を開けたくない。何もしたくない。時間が有り余ってた時と逆のことを言っている気がする。

そんな状態での仕事ももう3ヶ月くらいやっていて、もうそんなに時が経ったの?という感じ。苦痛ばかりの長い1日、週5日もこれを繰り返すなんてキツすぎる、と思いながら、1ヶ月・2ヶ月という単位はあっという間に過ぎてしまう。何も成し遂げていないのに。「後でやろう」「元気が湧いたらやろうかな」そう思ってるタスクが山積みになっていく。どれも捌く元気がない。

子供に喜んでもらうためにできることを考えたり、用意したりする体力がなく、時間的には余裕が作れそうなのに、体が動かず何も出来ていないのがまた辛い。俺の人生で本当にやりたいことって子供のことだけなんだよなぁ。他のことなんかどうでもいいのになぁ。


2021年は DTM を始めたこともあり、今年は久々にベースを購入した。かつてはそれなりに出来ていたスラップが全く出来ない。しばらくしてギターに持ち替えると、今度はチョーキングが全く持ち上がらない。筋力が落ちまくっていて、すぐ手首が腱鞘炎になる。自分が好きな趣味に振ってみてもすぐやる気がなくなる・出来なくなる。

全然本調子なんて程遠いのに、もう仕事は3ヶ月ほど経つので、徐々に難しい内容が降ってくる。どれにもついて行けない。何となくだが、「周りの人の説明が足りない」のではなく、「周りの人は適切に説明したのだが、自分に理解する能力が欠如している」感じはしている。だいたい俺の能力のせいだ。

仕事に根詰めるというのも出来なくて、でも何かちょっとでも目標を決めてやろう、と思って、最近は GitHub のリポジトリを粗製乱造している。Linguist が認識する言語一覧から、気になるプログラミング言語やフレームワークを片っ端からドッグフーディングして、Hello World 程度をやったら満足することにする、っていうのを繰り返している。ちょっと前に記事にした Lisp 系の言語の素振りなんかもその辺の話で、「一応俺はまだコードを書けている」「新しいことをやろうと思えば何とかできる」ということを確認する役割も果たしている。ブログ記事も、気が向いたら技術系のネタを中心に書いていて、これらは時間がかかっていない割に、何となくやった気にはなれて、満足感は得られる。

しかしこれが仕事となると、本当にやりたくねえんだぁ…。ダメな大人。金が稼げなくてどうすんだよ。


一時期は悪夢もよく見ていたが、ココ最近は比較的楽しい夢、不思議な夢をよく見る。特に「夢の中で別の夢を見ていて、夢の中で目覚めて、今見た『夢の中の夢』の話を誰かに報告する」という、インセプションばりの2階層になった夢を見たりすることが増えた。夢の中でコレが夢だと認識することも多くて、明晰夢とやらなのだろうか。コレが薬のせいなのか何なのかは分からないが、とりあえず楽しい系の夢が見られているので、俺の人生、せめてこのまま夢の中くらい楽しくあってくれ、と思う。

希死念慮というほどでもないが、一瞬にして解決しない問題を複数抱える状態は大変息苦しく、自分にとって不慣れな状況だ。問題を試行錯誤して乗り越えたい、なんていうのは余力がある人のバイタリティの話で、ココまで余力がなくなっていると「全ての物事が勝手に解決するか、さもなければ外的要因の仕方ない理由によってポックリやっちまってくれ」という気分にもなる。

何がそんなに辛いんですか?周りがどんな配慮をして、どんな問題を取り除いたら元気になれますか?と言われても、どうしてこんなに辛いのか自分でも分からないし、何を変えてもらったら元気になれそうか、それも見当がつかない。あとは自分の内面だけの問題だと思うのだが、何をどうしたらいいものか。

厳しいね。