受容するしかない

キューブラー・ロスが提唱した「悲しみの5段階」。マイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」の中で言及されていてその存在を知ったのだが、読んでいる当時はあまり腑に落ちていなかった。そういうものなのかぁ、ぐらいな感じで。

自分も2021年から、実際の人の死ではないものの、自分や我が子の人生に大きく影響を与える選択ということで、物凄く苦しい日々が続いている。「否認と孤立」「怒り」のフェーズは半年くらい続いた。「取引」にあたる試行錯誤も色々とした。本当にもうどうにもならないのか?どうにか変えることはできないか?やっぱりこうしていたらどうだったんだろう?そんなことも考えたが、結局は「僕が泣き寝入り同然で離れる現状の選択」くらいしか妥当な道筋がなく、それ以外となると心中くらいしかなさそうだった。

2022年からは「抑鬱」のフェーズに入った。あぁ、マジの鬱ってコレなんだ、と。部分的に「適応障害」と診断されて、確かにストレス源から離れれば多少の改善がみられるところもあったが、「仕事を休んで好き勝手な生活ができるよ」と言われたところで全く身体が動かせない。「完全に自由な環境」で、アレほど自由さを無価値に感じたことはない。多少の不自由さや制約も必要なんだなぁ、なんて思ってた。

しかし、いざ仕事が再開すると、「不自由さ」で再び苦しむことになった。

半分は外的要因。会社は何も変わってなくて、話の通じない相手ばかりで、そいつらに過剰にイラついてしまう事象は頻発する。誰のためにもならなさそうな仕事に、なぜか厳しい期日が設定されていて、プレッシャーがかかる。マネージャはマネジメントしない。他のプログラマはプログラムもドキュメントもちっとも書けない。何でこんな動物園みたいなところで俺はイライラさせられながら働かなきゃいけないんだろうか、という気分。

もう半分は内的要因。ココ1・2年どころではなくもっと前から感じてきたことだが、仕事に対する飽和感、「今後も本質的には同じような非効率で無駄な作業を繰り返すだけ」という虚無感、自分の意欲全般が低下している点。コレが「抑鬱」フェーズの間に物凄く悪化した。

2016・2017年あたりから体力低下を感じ始めていたが、腰痛や眼痛、頭痛が悪化していったのは「老化」ということなのかもしれない。この言葉で総称して認めるのはまだ早いんじゃないかと思っていたが、今年の落ち込み度合いをいよいよ実感して、あぁ、もう、俺は以前のような生き方ができないと、受け入れないといけないところまで来てるんだと感じ始めている。病状そのものだったり、薬の影響による部分もあるかもしれないが、いずれにせよ、記憶は定着せず、集中力が全く続かず、物事を論理的に整理するのに相当な時間と苦労がかかってしまう。逆に、やるべきことが明確な「単純作業」であっても、物凄く「実行したくない」という拒絶反応が出てしまう。別にそれ自体が難解なワケでも、責任重大なワケでもない。

他の人にはこの疲労感と、頭や体がついてこない悔しさが中々伝わらないかもしれない。どれだけよく寝ても、ちゃんと食事しても、ジョギングや筋トレなんかを続けていても、毎朝起きた瞬間から「一睡もしていない徹夜明け」みたいな感じで、頭がボーッとしている。徹夜明けとか、アルコールを摂取した後なんかに、人の話を聞いてから理解できるまでにワンテンポ遅れが出る、あの感じ。以前の自分なら1日で出来ていたことが、5日やっても6日やっても終わらない。あとどれだけかかるのか尋ねられても、感覚だけは以前の「若いつもり」でいるので、「あと1日で出来ると思うんだけど…なぜ出来ないんだ、俺…?」と自分でも理解できずにいる。このブログ記事自体もそうだと思うのだが、自分の文章が以前よりも酷くとっ散らかっていて、まったく読みづらい文章になっているな、という自覚はある。自分でもしばらくして読み返すとワケが分からない文章が多かったり、あり得ない誤植をしていたりすることが増えているのだが、いくらなんでもココまで文章の組み立てが下手だっただろうか?と自分でも驚いている。ものすごい違和感だ。

自分のことが自分で分からなくて既に疲れているので、他人との会話とか、「相手に自分のことを分かってもらう」とかいうことに時間と労力を割く気力がなくなった。だから話が噛み合わない時なんかに反射的にイラッとはするのだけど、以前のように声を荒らげて反論してみたり、嫌味を言い返したりするようなことはなくなった。代わりに「無言」「沈黙」「無視」を覚えた。相手が見当違いな反論を始めて、「あ、それ俺の想定する会話のフローじゃねえや」とイラッとした瞬間に脳がシャットアウトする。名指しで呼ばれても無言を貫くぐらい、もう反応するのも疲れた、という状態。「あ、今の一言でご理解いただけないんならもういいです、会話おしまい、何を言われてももう何も答えませんあなたとは話しません疲れるし俺にとってのストレス源なので」という感じ。

相手は僕の立場になってコミュニケーションを構成しようとはしてこないので、僕も相手の立場を考えたコミュニケーションなんか取らなくていいよな?永久に平行線でもどうでもいい。それより俺自身が元に戻れないだろうか、というところで悩んでいるのだから。

だが、俺はもう「元に戻る」なんてことはできなさそうだ、と思ってきた。かつての100分の1以下の生産性に落ち、何でずっと疲れた気分なのか、何をしたら元気が出るのか自分でも分からず、今さっき自分が何をしたのかもうろ覚え、以前ならスラスラ読めていたであろう小難しい技術文書は何度も同じところを読み返し何も入ってこない、そんな今の自分を「コレが2022年からの 100% の自分なのだ」と認めるしかないらしい。前年比マイナス成長な自分を、「一過性の異常事態であり、来年には元に戻せるはずだ」と考えるのは、もう難しいと思う。こうなってしまった状態からの生き方、ということを考えないといけないのだろう。

俺は歳を取ったんだ。病気もしたし、全ての能力が低下したんだ。それはまずもって元に戻ったり、大きく改善したりするようなモノじゃないんだ。今後の俺の人生は、この程度のパフォーマンスしか出せず、コレを上回る良い状態など永遠に訪れないのだ。コレからもどんどん衰えていき、色んなことを忘れていき、以前できていたことすらできなくなっていくんだ。

それは物凄く抗いたい事実だし、未だ認めきれていない。でも、もう自分は4段階目から5段階目に移るしかないところまで来ている。

コレが離婚のストレスなんだ。コレが子供との離別による深い悲しみなんだ。コレが鬱病なんだ。コレが老化なんだ。自分はそれらにボコボコにされたんだ。

話の通じない変な奴はどこにでもいて、常に俺をイラつかせ邪魔するんだ。誰かのせいにしたり、社会問題だなんだと訴えかけても世の中も他人も変わらないんだ。少なくとも僕には他人一人変えることができなかったから離婚したんだ。

同時に、自分自身のことももうコレ以上変える余地なんかないんだ。俺は俺の頭の中では全てにおいて正しいのだが、他人が全員同じ尺度を持っているワケじゃない。僕自身が「話の通じない変な奴」でもあるのだ。自分自身をうまく洗脳できたらもっと幸せに生きられたのかもしれないが、残念、僕に精神論やスピリチュアルは効かなかった。

圧倒的な証拠・事実にブチのめされて、泣いても喚いても願いは叶わない。この現状を受け入れろ。元に戻ることなどないと受け入れろ。

神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。