最近文章が書けなくなったの分かる~
pha さん。名前を聞いたことがあるくらいで何の人か存じ上げないのだが、たまたま以下の記事を見かけて半分俺が書いたのかと思ったぐらいだった。
全く同じことを言いたくなったのは以下あたり。
- 書く意欲が湧かなくなった
- 大体書きたいことは書いてしまった
- 自分の書くことに飽きてきた
- 一人暮らしになったのでいろんな情報にさらされる度合いが減った
- ネット全体の雰囲気が自分に合わなくなってきた
- いろいろエネルギーが減ってきた
- 自分の引き出しにあるものは大体伝え終わってしまったのかもしれない
- 別に大したことがない自分の考えを、これは発表するに足るものだ、と思い込む力がなくなってしまった
- 20代とかの若い人を見ていると、いろいろやっていくぞ、という気迫にあふれていて、いいな、と思う
- 何かに勘違いして夢中になれる力がもう一度ほしい、という気持ちと、そういうのはもう疲れるからいいや、という気持ちが、両方自分の中にあって揺らいでいる
pha さんは43歳で書籍の執筆なんかもなさっているそう。僕は31歳で、書籍を書くような仕事は経験がない、しがないニホンノエスイーである。立場も状況も、思っていることの詳細も恐らく違うのだろうか、自分もこの記事を見て思ったところがあるので、ちょっと書く。
僕の場合、2000年代の「個人ホームページ」全盛期を掲示板やチャットに入り浸って過ごして、mixi 日記でお気持ち表明する一方で「前略プロフ」や「りある」を使う連中を小馬鹿にし、3.11 前後から皆がこぞって Twitter へ流れてきた、という一連の波を肌で感じてきた世代だ。CGIBoy はレンタル掲示板のサービスだったのに…。挨拶しちゃ朗、あんこはうす横スクロールで Go、お絵かき BBS は何者だ。そんな時代が大好きだった。
あの当時から、くだらないこと、意味のないこと、つまんないことを沢山書いてきた。他人の掲示板だろうが自分のサイトだろうがお構いなしに、誰かの発言なんかガン無視で自分の書きたいことを書いていたような気がする。何がそうさせたのか、何のメリットがあってそんなことをしていたのか、別に何にもない。ハナタレガキンチョ時代だったから少なくとも金銭的な目的なんかは全く考えも及ばなかった。でも書きたいから書いていた。
mixi でもどうしようもない正論振りかざしタイプの救いようのないクソ文章をよく書いてたと思う。Twitter の方では「ふぁぼったー」全盛期にクソみたいなネタを見てゲラゲラ笑ってた。あの頃の笑いの供給元はふぁぼったーと Junk のラジオが全てだったなぁ。しばらく自分が書き込む頻度は減ったが、その一方で動画編集をしたり音楽活動に勤しんだりしていた時期だ。
3.11 の後はちょっと政治体制とかにいっちょかみするような生意気なポエムを書いていた気もするが、F ランの学生がガタガタ言うな就活してろ、って感じだよね。自分でも痛さをすぐ自覚してすぐ書かなくなった。w
ほんでニホンノエスイーとして新卒入社するんだけど、今にして思うと最初の案件がかなり恵まれていた。特に優秀な15年選手のプロジェクトに1年目小僧が混じり、要件定義の中盤から参加させてもらった。そして1年くらい設計と開発・テストをしてリリースをする、ということで、僕は入社1年目の間にシステム開発の頭からケツまでを実務経験できてしまったワケだ。2年目以降は後輩となる新卒くんを迎え入れて OJT をする側に回りながら、1年目にリリースしたシステムの運用保守をするようになって、運用保守の難しさもひとしきり経験した。自分達が入念に作り上げたシステムであってもこんな簡単に障害とか起こっちゃうんだー、誰かが手を抜いたワケでも悪さをしたワケでもなく、最善を尽くしてもこんな感じなのかぁ、的なことを感じた。
2年目あたりから真剣にプログラミングやシステム開発の書籍を読み漁るようになった。Amazon で1円で買えるオライリー本を、ジャンル関係なく片っ端から買って読んでいた。たまたま対象のシステムが若干レガシーだったので、古い中古本に書かれてることがちょうど良かったり、「リーダブルコード」や「リファクタリング」に関しては普遍的な内容でとても勉強になった。PMBOK や BABOK の本も上司に勧められてとりあえず一読したりして、1年目にがむしゃらにやってたことを体系的にまとめて理解できるようになった感じがした。
そして会社員3年目。自社内のチームメンバ間の思惑としては何とかしたいねーと一致しているのだが、顧客側の都合でどうしても変えられない不便なところが多く、それに対して反論できる論理的な材料を身に付けつつあったので、不満が溜まるようになってきた。この頃に技術ブログを始めていて、転職も視野に入れて活動し始めた。この頃は技術ネタ、エンジニアとしてのスキルや心構え、それ以外の趣味ネタを書きに書きまくっていた。
いざ転職してみると、転職先は転職先で別の不満が出てくる。特に「人間の問題」はいかんともしがたく、自分の中の公正世界信念が過激な方向に歪んでいくのを自覚しながらも、その怒りを抑えられなくなってきていた。バカ大杉、俺みたいな人間ばっかりいれば絶対上手くいくのに、っていう思い上がりで文句タラタラになってた。この頃の「何とかしたいもどかしい思い」のブログはクッソ痛いけど今も残している。
私生活では子供が生まれたが、離婚して子供と離れ離れになってしまった。もっと子供と遊びたい、子供を笑わせたい、子供に楽しく過ごして欲しいと思う一方で、今の自分には子供に直接してやれることがほぼない。
「ポケモンだいすきクラブ」や「ポケモン熱狂的ファンはココが違う!」や「Outside」や「森野あるじ」氏などに影響を受けて、見様見真似でホームページを作り、Flash アニメを作っていた時代は本当に毎日がキラキラしていた。今日は帰ってから何をやろうか、ゲームの攻略ページ作りもいいけど、Flash アニメの続きも作りたいな、なんて。僕にとっての人生のピークというか、後先考えず趣味に没頭できていたのはあの時代だけだと思う。今でもあの頃に戻りたい。
自分の子供にも、何かしらそういう、のめり込んで楽しめるようなモノを見つけて、楽しい日々を過ごして欲しいなという思いはもちろんあるのだが、今の自分は、なんというか、自分が持っていたモノをほぼ全て吐き出し終わった後の抜け殻みたいな状態になっている。
やりたいことといっても、子供と遊びたい以外は何もない。叶えたい夢、子供と一緒に暮らしたかった、それ以外はない。これから先の夢や目標、子供の幸せを祈るばかりだが、離れて暮らす自分は子供を守ってやれるのだろうか。
今までやってきた趣味は。音楽製作やギターはこれ以上上手くならなくて楽しくないし、すぐ腱鞘炎になる。ゲーム、15分もやると腕と目が疲れる。テレビないから見てない。YouTube 上の動画も大体見尽くして新しい刺激はもうない。その他のインターネットももう質が悪くてちっともだ。動画編集、カメラ撮影なども、子供を被写体にする以外は「撮って記録を残してどうする」って気分になりつつあるし。運動系は元々しないので、ダラダラと太って筋肉が落ちて弱っていくばかり。何しても疲れるから何もしたくない。
なんだかもう、夢も希望もない、つまらない現実しか広がっていなくて、子供に夢なんて語ってやれない気がする。それらしいことをいくら言っても、「でも今のお父さんずいぶんつまんなそうだけど」って思われるのがオチだ。できれば自分も楽しく過ごしている姿を子供に見せて、同じことに興味を持ってもらうでもよし、刺激を受けて他のジャンルででも自分の趣味を持って楽しんでもらえたらよし、というのが理想的だが、今はなんというか、無だ。
ブログももう本格的に書けなくなってきた。書きたいと思う気持ち自体が湧かないし、何かネタらしきものを思いついたところで「コレ前にも書いたな…」ってことだったりする。
今日の記事もなんとかかんとかココまで書いてきてみたものの、自分は一体何を書いているんだろう?こんなん誰が喜ぶんだ?誰のためになるんだ?必ずしも「有益な情報」を差し上げないと、というような意気込みもないし、「一発笑いを取ってやろう!」みたいなことも考えてはいないのだが、何のために書いているのか、誰が読んで、その人はコレを読んで何を思うんだろうか、何にも想像ができないような、謎文を吐き出している感覚がする。当初のテーマはなんだったけ?
誰かが一夜にして全てを解決するような銀の弾丸を打ち込んでくれないだろうかって願っている。なかったらテネットの逆行弾でもなんでもいいや。