制約がなかったら何がしたいか

時間やお金や体力など、そうした制約を一切取っ払って考えて、「費用はいくらでも出すし、自分のペースで何年かけてもいいから、好きなことやりなよ」って誰かに言われたとしたら、自分は何がやりたいだろうか。

一番やりたいのは「自分の子供と一緒に暮らし、我が子を喜ばせ続けること」なのだが、コレに関してはどうにもならないことが多いので今回は一旦コレ以上掘り下げない。

とはいえコレがほぼ唯一の「やりたいこと」であり、次点のやりたいことなんか何を並べたって些細なことにしかならない。というか、次点が全然思いつかない。(あ、両親や家族に恩返ししたいとか、そういうのもあるよ。でも今回は、自分自身にフォーカスして考えてみたいんだ)

やりたいことが思いつかないというのは、生きる理由が極めて乏しく、日々の活力を生み出す源動力となる要素が少ないワケで、毎日が大変つまらないモノになってしまう。だから何とか「やりたいこと」とか目標とか楽しみにしていることとかをひねり出していきたいと思って、この記事を書いてみる。

過去に自分が個人メモに書いた内容などからも含めて、一生のうちにやってみたいと思っていることを書き出してみる。

…やってみたいかと言われればやってみたい、的なモノはこんな感じで挙げられた。音楽・映像・スポーツ・クルマ・旅。ジャンルとしてはこんなところか。

意外なことにパソコンの使用が必須な夢というモノがないようだ。音楽作りの DTM とか映画に関わる CG とか、PC が登場する余地はあるものの、「自分はパソコンの技術でもってこんなことをしたい」というのは、特に夢の一覧には上がってこないようだ。コレはある種、パソコンに関しては夢を叶えてしまったし、継続していることだから、ココに挙がらなかったのだろう。SE として仕事をしていて、ホームページ作りも1999年頃から今日まで、形はどうあれ継続している。普段やれていない特別なことではないから挙がらないのだろう。

また、例えば「野球」とか「ボーリング」とか、「書道」とか「セーリング」とか、そういうモノは自分の趣味趣向ではないので出てきていない。わざわざそういう「見知らぬ世界」を食わず嫌いで閉ざすつもりはないが、知らないので興味が持てず、ココには挙がってきていない、というところか。そういう、全く自分の守備範囲にないモノに飛び込んでいって刺激を得るのも大事なんだろうな。

先程、「やってみたいかと言われればやってみたい」と表現したが、これらは全て「実現したくて仕方がないこと」というレベルではなく、「まぁ、何かの拍子に勝手に叶ったら嬉しいけど、なくてもいいか」ぐらいの弱い意志なのだ。だから夢が「ない」に等しい感覚なのである。

緩い目標や遠い夢に対して、やる気が湧かない。そんなに強く欲しいと思っていなくて、手に入らなくてもいいやと諦めている。自分はどういうつもりなのだろうか。

現実的に、これら全ての夢が叶わなくても仕方ないとは思うが、いくつかは本気で叶えようと取り組んでも良いのではないだろうか。なぜ自分は本気になれないのだろうか。本気になれたらきっと楽しいだろうに。