雑念を吐き出します

子供が喜んでいる姿を見られれば、他の何がどうなっていようとどうでもいいんだよな。

親がよかれと思ってか、上っ面の浅いことを言っていても、その親の行動が伴っていなければ、子供はそれを見抜く。特に幼い子供は、親の言葉よりも行動を真似する。

行動、つまり目に見える結果が先なのだ。言葉というのはもう少し論理的で理性的で、知能を必要とするから、どちらかといえば、耳で聞いた後に自分で解釈を入れないといけない「言葉」よりも、目に見えたとおりの「行動」の方が、強い影響を与えるワケだ。

…と、思っている。

だから僕は、できるだけ子供の目を見て、ニコニコ笑顔を見せ、撫でて抱きしめるスキンシップは大事だと思っている。声掛けも大事ではあるが、無表情で無愛想な言い方では、どんなに「良い言葉」でも伝わらないだろう。なんだかんだと親目線の理屈で言葉を考えるより、頭を撫でて「よしよし」と言い、ぎゅっと抱きしめて「大好きだよー!」と言う、それで十分だと思っている。

親としては心配もあるけど、子供は親から与えられたモノだけを学ぶワケではなく、自分で新しいモノを発見し、時に大人になってからでは気付けないような些細な変化にも敏感に反応したりする。親が教えられることなんて大して多くなくて、子供自身が自然と、自分から見つけていくモノなのだと思う。

言葉としては、子供には「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」の3つが言えれば十分だと思っている。自分が見られる機会がないので「ごめんなさい」を言えるタイミングを目撃できてはいないが、挨拶やお礼は言えているから、この調子なら大丈夫かなと思う。「ごめんなさい」は親が教えていかないといけない部分がある言葉だとは思うので、それを教えられる機会に自分も居たいなと願っている。


子供が笑っていてくれるのだから、もうそれだけで十分で、僕の生きる意味はそれが全てなのだが、子供には関係のない、邪魔な存在があると、それに対する嫌悪感、恨み辛みが募って、寝ててもそいつと喧嘩する夢を見たりする。

こんなことに思考のリソースを使うことは体力的にも時間的にも全く無駄だ。でもそれが頭から離れなくなる時がある。

動物的な本能から考えれば、「ソレ」は敵であり、脅威であるから、対処法・逃げる方法を考えようとするからトラウマを繰り返し脳内でリピート再生するのだろうけど、人の理性はそこに嫌に介在してきて、不必要で悪影響があるほどのリピート再生を続けてしまう。それをねじ伏せて上手くかわすだけの知恵、雑念を振り払う技術というのを学び、繰り返し実践して精度を上げていくしかないんだろうな。


当たり前のことだが、会社の仕事ってそうそう「なくなる」ことはない。なぜだか常に人が足りないほどのタスクが山積みで、次から次に仕事が生まれる。少なくとも今自分がいる SIer の会社は、そうやって業績は上がっていっているようだ。

しかしその現場で何が起きているかというと、IT もクラウドもよく分かっていない PM・PL が、同じく何も分かっていない顧客の「なんとなく DX とかいうやつやってみたい」「なんかセキュリティが不安、根拠はないけど」みたいな要望を聞いてきては、「何したらいいのかな?何かうまいことやって」とか「俺が分かるような資料書いてくれればいいよ」とか言ってたりする。末端の SE、プログラマは自分のスキル以上の要求をさばけずに疲弊して仕事が山積み、そんな感じである。

僕はそんな末端の中ではスキルがある方というか、要領が良い方なので、他の人が5日間かかるようなタスクも2時間くらいで終えておいて、あとはダラダラする、という風にしている。ぬるま湯で生きてて大丈夫かと思うんだけど、最近仕事に対する考え方が色々変わってきた。

もう1年経つしココにも軽く書いておくけど、今年の前半は鬱病というか適応障害を発症して仕事を休んでいた。この半年間は本当に、やるべき仕事もやりたい趣味も何もなくて「無」だった。さすがに仕事をしたいと思うくらいには何もない日々だったのだが、いざ仕事を復帰したら死ぬほど仕事したくなくてキツかった。俺が鬱に追いやられる原因を作ったバカ野郎はのうのうと変わらずに生きている。何も変わっちゃいなかった。

僕は SE という仕事の究極的な目標として、自分が不要になって解雇されることを目指しているところがある。つまり、仕事を全てやりきり、「もうコレ以上システム化することも改善することもなくなりました、完成です、もう SE のみなさんとは契約切って大丈夫です」と客に言われたい、そう思っている。

だが、現実的にそんなことはない。自分のスキルがあってもそれだけでは動かせないモノが多いこともあるし、そもそも会社という組織は「仕事を切らしてはいけない」ワケだから、例えどんなに仕事をやりきっても「仕事がなくなる」なんてことはないのだろう。よっぽど評判が悪くて潰れる直前の会社でもなければ、「発注がゼロになる」ことなんかないのだ。

前にも書いたがシステム屋というのは全然システマチックでない、泥臭い仕事である。さらに今いるような中小企業特有の「短絡的でその場しのぎ」な体質は、中長期的な視点を重視する大企業 (前職) 育ちの自分としては全く相容れない。そんな中で「仕事が完成する」とかいうことはありえないと、ようやく悟ったワケだ。

というワケで、自分がサボれる内はサボり尽くそうと決めた。「こうした方が良いだろうな」と思うことがあっても、絶対に言わないことにした。中途半端なショボい成果を出した方が、仕事がなくならず、何故かそちらの方が会社からの評価が良いからだ。「チャレンジングでよろしい!」ってことらしい。アホくさ。そんな評価なら俺はもらわない方が名誉だな。それってただ力量不足で失敗してるだけじゃん。成功してないのに何褒めてんだよと、そう思ってしまう。

過程と結果のどちらを重視して評価するか、というところは自分でも揺らいでいるのだが、とりあえず仕事に関しては「成果を求めるべきだと俺は思っているけど、少なくともこの会社は成果よりも過程で頑張っている感が見える方が給料が上がる仕組み」なのが分かったので、自分の考えを押し付けず、この会社の流れに身を任せることにした。

会社の仕事はそれでいい。楽してお金がもらえているのに越したことはない。ココまでサボっても皆より成果出せちゃうんだ俺、って驚くほどだけど、それはそれでいい。


一方、自分個人の世界で考えて見ると、以前にも「子供の頃から夢を持ったことがなかった」というような話を書いたことがあるが、ココに関してコンプレックスがある。

例えばスポーツ選手になりたいとか、芸能人になりたいとか、クリエイターになりたいとか、そういう願望を強く抱いたことはない。興味を持った界隈はあれど、そこに自分も飛び込もうという勇気がないのか、そこまで本気になれずに来た。

大学の学部を選ぶ時だって、「潰しが利いて、受験科目が少なくて済むところで…」ぐらいのノリで経済学部を選んだ。音楽や映画が好きだったけど美術系に進むことはなかったし、パソコンやカメラ機材が好きだからといって理工学部を検討することもなかった。

何となく、「俺は映画監督になるのだ!」などと宣言してしまったら、それ以外の世界への可能性を潰すことになるんじゃ、後戻りできなくなるんじゃないか、みたいな思いがどこかにある気がする。だからそこまで足を突っ込まないでおこうと諦めるワケだ。

こうして、僕個人の枠で見れば、基本的にはあまり波風が立たない平穏な人生を送ってきたと思う。家族がいたので楽しかったし、友達も少ないながら一応はいたので、さほど辛い思い出というのはない。中学時代の転校は、当時はキツかった気がするが、もう何も覚えていない。やりたいことをほとんどやれてきたから満足している。

しかし、そんな自分は今、何者でもない、何者にもなれなかった、何者にもなろうとしなかった、つまらない自分になっているような気がしている。自分が誇れるモノは何だろう?ノー勉強でクラウドベンダの資格を取得できたりする自頭の良さ、基礎知識は有しているのかもしれないが、なんかそれって自分の努力が伴っている感覚がないので、誇れる気にならない。

もっとなんかこう、「予め目標に据えたポイントに、頑張って到達した実績があります!」と言えるようになってみたい。分かんないけど、例えば「○○の分野で1位を取るぞ!」と決めて努力の結果1位になるとか、大会で優勝するだとか、そういう勝ち負けが伴う世界で、負けることがあっても、最終的に勝って目標を達成しました、みたいな経験をしたい。自負できることがない感覚がする。

これは自己評価が低すぎるだけなのだろうか?いや、でもやっぱり、「じゃあ君の今までの成果は何だね?」と聞かれた時に、「このホームページは20年続けています」だの「ギター歴16年目です」だの言えたとしても、「PV 数が数百万で、サイトで○○万円稼いでいます!」とか、「ギターコンテストで優秀賞をもらいました」とか「年1回、ワンマンライブを主催しています」だとか、そういう定量的な成果がなかったりする。何か過去実績を集計してみれば色々出てくるのかもしれないけど、それは予め目指していたモノではないので「たまたま達成していたこと」で、あんまり自負に値しない気がする。


だから、最近は「分かりやすい目標」を立てよう、「手に職を付けたい」と思って、いくつかのプロジェクトを抱えることにしてみた。

一つは「定期的に音楽スタジオに行く」こと。うちの家族はみんな楽器をやっているので、父や弟を誘ってスタジオに行き、まずは家族の前で何かしら課題曲を決めて練習した成果を披露する、そういうことをやっていこうと思っている。

もう一つは、「ギターの改造を自力で行う」こと。Squier の Telecaster を買ったので、Esquire 化し、フレット増設やヘッドロゴ貼替えをやってみようと思っている。以前、マンガ「Beck」のルシール (レスポール) を再現するために穴を開けたことがあるが、あの程度ではなく、ちゃんとハンダとかをやって電気工作が出来るようになろうと思った。早速 Esquire 化の段階で回路図を自分で書かないといけなくなり、そうやって自分で編み出した回路図で無事音が出るようになったりして、成長・達成感を感じているところ。

将来我が子が見て楽しんでくれたらいいなという思いで、YouTube 向けの動画作りと音楽作りも続けている。動画作りはしばらく休んでいたが再開しているし、DTM もキーボードの練習になるので再開している。以前 Neo's Channel にアップした Avanti 企画の動画はコメントがそこそこ付いていて嬉しい。我が子向けの一点絞りで動画を作っているが、自分の自負や達成感のことも考えると、例えば「収益化できるだけの登録者を獲得するようなチャンネルに育てる」みたいな目標を立てるのもアリなのだろうか?とか考えている。今のところはそれ以前に、一つひとつの動画を完成させることが、一応「成果物」が出来上がるので、達成感になっている。

あと、NAS を自作した。もう趣味でプログラミングとかしないんじゃないかと思ったけど、JavaScript・Node.js なら寝ながらでも書けることから、Wake On WAN の設定と PC ストレージを組み合わせて、オンデマンドで NAS 機を立ち上げて、お手製の UI でファイルブラウジングなんかができるようなプログラムを書いた。自分にとって要らない機能はガッツリ省いているので物凄く高速に動作するのが嬉しいところ。

カメラに関しても、Nikon D5600 と Olympus OM-D E-M10 Mark II という2台を持っているが、Sony α7IV か α7SIII あたりと大三元レンズが欲しいなと思って、まずは貯金・収入増を頑張っている。単に機材が欲しいってだけじゃなくて、その機材を使って今よりももっと上手く撮りたい被写体があるので、それに向けて準備をしていこうと思っている。

どっちつかずというか、下手の横好きというか、どれも中途半端になりそうだが、自分はずっとそういうモノだった。でも、これからもっと「具体的な目標や成果」を立てて、それを達成するために努力を続ける、という姿勢を取っていきたいなと思っている。

そうして毎日アレを進めたいコレを達成したい、と思ってワクワクしながら過ごしていると、身体的な調子も割と良い。仕事は前述のとおりダラダラとやれるので、タスクが回ってきたらササッと片付けておきつつ、周りの進捗に合わせて「もう少し時間かかりそうですね~」とか曖昧なことを言っておけば上長がスケジュールを調整する。そうやって時間を確保したら、仕事中だろうがなんだろうが、ギターのハンダ付けをして、趣味のプログラミングもして、副収入のための活動をしたりしている。この方が自分がもう少し生き生きとできているので、精神衛生的には良いことをやれていると思う。会社にとってはいい迷惑だろうけど、知ったこっちゃない、こっちも鬱で散々苦しんだんだ、しばらくワガママさせてもらうぜ。w


…これらは別に、離婚して我が子と離れ離れになってまでやりたかったことではない。子供と一緒にいられるのなら、他の何も要らないし投げ捨てられる。でも残念ながら、そういう人生設計は現段階においては出来ない状態だ。10年・20年・30年後に、何か報われる瞬間が来ればいいな、そういう時が到来するように、出来ることをしておかないとな、という思いで、生きている。

サッカー選手だ、ケーキ屋さんだ、といった夢を子供の頃に抱けなかったからといって、今後も夢を抱いてはいけないワケじゃない。一生かかって「達成したい夢を探す」ことを夢・目標に設定して過ごしたっていい。サッカー選手になりたかった子供が、挫折して夢を途中で変更したっていい。複数の夢を持ったっていい。死ぬまでに夢が見つかったら、達成しようがしまいが、それで良いのかもしれない。夢を持つ持たない、なんて、正解がある話じゃないから、深く考えなくて良いのかもしれない。

自分が死ぬ時に、生前の何かを持って死後の世界に行くことはできない。お金や高級品を「持つ」ことだけを目標にしても仕方がない。自分の人生が終わった後に、周りの人達に自分の何が残るか、何を残せたら良いと思うか、そこにフォーカスして生きることが、僕の夢と言ってもいいかもしれない。

生んでくれと頼んで生まれてきた子供は一人も居ない。生まれた理由なんか誰にも分かりゃしない。それでも、何のために生きることにするか。つまりそれは、生きて死んで、誰に何を残したいか。僕は家族や我が子の笑顔を増やしたい。僕が笑って過ごせれば両親は喜んでくれるし、僕が作って与えられるモノが一つでも多ければ、一つでも多くの笑い・笑顔を家族や我が子に提供できるかもしれない。いつまでも思い出し笑いしてもらえるような、楽しく、愉快で、面白いモノを遺しておきたい。

それが、今、自分にとって一番重要だと思っていることなので、仕事とか、嫌いな人間のこととか、そんなことに気を取られるのは止めて、大好きな人達のために出来ることを続けていくし、自分自身も楽しく過ごせることを目指していこうと思う。