2022年を振り返る

ごめんやっぱウソ。今年の自分のことはまだ上手く振り返れそうにない。抽象的なことだけ書いとく。

我が子の健やかな成長が、僕が生きる全ての源動力になっている。我が子が笑顔でいてくれるだけで本当に満たされる。他のことは全て取るに足らないことだ。

まだまだ現在進行系ではあるけど、それでも2021年の辛さがだいぶデトックス出来てきたと思う。たぶん外から見ると「ボケッとしてる、抜けてるオッサン」に一気に落ちぶれたと思うけど、コレは僕が死なずに延命するために脳と身体が選んだ生き方なのだろうと思うことにした。色んなことを諦め、だらしなく過ごすことで、自分の負荷を減らそうとしているのだろう。

「暇」や「無」との付き合い方は難しいけど、だいぶ出来るようになってきたんじゃないかな。それでいい、と思えるようになった。「何かしなきゃ → 何も上手くできなかった…」の流れより、「何もしなくたっていいんだ → でもちょっとだけコレやったら楽しかったわ」という流れに乗せられてきたと思う。両親や家族がなんやかんやと提案してくれて、気を使ってくれて、助けられてきた。メンタル的に持ち直せてきたのは家族のおかげだ。

技術的な興味関心はもう取り返しの付かないところまで落ちて、仕事は「趣味も兼ねた」モノではなくなった。完全なライスワークと見限ったら、効率よくミスなく仕事しようという意識が希薄になり、結果的にちゃらんぽらんな周りの社員にイラつかなくなった。コイツらがバカやってて仕事がグズグズでも一向に構わないやと。俺は残業しないし、頑張ろうともしないのでよろしく、っていう感覚が、それまでのツッパって言ってた感覚じゃなくて、もうナチュラルにどうでもよくなっている。コレは個人的には良い傾向だと思う。今までほどストレスを抱えなくなったからだ。

こんな生き方がいつまで許されるのだろうか。お金はそれなりに稼がないといけないというのに。とは思うものの、今は他の生き方が出来なさそうだから、もう少しこのぬるま湯で延命することにしている。

ストレスがない、気分が良い、時間はある、なのに体調が付いてこなくてやりたいことが進められないところがある。だいぶ改善してきたと思うけど、くだらん不調が多くて辛い。運動不足と老化の相乗効果でどんどんフィジカルが死んで行ってる。コレを何とかできればもう少し良くなるのだが…。

記憶がどんどん抜け落ちている気がする。体系的に物事をまとめることを諦めつつある。これまでの「俺が正しいのだから俺の思いどおりになれ」という主観的で利己的な考えではなくて、「世の中どうにもならないことばっかりだから、どうにでもなっていればいい、俺はのんびり好きにやるぜ」という、別のタイプの主観的で利己的な思考になっている感じがする。そしてコレは悪くない変化だと思っている。ちゃんとした大人には見られないだろうけど、自分はイライラしなくなったから。穏やかに過ごせている。こんなところだろうか。

世間的な出来事で気になったモノ

今年もコロナは元気に流行中。俺は今年も熱を出さず、咳などもなく、コロナ的な不調はなかった。高血圧とか鬱とか頭痛とか意味不明な下痢とか、そういう病気は年中だが、胃を荒らしていないので元気な方だと思っている。

ほんで、今年は世間的に何があったかなーというのを、今年1年メモしていたので、それを貼っておく。僕にはこの世界がこういう風に見えていた、というか、この部分しか見ていなかった、というか。テレビも持ってないし、ネットニュースも極力見ないようにしてるから、情報そのものに触れていなくてこんな感じよ。

やっぱり、知ってる人が死んだっていう情報だけは引っかかってしまう。自分の年齢的にも重ねて考えてしまう部分があるし、どんどん自分が知らない世代に変わっていっているんだ、という波だけは感じている。

自分が死んだ後に、誰に何を遺したいか、何を遺せるか、ということは常に考えとして持っていることではあるけど、体調的に毎日頑張って活動するというのは難しい1年だった。多分これからも早々好調にはならないと思うし、こんな体たらくでもまぁいっか、と思うことにした。というかもうダメ過ぎてそう思うしかなくなった、というか。

まぁぼちぼち生きてますよ。事故でも遭わなければあと数年くらいはへぼへぼ生きてるんじゃないかな。

来年の個人目標?そうねー、体重減らして健康になりたい。それぐらい。