ポケモン雑考察・作品の鑑賞の仕方とか・その時代を生きるということとか
昨日ワーーッと思ったことを書き連ねる乱文です。
昨日のブログ記事で、「ポケモンゲームにおいて、乱獲や孵化による厳選行為が生理的に気持ち悪く感じる」という話をした。僕がポケモンの世界観に対して感じることとズレている、ポケモンを家族同然のペットや仲間として考えた時に「ザコは逃がして手放す」という考え方が嫌だ、ということだった。
その記事を書いた後に、ゲームフリークの開発スタッフ陣や、アニメ版ポケモンの監督・脚本らの文献を読み漁り、思ったことを書き出してみる。
目次
- 田尻智が生み出したポケモンの世界観
- 閉塞感・終末論が漂う1990年代後半という時代
- 首藤剛志が考えたポケモンの世界観
- ミュウツーの逆襲
- ポケモンの最終回案
- 予想外の長寿番組化・時代の変化
- 作品をどのように鑑賞するか
- 生きる時代の違い・今という時代
田尻智が生み出したポケモンの世界観
ゲームボーイでポケモン赤・緑が発売されたのは1996年。構想から開発には6年ほどかかったと言われている。開発を手掛けたゲームフリークの著名なスタッフはたくさんいるが、ココではコンセプトを練り上げディレクターを務めた、田尻智氏を軸に考察する。
田尻智氏は昆虫採集が好きで、友人と昆虫を交換し合ったそうだ。図鑑として収集すること、育成、そして交換というポケモンに通じる要素が伺い知れる。そしてゲームボーイの通信機能に目を付けた彼は、「ウルトラセブン」の「カプセル怪獣」を元に、「カプセルモンスター」という名で原案を提出する。
1980年代に「ゲームフリーク」はミニコミ誌として人気を博す。田尻智は「都市伝説」というものに思い入れがあったそうで、噂の真相を調査する企画を「ゲームフリーク」誌に掲載したこともあったそうな。このあたりは初代ポケモンにおいても、グレンタウンのポケモンやしきに「幻のポケモンがいた」という日誌が残されているなどの形で表れている。ポケモンの世界観の中にちょっとダークで、おどろおどろしさすら感じさせるような要素が漂うのは、原作者の趣味が反映されていたということになる。
同時に、初代のポケモン図鑑の中には「インド象」や「東京タワー」といった現実世界の動物や要素が登場しているなど、「ポケモンの世界観」というものが完璧には練り上げられていなかった点にも留意したい。
閉塞感・終末論が漂う1990年代後半という時代
ポケモン赤・緑は異例のヒット作となり、翌年1997年にはアニメ化に至った。
ゲーム作品が大ヒットしてアニメ化される、という流れは1990年代当時極めて珍しいことであり、ポケモンというコンテンツがどこまで続くか誰にも分からなかった、ということがまず前提にあった。1990年代はまだまだ「ゲームおたく」「アニメおたく」というものに風当たりが強い時代でもあり、「アニゲは子供の頃の一過性の趣味」といった空気が根強かった。
1990年代始めにはバブルが崩壊、世のサラリーマンは一つの「時代の終わり」を肌で感じていたことだろう。松本サリン事件や酒鬼薔薇事件のような残虐な事件が起こった時代でもあった。1996年にはクローン羊のドリーが誕生し、「科学技術が生命を操作できる」可能性と危険性がニュースでも取り沙汰された。世間的には「ノストラダムスの大予言」の流行もあり、「2000年に世界は終末を迎える」というような、妙な閉塞感があったのが、1990年代後半という時代であった。
1991年生まれの僕は10歳にも満たない時代であるが、僕も子供なりに、そんな空気感を感じてはいた。
ポケモン以外の作品にも、当時の世相が表れている。もしかすると、これらの作品が逆にアニポケへと影響を与えていた可能性も考えられる。例えば1991年の「ターミネーター2」では「人類 vs AI」が描かれ (「涙」の描写も「ミュウツーの逆襲」に通じるものがある)、1993年の「ジュラシック・パーク」や1997年の「ロスト・ワールド」は「人類によって都合よく復元された恐竜の暴走」が描かれる。1995年のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」でも自意識への疑問がテーマになり、1997年の「もののけ姫」は人間と自然の関係を持ち出した。当時はそういうのがホットなテーマな時代だったのだ。
首藤剛志が考えたポケモンの世界観
アニメ版の立ち上げには、首藤剛志という脚本家が携わっていた。1949年生まれの首藤氏、1997年当時は48歳であり、平たくいえば「立派な大人」が生きてきた1990年代という世相が反映されているのが、アニメ・ポケットモンスターの世界観といえる。
「なぜ10歳の少年が一人旅を許されるのか」「ジムリーダーはどのように生計を立てているのか」「現実世界に存在する動物とポケモンの関係はどうなっているのか」。首藤氏はアニメ化するにあたって、初代ゲームの中では描かれなかった細部に至るまで世界観や裏設定を練り上げたそうで、その結果は「ポケットモンスター The Animation」という小説や、アニメ本編に散りばめられることとなる。中でも、ロケット団員のムサシ・コジロウ、そして人間の言葉を話せるニャースといったキャラクターを創作したことが大きなポイントといえる。
ミュウツーの逆襲
1998年公開の劇場版第1作、ミュウツーの逆襲。
人工的に作られ、自己の存在意義・アイデンティティを問うミュウツーは、人間に対し復讐を始める。居合わせたサトシは争いを止めるため、身を挺して仲裁に入る。「本物」と「コピー」、分け隔てなく接しようとする人間サトシに希望を見出したミュウツーは、「本物もコピーも、皆同じ生き物であり、既に存在している」ことに気付き戦いを止め姿を消す。
当時劇場で鑑賞して、子供ながらに「命」の重たさを感じる作品だったが、大人になって見返すと物凄く深いテーマが込められているなと驚かされる。ミュウツーの話はほとんど反出生主義だし、「最強のポケモントレーナー」を目指すはずのサトシが戦いを止めに入るという矛盾。
興行収入としても歴代1位となる、原点にして頂点といえる作品なのだが、当の首藤氏もコラムで「なぜ本作が売れたのか自分でも分かっていない」と語るように、作者自身も答えを見出せていないことを問題提起していた大きな作品なのだ。
ポケモンの最終回案
子供向けアニメの放送なんて、続いてもせいぜい3・4年だろうと考えていた首藤氏は、こうした世界観の構築とともに、「最終回の案」も構想していたという。つまり初期アニポケや劇場版1・2作目の展開は、最終回に向けた伏線として作り込んでいたワケだ。
- 詳細は首藤氏本人によるウェブコラムにも掲載されており、現在でも読むことができる
- 参考 : ポケモンの没プロット (まぼろしのえいがとさいしゅうかい)とは【ピクシブ百科事典】
僕が昨日のブログ記事で書いたような「ポケモンを単なる道具のように扱うことへの嫌悪感」を、首藤氏は「自分の思いどおりになる生き物を使って、代理戦争を行い、勝利にこだわることへの疑問」として打ち出していた。
バトルに勝とうが負けようが、自分は存在しているのである
「人生が戦い」なんて考えると生きるのに疲れるし、「人生はそれなりに楽しい」と思う方が生きる気力が出ると思う
こうした流れでの最終回のプロットは、「人間に利用されることを嫌ったポケモンたちが反乱を起こし始め、サトシとピカチュウ、そして人間とポケモンの言葉を通訳できるロケット団のニャースらが仲裁に入る」という展開だったそうだ。そして「この世に生まれ生きている者同士、共生していこう」と収まる。
…そんな「夢」のような幼少期の記憶を振り返る、年老いたサトシ。旅の目的は単なるポケモンの収集でもなく、バトルで強くなるためでもない、自分とは何かを探し、他者との共存を目指すためだ。…と締めくくられる。
そう、映画「スタンド・バイ・ミー」的な展開でもって、物語を締めようと考えていたそうである。初代ゲームで自宅のテレビに映る映画と同じ流れに収束させるつもりだったという絡め方は、首藤氏の手腕が光るところである。
前述のとおり、アニメやゲームは子供のためのモノ、という価値観がまだまだ強かった90年代。アニメのエンディングテーマだった「ポケットにファンタジー」という小林幸子の神曲もあるが、ポケモンというものを「子供の頃の幻想」としてまとめあげようとしていたワケである。そしてそれは「子供時代を少しずつ卒業して、現実世界を歩んでいって欲しい」という願いだったのだろうと思われる。
予想外の長寿番組化・時代の変化
当初はそんな最終回も想定していた首藤氏だったが、アニポケは結果的に2023年までサトシが主人公の作品として続き、2023年以降・2025年現在も主人公を変えて新シリーズが放送されている。
「せいぜい3・4年だろう」と考えていた首藤氏のモチベーションは段々と苦しくなり、自らが考えていたコンセプトの意義を失ってしまったそうだ。結果的に首藤氏は劇場版3作目「結晶塔の帝王エンテイ」(2000年) を最後にアニポケから離脱。そして2010年に亡くなられている。
2000年で世界は滅びなかった。21世紀は来た。写メール・ADSL が普及し「インターネット」が当たり前のものとなった。2004~2005年にかけて「電車男」がヒットして以降、徐々に「ヲタク」と揶揄されていたサブカルチャー全般が市民権を得ていった。2010年代に入り、アイドルブーム、スマホの普及で、もはや「メインカルチャー」と呼べるものがなくなってしまうほどにサブカルチャーが一般化した。同時に SNS は「世界の全て」が見えているかのように画面を偽り、知らぬ間に世界を「分断」している側面もある。
これらが、「アニポケ」が受けてきた影響、とりわけ「脚本担当の首藤氏が構想した世界観と時代の変遷によるズレ」だと、僕は考えた。
ゲームの方も色々あったことだろう。昨日のブログ記事でも考察したとおり、GBA 世代までは「完成したパッケージ」として配信する他なかったので、ボリュームを増やすために「バトル」の比重を強くし、結果として「孵化厳選」のような行為を促す形になった。インターネット接続が可能な時代になり、チート行為の対策だったり、スマホゲーと張り合うための「プレイの気軽さ」への方向転換だったり。
ゲームの方もココまでの長寿コンテンツとなることは予想していなかったであろうから、世界観を拡げつつ矛盾しない裏設定を盛り込むのが難しくなっていることだろう。代表的なのは「ポケモンの先祖はミュウなのかアルセウスなのか」議論とかだろうか。
作品をどのように鑑賞するか
さて、ココからはポケモンに限った話ではなくて、そうしたコンテンツの消費者としての考え方。
アニメにせよゲームにせよ映画にせよ、その作品といつ出会い、どんな風に見るのか、そしてそこから何を得るのか、ということを改めて考えていた。
1991年生まれの僕は、「この先どうなるか、明るい未来が来るとは思えない」と言われた時代に生まれ、そんな自覚もないガキンチョが7歳の時にポケモンと出会う。ポケモンが何年続くコンテンツなのか、なんて考えもしていなかった。ただただ新しい刺激的なモノが出てきたから飛びついた、それだけだった。「ミュウツーの逆襲」を見るにあたっての下調べもしなかったし、何を見せられたのかという考察もしなかった。いや、バカガキだったから何もできなかった。劇場パンフレットに何が書かれていたかも覚えていない。なんにも深く考えてやいなかった。
でも、ピカチュウとコピーピカチュウが叩き合うシーンを見て、なぜか涙が出た。「なんだかスゴいモノを観たぞ」という漠然とした興奮と感動だけが、何年も記憶されていた。
年月が経って10代後半、20代中盤、そして34歳現在、時々あの頃を振り返り、「自分は何を観たのか」「作り手は何を考えていたのか」「どうしてそう思ったのか」を考える知能が、歳を重ねるごとに段々とついてきた。
今回、2025年現在34歳の僕が思う、初期のポケモンに対して思うことや1990年代という時代背景をざっくりとまとめてみたが、じゃあこの僕の感想を、たとえば2020年代に生まれた我が子に対して、共有していいのだろうか、といったことを疑問に思った。
僕は6歳の時に「もののけ姫」を、7歳の時に「ミュウツーの逆襲」を劇場で鑑賞している。我が子の今の年齢を考えれば、同作品を今観ること自体はなんら問題ないと思う。ただ、僕と我が子では、これらの作品との「出会い方」から異なる。
僕は当時テレビ CM を観て、「衝撃的な新作が出る」ということで作品の存在を知り、鑑賞しに行った。しかし2025年の今を生きる我が子の場合、YouTube や Netflix などのサービスを通じて「ジブリの旧作」「大好きなポケモンの昔の作品」という位置付けでこれら作品を知るかもしれない。もしくは、父親である僕が「昔の作品なんだけど、コレ面白いよ~!」なんつって我が子に勧めて見せるかもしれない。
特に後者の、「親が勧めて見せる」という行動は、その勧め方などに注意をしなくてはいけないなと思うようになった。
僕が小さい頃、親父と近所のレンタルビデオ屋によく行っていた。僕には「たくさん VHS が置いてある」としか思っていなかったが、父が「このジャッキー・チェンの映画、まだ観たことないだろう?」とか、「この作品観てみようか」なんつってアイアン・ジャイアントを借りたりとかしてくれた。
でも父はそれ以上は言わなかった。「この映画の舞台はね…」とか「裏設定はこうで~」とか、ましてや「この映画のテーマは脚本家がこうだと言ってるから~」なんていう話は、映画を観る前後で一切しなかった。当時の僕はジャッキー・チェンやシュワルツネッガーのアクションにただただ興奮し、予備知識なしで観せられたアイアン・ジャイアントが「なんだか泣ける映画だ」という拙いレベルの記憶で、ただ残り続けた。子供に対して大人目線での知識の刷り込みをしないでくれた、僕自身が感じる以上の「混ぜもの」を、両親がしないようにしてくれていたと、今になって思うのだ。
さて、今の僕は、離婚したことで我が子とは離れて暮らしている。僕が幼い頃に、両親がしてくれたような距離感で作品との出会いを作ってくれたようなことを、僕も我が子にしてやりたいと思うが、現実的には難しかったりする。離れて暮らしているので、「一緒に観る」ことが叶えられない。でもやはり、僕が良いなと感じたモノは、なんとなく我が子にも紹介したいなと思うし、楽しそうなことを共有したいと思う。もちろん本人が興味のなさそうなことなら無理強いする気はない。でも、「自分で観てみたいと思った映画を、劇場に連れて行って見せてくれる」とか「自分ひとりでは知り得なかったであろう作品を、なんとなく商品棚から取って見せてくれる」ような、そういう距離感、良い塩梅での、共有や紹介をしてあげたいと思わずにはいられない。
そこで今の僕にできることは、「YouTube 動画を作成して公開する」ことが限界かな、と考えているワケである。今すぐじゃなくてもいい、いつか我が子が僕のチャンネルを見つけてくれたら、その時に見聞きして知ってくれたらいいなと思うのだ。
しかしだ。もし僕が YouTube で、「ミュウツーの逆襲」を紹介したいがあまりに「初期アニポケの脚本家は~」「90年代というのは~」などと語り過ぎていたらどうなるだろう。我が子に「この作品はこういうつもりで観なさい」としつけてしまうような気がするのだ。もしくは我が子はそんな古臭い長話をする親父を鬱陶しく思って、「ミュウツーの逆襲なんて、古い時代のつまんない作品なんだろう」などと思わせてしまうかもしれない。要するに鑑賞前からバイアスがかかってしまう恐れが高い。
僕だって似たような経験がある。「ビートルズはいいぞ~」としつこく語るオジサンのことを嫌悪し、はなっからビートルズなんて古臭くてくだらねぇ、と思っていた。ビートルズ本人たちには悪いけど、個人的にブートレグまで聴き漁った結果、最初のオジサンの刷り込みが強すぎて、僕は今でもビートルズが大嫌いだ。
我が子に楽しんでもらいたいからこそ、ポケモンを紹介するような動画を作りたいなと思うのに、「僕自身の熱」が入りすぎてしまうと、きっと我が子は冷めてしまうと思うのだ。かといって「ミュウツーの逆襲という映画があります。おわり」なんていうショート動画を作っても仕方がない。どこまで何を語ったら我が子にうまく共有できるか、その塩梅が難しいなと思っているのだ。
生きる時代の違い・今という時代
この30年でメディアの形態も変わった。結局のところ、幼少期の僕をとりまく環境は、それが当時の最新だったからその形で存在していたに過ぎないのだ。コロコロコミックがニュースの情報源で、新作は映画館で観るしかない。昔の作品を観るにはレンタルビデオ屋に行くしかなかった。小学校の遠足に「使い捨てカメラ」なんてハイテクなモノを持って行ったら、ちょっとした人気者だった。
でも、2025年の今を生きる我が子の世代は違う。自宅のテレビリモコンにも YouTube のアイコンが付いている。学校がタブレットを配る。YouTube でコンテンツを観るのは特別なことでもなんでもない。Amazon プライムでいつの時代の作品かよく知らないモノまで大量に出会える。我が子には僕から「トイカメラ」として売られていた数千円のコンデジをプレゼントしたこともある。もちろん動画も撮れる代物だ。
要するに作品との出会い方が違う。僕にとっての「最新作」とは「もののけ姫」であり「名探偵コナン 時計じかけの摩天楼」であり「ミュウツーの逆襲」だったワケだが、我が子からしてみれば「ゴッドファーザー」や「2001年宇宙の旅」や「カサブランカ」などと同じ「旧作」の一つに過ぎないワケだ。これらの作品を、幼少期に、最新作として出会った僕の感覚と、我が子が今後出会う時の感覚とは、間違いなく別物であることを意識しないといけない。
もちろん、ポケモンが今現在も愛されるコンテンツであり、現に我が子も楽しんでいる作品なのだから、「ミュウツーの逆襲」だって「時代を超えて楽しめる不朽の名作」であることは間違いないと思うのだが、その「捉え方」というのは全く異なるだろう、ということだ。1990年代の空気を知らない我が子が見たら、もしかしたら「戦前の話?」ぐらいに思う可能性だってないとは言い切れない。
自分がどういう時代に生まれ育ったか。何歳の頃にその作品を鑑賞したのか。その瞬間に何を思ったか。そうした消費者の主観的な要素こそ、我が子には大事にしてもらいたいと思う。今回僕は、ゲームの原案からアニポケの脚本家の意向に至るまで、たまたま興味が湧いたのでこの年齢になってから調べ直して作品を再度咀嚼してみたワケだが、そうやって「情報を食べる」ことが必ずしも良いこととは限らない。作品中で明言されていないことを、勝手に外部情報から補給し考察するなんてこと、もしかしたら「行儀が悪い」とすら言えてしまうかもしれない。スタッフインタビューにせよ他人が書いたレビューにせよ、そうした外部情報はバイアスになり、作品そのものを見て「自分がどう感じたか」という主観を捻じ曲げてしまいかねないからだ。
先日鑑賞した「ミッション・インポッシブル ファイナル・レコニング」の時も思った。トム・クルーズが行うスタントの模様は公開前からしつこいほど各種 SNS で宣伝映像が流れ、もはや「重要なシーンは X やインスタで全部見た」状態になっていた。劇場に行ったところで、「SNS で見たスタントシーンの答え合わせ」をしているだけのような感覚も少しあった。前情報・予備知識が本編を邪魔してしまった例だと思う。ブロックバスタームービーとして性質が異なるので、ミッション・インポッシブルについてはもはやそれでも良いのかもしれないけど。
だがこれも、もしかしたら「2025年という時代」を生きていたら、それが本当は当たり前の楽しみ方なのかもしれない。「予備知識なしで映画を楽しみたい」なんて、もしかしたら古い時代の、間違った考え方になっているのかもしれない。
きっといつの時代にもあったことなのだろう。ダグラス・アダムスの法則というヤツだ。
- 生まれたときに世の中にあったものは、普通で当たり前で、世界を動かす自然の一部である
- 15歳から35歳の間に発明されたものは、刺激的で革命的と感じ、その分野でキャリアを積むこともできる
- 35歳を過ぎてから登場してきたものは、自然の秩序に反するものである
逆にいうと僕は、今という時代をうまく生きられていないのかもしれない。現在34歳の僕だが、既に今の社会を「自然の秩序に反するもの」ぐらい違和感をもって捉えている節はある。でもその感覚はココ最近生まれた世代とは明らかに違う話なワケで。彼らにとってはそれは「自然の一部」といえるくらい当たり前のことなのだ。
我が子に何かしてやりたい、楽しいことを提供してやりたいと思う前に、僕自身がまず常識をアップデートし、時代についていかなくてはいけないのではないか、と思うようになってきた。そうでないと、「あの頃は良かった」と言い続けるだけの老害と変わらない気がする。
2025年、この時代は何が常識なんだ。世界はどうなっているんだ。1990年代ではなく、2025年を生きる大人の僕は、我が子に何をどんな形で残すべきなのだろうか。
(9000字以上もこんな乱文書くとは思わなかった)