「全ては個人の偏見に基づく発言である」という前提でいかないか?
最近気になっているのは、SNS での一個人の発言に対して、どうも全方位に一切の攻撃性がない発言を徹底しろというような指摘をする人が多いのでは?ということ。公正に、平等に、科学的に、論理的に話せという圧が強すぎるように感じる。それも、自身のその「指摘コメ」自体の攻撃性については認識していないようなのが余計に怖い。
気になる例
例えば、VTuber なんかがゲーム配信で「こういうジャンルのゲームは好きにならなくて、プレイしてこなかった」といった発言をすると、その一言だけを取り上げて
- 配信者◯◯、有名 RPG シリーズを全否定wwwこれは炎上不可避www
- ◯◯シリーズが好きな人達にケンカ売ってるよね?ゲームファンの一人として傷ついたわ
みたいな、過剰に捉えて勝手に傷つく反応コメントを目にすることが度々ある。
…よーく考えてほしい。配信者は「私は好きじゃなかった」としか言っていない。
好きじゃなかったという理由は「操作が難しそうに感じて」かもしれないし「ストーリーが長そうで長時間プレイになったらキツイから」かもしれないし「特にコレといった理由はないけど今までたまたま知らずに生活してきて、なんとなくの決めつけ・思い込みで敬遠してきただけ」かもしれない。いずれの理由にせよ、「配信者自身が個人的にどう感じていたか」という感想でしかないワケだ。
個人の好き嫌いやそのモノに対する理解度合いについてしか言及していないのに、受け手が何やら言ってもいないことを勝手に補間した結果、そのゲームをバカにしたとか、そのゲームが好きなファンを冒涜したとか、そのような悪意ある攻撃的発言であったかのように解釈して、「そのゲームのファンの気持ちを考えての発言なのか!?」といった反応をしている人が、結構いるのだ。
2025年にもなってこういうの、もう止めない?
YouTube で誰かが「エヴァンゲリオンってー、なんかオタクっぽいアニメじゃないですかー。私どうしても苦手でー。エヴァのファンも偏屈な人多くないっすか?w」と発言していたとする。
この発言からは、話者が「その作品およびファンに対して嫌悪感を抱いている」ことは読み取れる。
…でも、それはそれで、別によくないか?
見ず知らずの他人が、「私個人は気に入っているモノ」のことを嫌っていたとして、だから何だ?その人がよく知りもしないで食わず嫌いで批判しているとしても、徹底的に鑑賞・分析した上で嫌っているにしても、「私は嫌いだ」という、ただそれだけの発言だ。
仮にその人がもっと過激派で、「エヴァが好きだなんて頭がおかしい!全員今すぐ考えを改めろ!」などと発言していたとしても、それでもなお、そういう発言をしている人に対して、何かを言い返す必要は全くない。
例として「エヴァ」を出してみたが、コレを「納豆」の好き嫌いに置き換えて考えてもらったら、いかにくだらないやり取りか、より簡単に想像がつくだろう。
「納豆を食べるなんて気が知れない!激マズで大嫌いなんだ!私の前に出さないでくれ!」
…まぁ、そういう人もいるよね。ってならん?w
「それでも私は納豆美味しくて好きだけどね」とか、明らかに冗談の流れで「君はまだ美味しい納豆を知らないんだね…w」と返すとか、その程度なら分かる。
でも今のインターネットで目にするのは「納豆好きを敵に回した!」とか「他の食品と味の良し悪しを公正に比較してないだろ!恣意的な意見だ!」とか「納豆生産者に謝れ!」とか、そういうちょっと飛躍した批判コメで炎上するところだ。
YouTube なんかを見ていて、「コレは決して存在否定とか攻撃とかではなくてー、人それぞれ色んな考え方があるしー、あくまで私はこう思ったってだけでー、それが好きな人のことは尊重するしー、私もまだ不勉強だからー、表現の仕方が下手で誤解させて、悪い気持ちにさせちゃったらごめんなさいね」といった前置きを毎回ことあるごとになさる、丁寧な配信者が増えてきた気がする。
近頃は何でもすぐ炎上するので、できるだけ釈明を入れ、不用意に傷ついてしまう人が生まれないようにする策なのだろう。その配信者の姿勢自体は、優しい人だなーと思う反面、「イチイチこんな注釈を入れてあげないとみんな理解できないの…?そんなすぐカッとなっちゃうの…?」と困惑している。
実際コメント欄を見ると、コレだけ丁寧に前置きしてくれているにも関わらず、「あなたはこう言いましたけど、そうとは限りません」みたいなお気持ち長文コメントが付いていたりして、「えっ、人の話聞いてた?」と思うこともしばしば。なんだこの世の中。
案の定ヘンなヤツが釣れた話題
私はギターが好きだが、その趣味趣向にはだいぶ偏りがある。ロックやポップは基本的に嫌いで、中学時代のトラウマからビートルズをメチャクチャ嫌っている。主にフュージョンやテクニカル系のギターが好きだが、Tim Henson みたいな最近のピロピロした音は嫌いだ。「このバンドはなんとなく見た目が嫌い」というだけでロクに聴いたこともないバンドのアカウントをブロックしていたりするくらい、理性的ではなく、一貫性の乏しい身勝手な人間である。
そんな私は今まで60本ほどギターを購入してきた。安いものは数千円から、高いものは50万円以上のギターまで、新品・中古と様々所有してきた。ギターの歴史についてだったり、製造メーカーの変遷、木材やピックアップの科学的構造なんかについても、疑問をもったものは調べるようにしてきた。もちろん、所詮は素人の趣味の範疇であり、「ソースはインターネット」でしかないので、「私の言っていることこそが事実であり正解だ」などとは思っちゃいない。
さて、私の経歴について丁寧に前置きをしてきた。こうした私の知識・経験に基づき、先日「*私的・*高いギターと安いギターの差」という投稿を Twitter と Threads に書いた。
- 高いギターは総じて、パーツの作りが良い
- 安いギターはサウンドがイマイチなことがある、というのを、高いギターと比べることで分かるようになった
- 木材のグレードがサウンドにどう影響しているかは、正直よく分からない・私は聞き分けられない
- 「それって購入価格でバイアスかかってない?」と聞かれたら、否定はしない
- 安かった割には作りが良いな、と思うギターはあった
- 安いギターの方が、高いギターを超えて良かった、と感じたことは、自分の経験上はなかった
- 良いギターを手にしたいなら、高いモノを選ぶのが「近道」になると思う
…こんな感じのことを書いた。この投稿の中では、「高い」「安い」という二元論をあえて取りながら、その境界線については定義していなかった。また、日本製だ海外製だといった生産国の話は一切言及していない。
続けての投稿で、「自分の体感で新品価格帯に対する品質がどんな感じだったか」というのを書いた。
- 新品で2万円くらいまでのギターは、どこかしら調整が必要になると思う
- 6万円くらい出せば、悪いところはないと感じる
- 12万くらい出せば、普通に満足できるギターが手に入るだろう
- 20万くらい出すと、かなり満足度が高いギターが買えるはず
- 40万も出せば、「一生モノ」にできるようなギターが手に入れられるだろう
- 50万以上のギターを買えば、「納得いかない」ようなギターに出会うことはまずないと思う
コチラの投稿は、「高い」「安い」をもう少し細分化して、品質に対する評価は二元論では語れず、グラデーションが存在すると、私は考えていることを示したと思っている。
最後に、前述のように所有ギターの内訳を並べて、安い日本ブランドのギターも気に入って使っていることを書いた。
- 中古85万で買った Gibson レスポールが、サウンド・品質ともに最高だと思っている
- (Gibson 社は、ギター好きなら誰もが名前を知っている、世界的に有名なアメリカの会社。「レスポール」という形状のギターを作った本家)
- 中古50万で買った Suhr (アメリカ製) のギターも次いで気に入っている
- その次に好きなのは、新品9万円で買った Fender Japan (日本製) のギターである
- 普段気軽に弾く時に使っているギターとして、新品3万円の Bacchus (日本のブランド) のギターが気に入っていて、愛用している
- (普通によくあることだし悪いことでもないけど、OEM 生産といって「日本の会社だが、実際の製造は海外の安い工場に委託している」という生産方法がある。Bacchus のギターは2本持っており、1本はフィリピン製と記載アリ、もう1本は不明だが、2本とも生産国など関係なく、品質に納得して気に入っていることには間違いない)
- つまり、「高いギターは品質が良いと書いてきたお前は、安いギターをもう使ってないのか?」と聞かれたら、全然使ってるよ、というワケである
さて、ココまでの投稿で、私は何かを否定しただろうか?
「◯◯円以下のギターを使っているお前はダメだ」とか、「この会社のギターはクズである、みんな買うんじゃない」とか、そんな話には全くなっていないことは、文字を読めていれば分かるであろう。
安いギターのどこが悪いのか、いくらぐらいの価格帯なら作りが良いのか、といったことは、そもそもがどうやっても主観に基づく話なはずだが、それでもわざわざ「私的」「自分の体感で」といった前置きを明記したうえで投稿している。
しかし、それでもクソリプをいただけた。まさに狙いどおりというか、案の定というか。
- ギター界隈において、「安いギターはダメなのか」「高けりゃいいのか」論争は頻出する話題。ほぼ必ず、「安くても良いギターはある!」と息巻いてる連中が荒らしていくのがお決まり
- 同じく「日本製のギターは安くて作りが良い」論争も多い。「Fender・Gibson などの有名アメリカブランドは、品質に不釣り合いなほど価格を釣り上げている」「それに比べて日本のブランドは、良心的な価格でありながら Fender・Gibson を凌駕する作りをしている」というのが、界隈を炎上させてくれる連中のよくある意見だ
このあたりの話題で炎上するのは定番なので、実験としてあえてそこをかするように、しかし意図的なウソや誇張は抜きにして投稿をしてみた結果、いただいたコメントがこんな感じ。
- 高いものが良いに決まっているなんて思い込みだ、固定観念や偏見に囚われている
- 弾き手に腕があれば、安いギターでも鳴らせますよ。それが「粋」ってもんです
- 国産で安いけど優れているギターはたくさんあります。海外の高いだけのギターとはレベルが違います。海外製品の方が良いなんて時代は終わってますよ
面白いよね~、私が言及してないことを勝手に生成して、「あなたの言うことは間違ってます」的な反論コメが出来上がっている。「生成 AI」ってそういうこと…?(違)
- 「高いものが良いに決まっている」なんて言ってません、それこそ偏見に囚われてますよ~www
- 弾き手のスキルの話って、どこかでしたっけ…?今回全くそのことについては触れていません
- あえてこの話題に乗っかって、反論をするとしたら…
- ギター始めたての初心者はスキルがないけど、そういう人にも「粋」を強要するの?
- 値段だけ見て安い粗悪品を選んでしまい、ギター本体の品質の悪さで上達が阻害されてしまったらもったいなくない?(フレットの処理によってコードが押さえにくい、などは体験したこともある話)
- 「弘法筆を選ばず」って言葉が好きなタイプの人もいて、どんなギターでも器用に弾きこなせる、そのこと自体は素敵なことだけど、誰しもがそうは考えない
- 「吟味すれば1万円のギターでも極上のサウンドが鳴らせた」かもしれないが、「50万のギターを買えば、かなりの高確率で十分に納得できるサウンドが鳴らせる」なら、時間のない人は金に糸目をつけず、割高でも高くて良さそうなものを選ぶこともあるだろう
- ところで、安いギターを鳴らしてる人って、どこにいんの? え?◯◯っていうギタリストが廉価ブランドのギターを使うこともある、って? 誰それ? 全然影響力ないし超マイナーなレアケースの話じゃん
- 「安いギターを鳴らせる」から何だっていうんだ?高いギターの存在を何か否定したことにはならないし、「安いギターでも鳴らせる」ことに私は別に高い価値を感じないのでどうでもいいです
- 海外産と日本産の二元論の話も、そもそもしてないんだが…。「海外産の方が良い」とか一言も言ってないんだが…
- あえてこの話題に乗っかるなら…
- 「国産で安いけど優れてる」のって、どのブランドのこと?何と比べてどこが優れてると言ってるの?ソースは?w
- へぇ~フジゲンですか。そうですね私もフジゲン製の8万円のギター持ってます。決して粗悪だなんて言いません、十分弾けます。でも85万円のアメリカ製のギターと比較すると、全く凌駕してはいません。この私の感想を否定する権利があなたにあるんですか?
- 「価格と品質が釣り合っていなくていいから、高くてもとにかくブランド名が入ったギターが欲しい」って人もいて、経済ってそういうモンなんだが、何を否定したくてそういうこと言って回ってんの?
- 「私はネームバリューに惑わされずに客観的に品質の良し悪しが分かります」アピールなのかな?さぁそんな人が国産の安価なギターでどんな演奏をしているのでしょう。ウーン、聞くに耐えない雑音ですね!
本当に想像したとおりのクソリプが付いて、「2025年にもなってまだこういう人類いるんだ…」と思ったら、そりゃあ人なんて分かり合えないし、戦争もなくならんな…とか思ったわ。
ちなみに、Twitter は「確かにそうですね」という共感コメが1件のみで反論コメなし。クソリプをもらったのは Threads のみだった。「おすすめ」タイムラインの実装の違いで、知らない人にリーチしやすいのかな。もしくは Twitter を垢 BAN されて流れ着いたような、普段から言動のおかしい人が Threads には多いのか。SNS ごとに生息する人間の、ネットリテラシーに関する知能水準の差な気もしますな。
全ては「個人の意見」に決まってんだろ
インターネット上での誰かの発言なんて、ほぼ全てが「専門家でも何でもない人」によるものであり、その人の知識・経験・偏見・観測範囲内の情報に基づく発言でしかない。そんなの当たり前だろ。
逆に考えて、地球上の全ての地を巡って徹底調査を済ませた専門家が、全世界の人類や環境を正確に調査・分析した上での、万人が納得できる絶対的な事実を語ることなど、あり得ないのだ。
でもなぜか、いちインフルエンサーや、インフルエンサーですらない個人の、取るに足らない発言に対して、そうした公平性を求めたり、「私にとって耳障りの良くない発言だった」ことを訂正させ、謝らせたい人が多い気がしている。まことにバカバカしい。
「私はできるだけ正確な情報を調べて真摯に取り扱っている」とか「私は誰も傷つけないように細心の注意を払っている」とかいう人がいたとしても、それってあなたの感想ですよね? どれだけ真剣に学んだとしても、結局は「個人の観測範囲内での出来事」に過ぎない。百歩譲って、あなたが「世界の誰もが納得せざるを得ない普遍的な事実」を話せたとしても、周りはあなたとは違うんです。それだけの話。
あなたの反応も「個人の意見」です
あなたが好きで大切にしているモノについて、他人が何か軽率な発言をしたかもしれない。誇大妄想の被害妄想であったとしても、とにかくあなたは良い気分にはならなかったのかもしれない。「コイツ、良さを分かってないなぁ…」と呆れたり、偏見や間違った情報に基づく意見が多くてムッとしたかもしれない。
しかし、そのようなあなたの感情を相手にぶつけたところで、あなたの説得が通用すると思っているのだろうか?
ファン人気に支えられてる YouTuber の発言であっても、あなた一人の顔を見ながら面と向かって発言したワケではない。あなたの気持ちなんか考えていないし、どうでもいいのだ。
個人の発言に対して、「あなたのその言い方に傷つきました」「あなたは勉強が足りない」「勘違いしているので真実を教えてあげましょう」などと返信して、相手を説得できると思ってるなら、それは間違っているし人間のことを分かってないので、あなたが勉強してきた方がいい。
つーワケで
色々書いてきたけどさ、今後はさ、「全ては個人の偏見に基づく発言である」という前提でいかないか?
インターネットで目にする全ての発言。どれも「その人の偏見を披露している」のだ。もう極論も極論でいいけど、「みんな間違ったことを流布してる」と思っときゃいいんだ。
誰かの偏見について、「あなた間違ってますよ!」とか、「こういう考え方もあります!」なんて講釈たれなくていい。相手を分からせるようなことしなくていい。「正しさ」をぶつけなくていい。それってクソリプなんですよ。その「良かれと思って」の発言が、議論などしたくもない、一人言を言ってるだけのつもりだった人のところにまで波紋を呼び、不必要な言い争いが起こるんだ。昔から「賢い方が黙りなさい」って言うじゃん?黙って見過ごそう?
誰かが何かを悪く言ってた、愚痴っていた、ネガティブなことを言っていた。そこにあなたが乗っかって、ストレスを増幅させなくていい。話を大きくしなくていい。それは誰も幸せにしない。やるだけ無駄なばかりか、害悪だ。
「それってあなたの感想ですよね?」というフレーズが相手を何か批判し、言い負かしたかのように使われるようになって久しいが、「はい、それは私の感想ですけど?」で全然良いし、世界ってそういうモンだべ。
YouTube 動画で長時間かけて、懇切丁寧に注釈を入れながら順を追って話しても、その意図を正確に理解してもらえずクソリプが付いてしまう。そんな有り様なら、文字数制限のある Twitter なんかで「全てを正確に伝えきる」コミュニケーションなんて無理に決まってるのだ。その前提も理解してないまま、挙げ句には言ってもいないことを誇大妄想の被害妄想で捏造して反論のクソリプを送りつける。マジで現実世界で出会ったことないんだがこういうヤツどこで生きてるんだ?もしかして AI による Bot なのか?そうであってほしい。
もうやめようぜ。くだらねぇ。みんな、個人の見解に基づく独り言を喋ってるんだ。独り言であって、あんたとは会話したくないんだ。みんな自由に独り言を言おう。相手の意見を「尊重」なんかできなくていいけど、食って掛かってクソリプ送りつけるのはやめよう。どう思っても何も返信せず見過ごそう。
物事をもっと大局的に見て、穏やかなインターネットにしようぜ。